1.Refrain
山道へと繋がる緩やかな傾斜に逆らって地面をしっかりと踏み締める。
動くと、そのつど上着が擦れて音を立てた。
防風性に優れたガサッとした質感のジャケットだからそれも仕方ない。
元はと言えば、肩と腰回りを人目から隠すために選んだものだけど。
いざ着てみたら意外と気に入っているのが不思議だ。
とそんなことを考えていると、前を歩く警官服の人がいきなりこっちを振り向いた。
私のこの異様な身体のことを指摘される気配はない。
どうやらジャケットの効果はあったようだ。
「もうすぐです」
首を縦に振る。
それで伝わったらしい。
足腰は人並みに丈夫だし、それほど疲れてもいなかった。
ここから休憩なしでもいいくらいだ。
私がついて来れていることを確認すると警官は肩の無線機に口を近づける。
くぐもった声で応答しているのが微かに聞こえた。
警官の人の言う通り、私たちはもう目的地を間近に迫っていたらしい。
やがて、既視感のあるガードミラーが見えてくる。
とっくに車は撤去されている。
そこで見た現場は、事故当時のままという訳にはいかなかったが、その形跡が色濃く残っていた。
車体が衝突事故を起こした際に火でもついたのだろう。
あちこちにある焦げ跡に、熱で溶けた様子が見受けられる。
部外者が入ってこれないように、規制線がこれみよがしに張られていたりもした。
あわただしくも頻繁に警官の出入りが行われているようだった。
黄色いテープをそっとくぐる。
別に勝手に入ってきている訳ではないけれど、どこも忙しそうにしているので、仕事の邪魔になってるんじゃないかと少し躊躇してしまう。
「一応医者の許可は貰っていますが、その際に何か言われたりはしましたか?」
「特には。
普段通り生活している分には問題ないそうです」
前に倣って、すれ違いざまに会釈を返す。
話しながらも足は止めない。
作業している人たちの邪魔にならないように、静かに横を抜けていく。
「ご両親のことは残念でした」
「い、いえ、そんな」
気遣ってくれるのはありがたいが、自分の中ではある程度気持ちの整理が済んでいた。
気負うこともなく返せたと思う。
社交辞令以上の意味はなかったのだろう。
それ以上警官も深く立ち入ってはこなかった。
少し安心した。
この手の話題は何も生まない。
もし相手がかわいそうな被害者の面影を見ていたとしても、私には困った顔をしてみせるのが関の山だったろう。
そこからは早速、事故当日の現場の状況について警官から矢継ぎ早に質問が飛んできた。
病院に許可を取ってまで私が連れてこられた理由がまさにこれだった。
この辺は特に人の通りが悪い。
防犯カメラはおろか、目撃者の情報も今のところ入ってきていないという話だ。
実のところ、それでまさか私に直接話を聞きたい、とくるとは思ってもみなかったのが本音だ。
ここまで連れてきてもらっておいてなんだが、正直言ってあんまり記憶に自信はない。
思い思いに口を開き、記憶を掘り返す。
詰まる度に、思案混じりに現場に横目をやった。
ここに残るあの日の痕跡が曖昧な私の記憶を刺激している気がした。
何度そうしていただろう。
ふいに現場に残るタイヤの擦れた跡が目についた。
恐らくブレーキをかけたときタイヤの色が移ったのだろう。
途中で不自然に途切れた様子もなく、スッと自然に薄れている。
ずっと目に入ってはいたのだが、特に気にしてなかった。
けれど、少し頭を働かせたら、それがおかしいことに気づかされる。
強く跡が残るほどタイヤが擦れたということはブレーキをかけていた証明と言える。
しかも、マックススピードのときに衝突したら跡はそこで途切れるはず。
跡が薄れるくらい減速した後に事故ったってこと?
あり得なくはないだろうけど。
(なんか釈然としない・・・・・・)
だとしても、事実、事故は起こっているわけで。
う~ん。
これだけ頭を使っても結論は出ない。
けれど、私にはどうしても事故の原因が父の運転にあると思えなかった。
その可能性を信じたいから思い込みが働いているだけなのだろうか?
現場をじっと睨む。
下向きに固定されていた首もいい加減痛くなってきた。
目の疲れをほぐすように眉に指を当てる。
アスファルトばかりに意識を割いていた目線を今度は上に向けた。
目立つものと言えば、ガードミラーくらいのものだ。
監視カメラの1つもないのはいかがなものだろう。
なんて余計なお世話を焼きつつ、他に見るべき物もないので自然と焦点を合わせていた。
奇妙な夢を見たからだろうか。
ちんけなガードミラーひとつがこうまで気になるなんて。
勝手にウロチョロするのは良くないと思ったのだけど。
丁度今の位置だと鏡に自分の姿が映らない。
変な話、私は自分の目であれが夢かどうかを確かめたかった。
鏡に映った自分を見れば確かめられるような気がしていたんだ。
ほんの数歩で見える。
そうと分かっていて欲求に逆らえなかった。
「・・・・・・何やってるんだろう」
呆れ顔が反射して見える。
後になって馬鹿馬鹿しく感じた。
そうと認めるのも癪だったので、言い訳するように上着のしわを伸ばす。
ガードミラーと言えば。
あのときの夢に似た光景が未だに頭にこびりついている。
ガソリンの匂いからくる異臭。
破損した車の部品。
上半身だけの姿で見上げる自分。
それらを鏡越しに見る。
頭の中で反芻するほど、次第に輪郭がはっきりしてきていた。
「ご協力感謝します。
質問はこれで全部です」
警官の声が耳に入る。
一拍遅れて、自分に言っているのだと気づいた。
心臓が跳ねた。
「・・・・・・・・・・・・!!
はいっ!!」
すっかり自分だけの世界に飛び立っていたのを連れ戻される。
慌てていたので上擦った声に吐息が微かに混じった。
私の署名が入った調書を脇に抱えるのが目に入る。
事情聴取はこれで終わりということらしい。
ふらふらと勝手にうろついていたところは見られていない、よね?
落ち着きのない奴だと思われたかもしれない。
そんな不安がよぎる。
いずれにせよ、今更我に返り、恥ずかしさで身悶えしようとすべては手遅れだった。
「最後にひとつ確認を」
警官が懐をまさぐる。
出てきたのは1枚の写真だった。
真剣な眼差しに射抜かれて、私の意識も切り替わる。
「これは?」
撮影されているのは人の腕のようだ。
火傷でできた傷が樹形図状に枝分かれしている。
見ているだけで痛々しい有様だ。
「亡くなったお二方のものです」
両親のことだとすぐ分かった。
だが、そのことを口にして話を遮る気にはなれない。
「お聞きしたいのですが、この火傷の傷は以前からあったものなのでしょうか?」
「・・・・・・いいえ、知りません。
多分なかったと思いますけど」
こう答える他なかった。
私の知る限りでは両親が以前このような火傷を負った話など記憶にない。
ということは、恐らく事故でできた傷だろう。
そんなものを引き合いに出して何がしたいのか。
どうもこの質問は要領を得ない。
私がそう感じるのも無理ないことだと思う。
「そうですか」
答える前からある程度予想していたかのような響きを感じ取る。
ますます怪しい。
火傷の跡。
事故と直接関係があるかは分からないけれど。
何かあるのかもしれない。
思い切って踏み込んでみることにした。
「あの、それがどうかしたんでしょうか?」
警官は話すべきか逡巡を見せたが、私の目から感じる気迫に押されたらしい。
言葉を選ぶようにして口が開かれる。
このとき飛び出した情報はまったく予想だにしていなかったもので、大いに私の驚嘆を煽ることとなった。
「実は我々は今回の事故が作為的なものであったのではないかと疑っていまして」
脳天を叩かれたようなショックを受けた。
聞き入るあまり合いの手を挟む余裕もなく、私は警官の話す内容に引き込まれていった。
「火傷の跡から爆発物の類いが用いられたのではないか、と。
現場付近の第三者の存在も考慮しているところです」
どうも捜査の進捗は芳しくないように思える。
声の調子からそのことが伺えた。
それはそうと
「第三者・・・・・・ですか」
今の私にはこれが最も気にかかった。
口調も意図せず落ち込む。
まだ混乱しているようだ。
当たり前だ。
事故と事件では受け取り方もだいぶ変わってくる。
折角、気持ちの整理も済んだと思っていたのに。
言いようのないモヤがかかったみたいだった。
「一応窺いますが、怪しい人物の心当たりはどうでしょう?
事故が起こった日、他に誰か居ませんでしたか?」
難しい質問ではないのに答えるまでに時間を要した。
心当たり自体はあった。
無意識に手の甲を押さえる。
レインコートに、イヤホン。
風貌がありありと想像される。
目撃者は名乗り出なかった。
けれど、私だけは現場で第三者を見ている。
それはつまり・・・・・・。
目の前の警察の人にこっそり視線を送る。
どうする?
伝えるなら今しかない。
けど・・・・・・。
そのとき、私の中の悪魔が囁く。
長考の末に私は決意を固め、喋り疲れてかすかすになりつつある声を絞り出した。
「・・・・・・分かり ません」
「そうですか」
たった一言が、私の心にずしりと重い錠をかける。
これでもう後戻りはできない。
口にした直後は胸の内を見透かされているような気がして緊張したが、相手が私の言葉を疑っている様子はなかった。
悪魔は既に去り、後には嘘つきがバレなかったことにホッと胸を撫で下ろす私だけが居た。
ここに来ても八方美人を捨てられない私は心底卑怯だと思う。
「あの、それより・・・・・・私の両親はどんな惨状でしたか?」
言葉を継ぐまでもなく、次から次へと口が出る。
何を勘違いしたのか、それを警察の人からは純粋に親を想っての発言に聞こえたらしい。
諭すように優しく言葉を返された。
「かなり損傷が激しかったそうですね。
限界はありますが、葬式で顔が判別できないということはないと思います」
胸が痛んだ。
都合の悪い話題から話を逸らしているという自覚があった。
警官の目を直視することができない。
教える義理はなかった。
それでも、さりげなく教えてくれた。
彼の親切心が逆に私を追い詰めていた。
下唇を巻き込み、歯形ができるほどの力で噛む。
目元に力が入るあまり、1点に収束した瞳の黒がブレて、ピントが合わなくなる。
この凄い形相の顔を警察の人間に見られる訳にはいかなかった。
地面をひたすらに睨め付ける。
とにかく、ここに来て良かった。
病院が見えてきた頃には、おのずと気持ちも固まってきていた。
キーボードを軽快に叩く。
そこに話し声が聞こえてきた。
恐らくは看護師の二人組が話しているのだと思われる。
即座に電源を落とす。
せわしなく指を動かすのを止め、じっと息を潜める。
声が遠ざかったのを確認して、また視線を落とした。
深夜の病室。
ブルーライトの薄明かりだけが手元を照らす。
病院のTV、スマホ、持ち込みのPC。
どれも律儀に音量こそ抑えていたため、迷惑が飛び火することはない。
しかし、液晶で周りを囲み、瞬きの間すら惜しんで垂れ流される情報の奔流を凝視している様は異様そのものだ。
何かに憑かれているとしか思えないほどにトチ狂っていた。
手元の画面上では複数のウィンドウが開かれている。
開いているページの記事の内容はどれも代り映えしない。
そんな中、ある画像が彼女の目についた。
見覚えのあるレインコート。
獲物を狙う鷹のようにそれを捕捉する。
虚無の渦巻く瞳の奥はどこまでも空虚で、とても視点が定まっているようには思えない。
口の端が歪む。
そして、くつくつと 嗤った。




