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1.もう1つの弾性

自転車で走行しながらギアを弄っているときのことだ。

一気に2、3段階ギアを上げるとペダルが途端に重くなり、渾身の力で漕いでもそれ以上の負荷で押し返されている感覚を覚えた。


下手を打てばチェーンが外れかねない。

けれど、勢いがついてくれば風と一体になったようだった。


向かい風や登り坂さえ力押しで吹っ飛ばす爆発的な加速。

その運動量はどれほどのものだったろう。

まさにこの瞬間、私はその体験を思い出した。







重量感のこもった打撃音が反響する。

荷を乗せた台車の車輪が一人(ひとり)でに転がる。

それでも振動は収まらない。


衝撃をもろに受けた鉄骨は内側から捻(ね)じ切れるようにひしゃげていた。

内部の錆びていない鉄が露出していて、もう建物の支柱としての役割を果たしていない。

天井が軋んだ拍子に粉塵(ふんじん)が飛散(ひさん)したものの、辛(かろ)うじて崩落はとどまっているようだった。


亀裂(きれつ)の中心には拳大(こぶしだい)の窪(くぼ)みができている。

身体が小刻みに震えた。

この華奢(きゃしゃ)な腕のどこにこんなパワーが、と自分ごとながらに思う。


「・・・・・・あっぶねぇな、ッソが。

訳の分からない通り魔に殺されてたまるかよ」


手応えがないと思ったら案の定。

あいつの荒い息が聞こえる。

やはり、狙いは外れていたらしい。


にしても通り魔、か。

相手の視点からすればそう見えるのか。

言い当て妙な・・・・・・


「あ、れ?」


くらっと体幹が崩れる。

めり込んだ拳を引き抜こうと後ろに身を引いた筈なのに、まるで支えを失ったかのように前屈みになっていた。

荒い息遣いが耳元でも聞こえる。


腕の重みにつられて、ぐいっと身体が前に引っ張られる。

胴を繋ぐ鉄パイプが途端に頼りないものに思えた。

例えるなら、ピンと張っていた縄を千切れる寸前で放したみたいに、強く弛(たゆ)む感じがした。


痛みはないが、内臓が直接外気に触れるような怖気(おぞけ)が駆け巡る。

あの凄い衝撃の反動、だろうか。


なんとなくだが、この打撃を多発するのは命を縮めかねないかもしれない。

そう思わされる。

ただでさえ消耗しているのにとても身体がもたない。


「・・・・・・・・・・・・」


頭の中で急(せ)かす自分を懸命に宥(なだ)め、深く息を吸う。

向こうも何をしているのか、中々定位置から動こうとしない。

だから、多少ゆっくりと息を継ぐくらいの時間的猶予はあった。


「起き上がれそうにないなら手(・)を貸そうか?」

「──結構」


食い気味に断ると、諦めたらしく差し出された手が引っ込められる。

お互いに向かい合う形で睨みを利かせる。

程なくして相手に触発されたように、どちらともなく動き出した。


私が駆け出すのに合わせて相手は荷棚に寄りかかっていたもう一方(いっぽう)の手を離す。

すると、乗せていたコンテナごとその荷棚が、男への直通の進路を塞ぐかのように音を立てて倒れてきた。

私が立ち上がる間に相手が何か細工していたのだろう。


しかし、それでも私の見つめる先は変わらない。

荷棚に潰される前に走り抜ける。

そのつもりで降ってくる荷の山を掻(か)い潜り、直進距離で詰めていった。

膝が上下するのに合わせて、乱れた髪がバサバサと激しく音を鳴らす。


折角相手が飛び込んでくれた好機。

これを逃す手はない。


私の頭すれすれの高さまで来ていた荷棚の足を掴んで引き剥がす。

そして間髪入れず、横の道に隠れようとしたようとした相手目掛けてそいつを投擲(とうてき)する。

当たりこそしなかったが、上手いこと壁に突き刺ささり、逃亡を阻止することに成功した。


やけに簡単に外せると思ったけど。

どうやら荷棚を支える足の接合部が熱で半端に溶けているようだった。

これが細工の正体・・・・・・。


遥(はる)か後方で足が完全に崩れた荷棚が地面と衝突したのが崩落音で分かる。

もう手が届く距離まで接近した。

ここに来て、流れが完全に来ていた。


殴る、殴る、肘で打つ。

その度(たび)に工事現場のような騒音に支配される。


辺りの器物が派手に壊れていくので物音には事欠かない。

激情渦巻く心中のようだ。

相手も私もよそ見なんてしない。


事あるごとに男は距離を取り、私が追うことでつかず離れずを保つ。

それで仕切り直し。


1階から2階、レンガの床から鉄の段差。

配管に機材を足場に飛び回る。

ここら一帯は凹凸が幾つもできていた。


何度めかも分からない拳が壁にめり込む。

身を翻(ひるがえ)した際に、相手は導水管につっかえ、足をもつれさせた。


「ん゙ッ!!」


機嫌悪そうに喉を鳴らしている。

弾みでイヤホンのコードが靡(なび)いた。


相当やきもきしているようだ。

思い通りにいかない苛立ちからか、ライターに取り付けてある回転(フリント)ホイールのギザギザに親指を食い込ませている。


またあれを振り回す気だろうか。

させない。


しかし、これまでのように男がライターを振りまわす素振りは見られない。

加速した後になってそのことに勘づく。

着火部位のホイールに指をかけている癖に、着火もせずにガスを噴出させているようだった。


なんだ?

何かしている。


・・・・・・ライター

・・・・・・ガス

まさか・・・・・・引火!?


そこに行きついた瞬間には本能で腕を交差させ頭の前にしていた。

距離を詰めるより、相手の指が押し込まれる方が早い。


指先で弱い火花が発生するのと同時にライターの火がシュッと焚(た)かれる。

白い閃光が目の前で爆ぜた。


歯列の隙間から短い音が漏らる度(たび)に連続で何度も光が炸裂する。

頭に血がのぼっている男にはそれでも収まりがつかない。


「死ね、死ね、このッ!!」


衝動的に周りの物に当たり散らしているようだ。

ネジの留め具などの小物がバラバラと火の海へと放り込まれる。


かなりの規模の燃え広がり方だ。

そこを平然と人が突っ切ってきたとしたら、彼でなくとも虚(きょ)をつかれるだろう。


伸ばされた私の腕が男の頭を捉(とら)えた。

ギリギリと力を込めて締め上げる。


まさかあの爆発の中を最短で突っ切ってくるとは考えていなかったらしい。

今度は手応えがあった。


「はあ!?ちょっとくらい怯めよ!!」


手首を掴まれる。

向こうも必死だ。

力づくで引き剥がさんと圧迫される。


熱で赤くなった腕がヒリヒリと痛む。

おまけに、指の皮膚を擦り合わせると、溶けた飴(あめ)のようにぺたぺたと貼り付いた。

ここに来て、直前の無茶が響いていた。


追い討ちと言わんばかりに、掴まれたところから血液がぶくぶくと沸騰し、破裂した。

皮膚の薄い内側に赤い線の火傷(やけど)キズが刻まれ、繊維がほつれるように先端から割(さ)けていく。

それでも、私は力を緩めない。


頭蓋骨を砕くつもりで更に力を込める。

その拍子に、手首の内側にできた傷が開いてじくじくと脈を打った。


力づくでは私を引き剥がせないと分かったのだろう。

手首の拘束がふっと消える。


相手の腰が沈むのが見えたときには腹部を足で押し出されていた。

鉄パイプがうねりを上げる。

まるで肉を抉(えぐ)られているようだ。


嫌な汗が額に浮かぶ。

コヒュッと音を立てて栓が抜け、肺の空気が逃げていった。

まずい、まずい、まずい、まずい。


よりにもよって反動を使った打撃で、影響が如実に現れていた箇所を狙われた。

指に力が入らない。

酸欠で鬱々(うつうつ)とした赤黒い紫色の顔に影が差し込む。


唇がきゅっと結ばれる。

目が細められ、眉が寄る。

険しい表情はそのまま相手を睨みつけるような形に歪んだ。


頭で考えるより先に脊髄反射(せきずいはんしゃ)で身体が動く。

軸足を中心に、身体全体が旋回する。

頭より高い位置で、横から足を振り抜いた。


(ここ!!)


苦しい局面。

とはいえ、守っていても仕方がないことは明白だった。

良い位置に入った、と思った。


しかし、場所が悪かった。

手足を振り回そうとすると、張り巡らされた導管や鉄柱が私の動きを制限する。


「おっと」


ちょっと相手が身を引いただけで、渾身の回し蹴りが虚(むな)しく空を切る。

自分の顔が苦悶で歪むのを感じる。

それを受けて、男は挑発的な笑みを浮かべた。


「ざんね〜」


金属を打つ乾いた音。

叩き返された脚が弾け、言い終わる間もなく、かかとが突き刺さった。


肉を貫通し、骨に達する感覚がやってくる。

予想外と相手の顔に描(か)かれていた。


「お返しね」


やっぱり場所は悪かった。

しかし、良い位置(・・)に入ったと言ったのは、嘘でも虚勢でもない。

鉄柱が幅を利かせているここだからこそできた動きだった。


鉄柱に凹みが見られる。

この分の衝撃が跳ね返ったのだから、今のあいつの顔はこれよりぐちゃぐちゃだろう。


殴られた側を手で押さえているようだ。

さっきから頑(かたく)なに開かない目を支えている。


決着を確信する。

確実に息の根を止める為に私は男の前へと歩み出た。


私に近づかれるのを嫌ってライターが放られる。

軽く手で払おうとしたときだった。

ホイールを回していないのに火がついたままなのに気づく。

次いで、空気を裂く鋭い音がやってきた。


髪が逆立ち、皮膚がちりつく。

後には溶けた金属とオゾン臭だけが残る。

一瞬とはいえ目を閉じたのが運の尽き、男の姿は煙のように消えていた。

























耳から垂れる白いケーブルが振り子のように激しく揺れた。

バシャバシャと足元で波紋が作られる。


レインコートを身につけずに外に出たので、雨が直撃している。

雨粒に当たると、その都度(つど)頭の傷口から蒼白い火花が弾けた。


男にとって苦痛の時間が続く。

水を吸ってすっかり重くなった服。

肌に張り付く不快感。

急激な冷え。


そのうち、歩みが止まる。

意志より先に身体が限界を迎えていた。


地面の上で背中を丸め、耳障りな幻聴を掌(てのひら)で塞ぐ。

そのとき、自分に馬乗りになって首を締め上げる少女の死神の幻覚を彼は目の当たりにする。


似合わない怖い顔でこちらを睨(ね)め付ける様がいじらしい。

その在り方は美しくもちぐはぐで、彼の生来の嗜虐心(しぎゃくしん)をこれ以上ない程にくすぐる。

すっかり冷えた身体が高揚していた。

この娘(こ)が自分の幻覚なのが勿体無いと感じた。



















両手を被せる。

指に力が入った。

男が息をするたびに喉仏が上下するのが私のこの手に伝わる。


奇妙なことに、自分の首を絞められている当の本人はケタケタとけたたましい嗤(わら)いを漏らしている。

目が恍惚と輝く反面、どこか遠くを眺めているようでもあった。

唇が電気的に痙攣(けいれん)していて、それで口の端が持ち上がっていた。


とうとう気が触れたらしい。

・・・・・・それは私に言えた道理ではないけど。


考え事をしていている間も、意識だけは指から離さない。

けれど、それが良くなかったのかもしれない。

雨音に紛れていたこともあってこのとき、不揃いな足音があたりに散開していくのが耳に入っていなかった。


「動くな」


突然の静止がかかる。

武装した集団に囲まれるように複数の銃口を向けられているのが分かった。


気がつけば、サイレンの高音と低音が規則的に切り替わって鳴っている。

ここに来て・・・・・・時間切れ。


後少しなのに。

まだ手に少し脈を感じる。

歯噛みして、爪を更に深く食い込ませた。


「その手を離し、ゆっくり後ろに下がりなさい」


あくまでも標的は捜査対象の男のようで私よりそちらを警戒しているのが分かった。

声での警告がなされた以上、次は実力行使に踏み切るだろう。

そうなれば、私にはどうしようもない。


重い首を持ち上げる。

力無く項垂(うなだ)れていた頭がされど虚しく空を彷徨った。

目も口も抜け殻のように役割を持たない。


指はとっくに離れている。

遠目からだが、ここまで真夜中の街のネオンが滲(にじ)んで見えた。

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