2.鉄人の苦悩
窓がガラッと不用心に開け放たれているのが見える。
それで、被害を受けたお宅というのがどれか私にもすぐ分かった。
そうして、私は柵の前で停まっている警察車を堂々と横切った。
何人かに訝しげな目線をされたとはいえ、ヨヌンの隣についていれば止められることはなかった。
規制線をくぐるのはこれで二度目となる。
あのときとは違い、今度は自分と関わりのない一件で、だ。
そういうこともあって、私は今、多少なりとも気持ちを入れて事に臨んでいる。
外から見たときも思ったが、そこは随分ご立派なお宅だった。
玄関の広さがそれを物語っている。
成程、これは狙われる訳だね。
渡された資料だと空き巣の被害ということだったけれど。
正直今になっても、その空き巣やらと異能力という非日常との関連性が私には見いだせないでいた。
とはいえ、いきなり殺人事件を扱うということにはならなそうでひとまず安心した。
どうやら段階を踏ませてくれる気はあるらしい。
そんなこんなで、現場に入れたまでは良いが、ここから何をするのか私に分かるはずも無く。
指示を求めて私の視線は隣に向けられた。
視線に応じるように、ヨヌンの口が開かれる。
「なんでも・・・ここに住んでいるご婦人が街灯に照らされた人物大の人影が自宅に入ってきたのを目撃した、と聞いています」
「人影・・・ですか」
人物大と言うからには、その影は私と同じくらいの背丈なのだろう。
などと想像される。
しかし、そうなると疑問も湧いてきていた。
「ということは、夜中にこの家に侵入した誰かが居るってことでしょうか?」
それに対して、ヨヌンは返す言葉を淀ませる。
「えっと・・・それは・・・。
調べてみないことにはなんとも・・・」
ヨヌンの言う通りだった。
調べてもいないのに分かる筈がない。
することが見えてきたか、もう会話も中断され、2人して神妙な面持ちになっていた。
どこから調べるとかは相談していなかったが、会話の中で家主が影を見たという話が出た事で、私達はどちらが言うともなく、窓際へと吸い寄せられる。
間取りの端から端まで移動するのがえらく手間だ、などと考えていた矢先、ヨヌンが私を手で制した。
「止まって」
それに従って、足を止める。
彼女の方を見ると、頭上に目が釘付けになっていた。
上?
その刹那、何かが勢いよく鼻先を掠めた。
地響きのような衝突音。
あっけにとられ茫然とする中、私は振動で自分の髪が揺れるのをただ感じていた。
反応する暇もなかった。
後には、私のすぐ足元の床に沈み込むようにして重量感のある家電だけが取り残されている。
今のはこれが天井から落下してきた音だったのだろう。
もしヨヌンが制止してくれていなければきっと・・・・・・。
そう考え、私は生唾を飲み込んだ。
ヨヌンはというと、そんな私の横で顎に手を当てている。
少しの間、思案していたかと思えばゆっくり口を開いた。
「これが、こちらまで話がまわってきた理由・・・ですか」
こぼした呟きを耳が拾う。
直前までヨヌンが頭上に釘付けだったのを思い返し首を持ち上げた途端、金属製品の山が目に飛び込んできた。
さっき落ちてきた冷蔵庫に始まり、スプーンや脚立に至るまで。
どれも重力に逆らうように天井に張り付いて離れない。
その中には、重量に見合わず角っこだけでぶら下がっているものもあり、今にも落ちてきそうな危うさを覚えた。
そして、ヨヌンの呟きの意味を理解する。
こんな非現実を目の当たりにしたからこそ、ただの空き巣相手に私達が呼ばれたのだと。
「分類番号VF-35。
能力の正体は恐らく・・・磁力・・・ですかね」
言い切って、ようやくヨヌンが顔から手を離すのが見える。
磁力。
ヨヌンの言葉を信じるなら、頭上に見られるこれら全部、磁力で引っ付いていると言うのだろうか?
そこまで考えて、また足元に目が移った。
さっき天井から落下してきた冷蔵庫だが、小さいマグネットが幾つかくっつけられているのが目に入る。
私の家にもこういうのはあったが、大抵くっつく力が弱すぎて、よくポロッと外れた思い出しかない。
言うなれば、これも磁力だ。
これと同じ原理で、あの重量が天井に張り付いているとはちょっと俄かには信じられなかった。
「えっと・・・・・・一旦ここは後にしましょう。
上のものが落ちてくるかもしれませんし・・・・・・」
このまま私達が残っていても進展はないと踏んでの発言だったのだろう。
その後は、業者の人と入れ違いになり、撤去作業が終わるまでは立ち入り禁止として、私達はその場から追い出された。
再び入れるようになるのはまだ当分は先だろう。
こうして、私の初の現場調査は始まる前に終わった。
あれから、私達は付近の怪しい人物を聞いて回ることにしたのだけど。
「その・・・駄目・・・みたいです。
手がかりなし」
「そう、ですか」
それから、ヨヌンは少し休ませて欲しいとだけ口にして、ベンチに顔を埋めて動かなくなった。
噴水が噴き上げられる水音が近くで起こる。
跳ね上げられる水音が妙に耳に残った。
だいぶ疲れてるようだ。
そんな様子をじろじろと見つめているのも不躾と言うものだろう。
無理にでも視線を外し、今いる公園内をぐるっと見渡す。
噴水や花壇が横切ったがそれ以上に強い吸引力で一点に目が引き寄せられた。
それはゴツい大きめのボールだった。
正直、芝生の柔らかな雰囲気にはそぐわない。
「バスケットボール?」
思わず拾い上げ、土を払った。
硬く、それでいて強い弾力。
馴染みのある感触だ。
長いこと触れていないが、それでも収まりがいい。
これがあると言うことは近くにコートが?
あった。
ほんの少し首を回せば、消えかかった白線に、背伸びでは届かない位置にあるゴールが目に入ってくる。
「・・・・・・誰も使ってない」
そう言いながら、ついついゴール前に待機している自分がいる。
今、私の手の中にはボールがある。
加えて、身体は既に距離を測り始めていた。
小さい頃から何度も繰り返したことだ。
考えるまでもなく、身体が覚えている。
ドリブル、構え、そして。
白線の外から、ポンっと押し出す要領で弓なりにシュートを放つ。
軌道に入ったのを見届けたときには完全にゴールに入ったと思ったのだけど。
ボールは素直に網をくぐらず、リングを跳ねてあらぬ方向に飛んでいってしまった。
このままでは道路の方にボールが飛び出していくという場面だが、私に焦りはない。
助走もなしに、足で軽く地面を蹴る。
軽く、のつもりが私はリングの遥か上空にいた。
ボールを受け止めたときに、腰の位置がゴールの支柱より高いところにあるのが分かる。
今までだったら絶対届かなかったであろう高さだ。
手から離れそうになるボールを今度はしっかり掴む。
そして、落下の勢いに合わせてリングに叩きつけていた。
手に直に振動が伝わる。
着地と同時に、浮き上がっていた髪が前に流れたのを耳に引っ掛けた。
ダンクシュートをこんなに綺麗に決められたのは初めてだ。
しかし、達成感はない。
拍子抜けするほど簡単とさえ思った。
ボールがストンと落ちる。
叩きつけられた負荷に耐えきれず、ゴールリングは若干傾いていた。
力の加減ができるようになるのはまだ先、か。
「スッゲェ!!」
「あ」
いつからそこに居たのか、数人の少年がキラキラした目でこちらを見ている。
「どうやったんだ、今の!!」
「え? ああ、うん」
教えてくれと言わんばかりの圧だ。
尊敬の眼差しを向けられるのは悪い気はしない。
でも、シュートを決めた充足感より居心地の悪さの方が勝っていた。
まさか、私の身体の特性を話すわけにもいかないし。
どうしよう。
大勢に囲まれて、対応に困っていると集団の頭を越えて、覚えのある頼りない澄んだ声が耳に入ってくる。
「あの・・・ですね。
そのお姉さんに用があって。
だから・・・出来れば・・・ですけど。
解放しては貰えませんか?」
ヨヌンがおずおずと会話に入ってくる。
さっきまで思案に耽っていた様子だったけれど・・・・・・。
ひとまず考えがまとまったらしい。
自信なさげに私に目配せしている。
あんまり強く言えない人みたいだし、声をかけて良かったのかも直前まで迷っていたようだった。
こうなると、私の我儘に付き合わせるのも忍びない。
再度、囲んでいる少年達と向き合う。
教えるのは無理だから。
と前置きした上で、足元を転がるボールを拾い上げ、1人に手渡しする。
キョトンとした顔だったが、何も言わずに受け取ってくれた。
私の意図を汲み取ってくれたのかは分からないが、それを機に、少年達はわちゃわちゃとボールで遊び始めた。
もうこちらを気にしてはいない。
「ええと・・・お邪魔でした・・・かね?」
「いえ、そんなことないです」
キッパリと言い切った。
紛れもなく本心からだった。
「なら・・・良いんですけど」
本当に良かったのかと遊んでいる子供達の方をまだ見ている。
しかし、いつまでもそうやっている訳にはいかないと思ったのか、すぐに私の方に向き直った。
「あ・・・呼び止めたのはですね。
撤去作業が先ほど終わったとお知らせがあったので、これから行ってみませんか?」
「良いですね!」
周辺の人達へ話を聞いて回るのも、そろそろ限界がきていた。
そういう意味では非常に良いタイミングと言える。
すっかりその気になっていた私は、今すぐにでも次の場所に向かう気でいたのだけれど。
そこを何故かヨヌンに引き止められた。
「はい、まだ何か?」
「その・・・あの・・・」
さっきから気になってはいたのだけれど、彼女は何故か後ろ手に組んだ腕を頑なに解こうとしない。
暫くその場で葛藤した様子を見せてから、意を決してその腕は解かれる。
どうやら缶ジュースを手にしているようだった。
缶の上蓋に指を引っ掛けている。
これの為に両腕が塞がっていたらしい。
「そこの自販機でちょっと。
あの・・・ジュース、大丈夫ですよね?」
缶ジュースの好みをこんな一大事のように聞かれるのが、なんだかおかしくて。
思わずクスッと笑みが零れる。
これはとっつきづらいと感じていた認識を改める必要がありそうだ、と思った。
金属製品の撤去が済んで、ようやく気兼ねなく現場を調べられるといったところだ。
しかし、私たちは被害宅の中には入らず、柵の外に出ていた。
「この辺ですか?」
「はい・・・その辺に立って頂けると・・・」
ヨヌンはそれだけ指示を出して、街灯の状態を確かめる作業に戻っていく。
私は言われた通り、とっくに飲み終わった缶ジュースを片手に、所定の場所で待機することになっていた。
これは何をしているのかと言うと、強盗の影が廊下から見えたという状況を実際に再現しているらしい。
あれから周辺の住民に聞いて回ってそれらしい目撃情報のひとつも出てこないのは明らかに異常だ。
となると、私たちは犯人について何かを勘違いしているのかもしれない。
これには被害者と同じ立場に身を置いて、その違和感を探ろうという目論見があった。
「どうでしょうか?」
そのひとことで、ヨヌンが作業を終えたことが分かった。
犯人役として外に立つ私を街灯の明かりが照らし出す。
私は自分の影と対峙していた。
窓ガラスを通して、室内から廊下までを覆い尽くさんばかりの広範囲を占めるのが分かる。
しかし、同時に聞いていた話と食い違っているようにも感じた。
「・・・・・・確か影の大きさは人の背丈ほどだったって話でしたよね?
にしては、大きすぎるような」
それに対して、ヨヌンが返事をする気配はない。
少しの間、思案に耽っていたかと思ったら、急に横から私の方に掌を突き出した。
「あの・・・飲み終わったならその缶貰いますよ」
「え、あ、ありがとう?」
あまりに脈絡なく、そんなことを言い出したので、私はどういうことか理解に苦しむ。
片付けてくれるのだろうか、などという考えを抱きながら、大人しく空き缶を開け渡していた。
しかし、ヨヌンは受け取った缶をゴミ箱に捨てにいくでもない。
手前の柵の上にただポンと乗せただけだった。
「・・・・・・街灯の明かりはそんなに強くない。
だとしたら影ができるには街灯に余程近い場所にいた筈・・・」
ぼそりとそう呟いたかと思えば、今度は無造作に置かれた空き缶が街灯に照らし出された。
現れた輪郭は人の形からは程遠い。
明らかに、空き缶と分かる四角が窓際を縁取っていた。
「どうでしょう・・・こっちからだと微妙に分かりませんね。
向こうから見てみないことには・・・・・・」
「あ、私行けます!!」
有言実行。
私は玄関からぐるっと遠回りをしながら、その軽い足取りで向かい側に移動する。
その目で観察して、やはり空き缶では人と見間違えるとは思えなかった。
しかし、驚いたことに、影の大きさは紛れもなく聞いていた通り、人の背丈と同じくらいか少し低いぐらいに感じた。
ここからだと声は届かないので目が合ったところを指でOKの意味の丸をつくってヨヌンに伝える。
用が済むと来た道をまたぐるっと辿って、彼女の横にひょこっと戻ってきた。
「となると、決まり・・・ですかね?」
「あの、何が、ですか?」
ヨヌンが横の私に同意を求めるように控えめな視線をよこすが、全然分からない。
説明を待って、私は一旦黙っていることにした。
「多分このサイズ感的に家主が見たと言っている影は人ではないと思います。
おおかた、盗難自体も小動物による犯行なのではないでしょうか?」
影の大きさ・・・・・・。
そうか!
影の正体が人でない可能性!!
けれど、その場合。
「その場合って、この家に侵入してきた奴って異能力者の可能性が高いんですよね?
人以外にも異能力が発現することがあると?」
撤去作業が入る前、私たちはこの家の天井に金属の山が連なるのを見た。
私にはあれが自然発生する現象には思えない。
あれが私の身体に起こったのと同じような事象とするなら、異能力を使った者がいるのだろうと考えてきた。
けれど、それが小動物?
そんなことあるのだろうか?
私の問いかけに、ヨヌンはただ弱々しげに微笑むだけだった。
「さぁ・・・私も詳しくはなんとも」
歯切れの悪さから確信はないようだった。
空き缶を回収しようと、手を伸ばす傍らで、ヨヌンは続ける。
「このサイズ感だと、そうですね・・・。
野良猫とか・・・それか・・・」
そこまで言いかけて発言が途切れた。
一羽の鴉が柵の上に降り立ち、それに驚いて遮られた形だった。
鴉は空き缶に興味を示した様子で、大きなくちばしでひとしきり缶を小突いている。
そのせいで、缶へと伸ばしかけたヨヌンの手もすっかり縮こまってしまっていた。
街灯から漏れる明かりも、最早、空き缶より鴉の方を照らし出しているようだった。
見かけ上のサイズの違いこそあれど、影になってしまえば窓際の自分のと見分けるのは非常に困難なことに気づかされる。
黒い翼が羽ばたく。
次の瞬間には、その姿はもう空へと飛び立っていた。




