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1.死への羽ばたき

立ち上がる為に膝をたてようとして気がついた。

腰から下の感覚がないことに。


うつ伏せのまま訳もわからず目を彷徨(さまよ)わせる。

見渡すほどに何にもない道だった。

最低限の街灯(あかり)すらなく、もの寂しさに鳥すら押し黙る。


そこに申し訳程度にガードミラーが1つ設置されていた。

鏡の中の視線と交わる。

瞬間、嫌な光景が飛び込んできた。


見るも無惨な車体。

凄惨極まる状況の中にあって、腰から下を失い、上半身を腕だけで持ち上げるようにして顔を上げている私の姿がそこにはあった。


動転して視線を落とす。

足元の血溜まりから血液が坂の下へと流れ落ちていた。


それまで気にならなかった自分の呼吸音が聞こえる。

痛覚が戻ってきた気がした。


何もないと思っていた周囲で、急に車の残骸が目に入るようになった。

いや、見ないようにしていただけで、ずっとあったのかもしれない。


私は狭い視界の中で人を捜した。

何が起こっているのか分からないけれど、誰かにSOSを伝える必要があるのだけは確かだった。


そのとき、レインコートから垂れ下がるイヤホンケーブルが映る。

もしかして通りすがりの人、だろうか?


気づいてもらおうと探(さぐ)るように手を出す。

しかし、相手は私が見えないのか手の甲を踏んづけてさっさと闇の中に消えてしまった。

背中に声をかける気力も間も与えられない。

歯痒くも後ろ姿を見送る。


もう誰かを当てにはできなかった。

かと言ってどうすれば良いかなんて思いつかない。


夢中だった。

なんでこのとき目の前に落ちている鉄パイプを懸命に空いた手で掴んだのだろう?

今聞かれても、私はきっと答えることができない。


何か柔らかいものを突き刺したような感触を最後に記憶は夢として処理された。

























微かな刺激臭が鼻をくすぐる。

もうタールの嫌な匂いはしない。

これは・・・・・・消毒液の匂い、だろうか。


深く息を吸い込む。

鼻につんと来る匂いなのに不快感がないことに違和感を覚えた。

どころかある種、安心感さえ感じる。


車内ではないと気づくのに時間はかからない。

見るからに白い壁ばかりだ。

それに絶えず足音や小声が聞こえる。


ここが何処かは推測で察せる。

恐らくは・・・・・・


「病室?」


なんで?と続けようとしたが、言葉にならない。

こんがらがった頭をフル回転させて状況の理解に努める。


病院。

私また頭痛で倒れたのかな?


真っ先に浮かんだのはそんな考えだった。

いずれにせよ、こうして幾らベッドに横たわって考えたところで分かるはずもない。


それよりも、気にかかるのは自分の容態(ようだい)のこと。

そんなに酷いのだろうか?


落ち着いてきたので、軋(きし)む音に遅れてゆっくりと身を起こす。

その際、毛布が右肩に引っかかる。


どこか体調が悪いのか、身体が重く、感覚が鈍いように感じた。

こんな調子では、両親に過度に心配かけてしまわないかが気掛かりだ。


そんな考えに浸(ひた)りながら、毛布を払い除けようと何の気なしに肩に手を伸ばした。


妙な異物感。

とでも言うのだろうか?

何か軟骨のように弾力があり、かつ硬いものに触れていた。


直視できなかった。

その正体を捉えたが最後、自分にとって嫌な方向に舵(かじ)が切られていく。

そんな気がした。


何のことはない。

先ほどから右肩の感覚が鈍いのにも、毛布が引っかかったのにも歴然とした理由があったのだ。


首を殆(ほとん)ど動かさず、目線だけが注(そそ)がれる。

タイヤの破片らしきものが肩に埋まっていた。

肩が開くような服の構造に気がついてしまえばそれは疑いようもなかった。


「っ、はぁ!!」


半分眠っていた身体は驚いて飛び起き、毛布を跳ね飛ばす。

自分では軽く飛び上がったつもりだった。

けれど次の瞬間には、頭が思いっきり天井と衝突していた。


「痛った、くはないな。

と言うより、今跳ん」


予備動作もなしに、最小限の動きで普通ここまで高く跳べるものなのだろうか?

いいや、そこじゃない。

それはともかく、今のは下半身がくっついていないと出来ない動きだ。


夢で見た光景に思いを馳(は)せる。

下半身が千切れ、腕だけで這いずる自分を頭で描くのは容易かった。


ドサッと、落ちてきた身体がシーツに収まる。

一度(いちど)起き上がった後なのに、二度目はスッと持ち上がるとはいかないらしい。


「・・・・・・ははは」


乾いた笑いしかでない。

確かめるまでもなかった。

自分の身体のことだ。


「さっきから下腹部辺りが妙に寂しいと思ったんだ」


股関節を開き、足を組む。

背骨を丸めれば、目線が丁度へその下に来た。

それに伴い、眉の端が下がり、目の縁(ふち)が歪んだ。


どんな顔をしろと言うのだろう。


腰のくびれと腹の肉の間が若干離れている。

その血肉の橋渡しをするように一本の鉄パイプが通(かよ)っているのが分かった。


それを見て、自分の身体は一度両断されたのだと素直に受け取ることができた。

鉄パイプが通っているとは言っても、面積は背骨と対して変わらない。

合間から覗く自分の肉の断面を見せられれば否が応でも信じざるを得ないだろう。


末端から急速に冷えていく。

震えが止まらない。


内臓がせり上がり、

腹部が強烈な浮遊感に襲われる。


鼓動が早まる。

視野が狭まる。

吐く息が近い。


内側が騒がしい。

落ち着けと思うほど

思考が加速していく

そして、




視界が弾ける。




次の瞬間には、生成色(きなりいろ)のカーテンを押し除け、現実逃避するように窓から身を乗り出していた。

























ハニーカラーの色合いの屋根。

網目(あみめ)状に張り巡らされた石畳みの散策路。

高低差のある丘陵(きゅうりょう)地帯からくる坂道と入り組んだ階段の多さ。


もう何が何やらといった私の内心とは裏腹に、窓の外にはいつも通りの光景が広がっている。

どこにでもあるなんでもない田舎町。

この見馴れた中にあって私だけが異端だった。


鉄パイプやタイヤ片を自己の一部(いちぶ)だと認識することができない。

寝ている間に、サイボーグにでも改造された気分だ。


こんな状態なのに、なぜ私は死んでいないのかと疑問に思うくらい。

・・・・・・よそう。

今は現実を直視したくない。


薄い雲を透かしたような、白く柔らかい光に当たる。

それだけで自然と心が和んだ。


「・・・・・・あ。

ごみ収集・・・・・・」


遠目なので判然としないが、作業員がごみを車に詰め込んでいるようだ。


ついこの前に整理したごみのことを思い出した。

だが、すぐにこの状況では捨てに帰ることに意味がないと気付かされ、声がか細くなって消える。


そうこうしている内に、周辺住宅から廃棄物を回収し終えたみたい。

作業員達が撤収していく。

程なくして、車のエンジン音が聞こえてくるだろう。


あれには昨日までの私が積み込まれているのかもしれない。

そう思った。


捨てられた物は例外なく潰される。

強い力で粉砕され、鉄屑(てつくず)より細かくなる。

やがて、容赦なく奥へ奥へと押し込まれる。

すべては効率よく。


自分があれら残骸とは違うと断言できるだろうか?


「やりたいこと」


それが必要だと思った。

こうして無機質に沈んでいるよりは行動を起こした方が断然マシだろう。


この後に及んで、やりたいことなんて限られている。

最初から考えるまでもなかった。


まずは病院の検査を受けることになるだろう。

事故についても気になるが、調べるのはそれからになりそうだ。


ここにも、ラベンダーの香りが入ってきていた。

そのせいで、やたらと学校や家の庭が思い出される。

もう十分気は済んだので、暫(しばら)くしたら窓は閉めるつもりだ。

























問診室の時計が時を刻む。

まただ。

また時計の秒針を睨(にら)んでいた。


何度目だろう。

さっきから、油断をしているとすぐこれだ。

人前だと言うのに気が散ってしまう。


こんな有様だが、担当医はこのことを感知していない。

検査結果の載ったPCを前にして、腕組みしながら唸るばかり。

こっちにまで気が回っていないようだ。


「うーん」


「あの、そんなに不味い状況なんですか、私の身体?」


そっと手を挙げる。

我慢できず横から口を出していた。


「・・・・・・ああ、いや済まない。

そういうことじゃないんだ」


担当医の人もそれでようやく平静に還る。

老齢の人がこうも狼狽しているのを見ると無性に不安になった。


「ドロテアさん、だったね。

君は至って健康だよ」


この場合、それがおかしいんだけども。

と続ける。


そこから、X線がなんちゃら、CTスキャン、MRIがどうとか。

医学的説明を受けたが、肝心なところになると、現代医学では推し測れないと言われてしまう。


「ひとつ確かなのは、君の身体はゴムの弾性と鉄の強度を兼ね備えているということ」


「はあ・・・・・・」


生返事が口を突いて出る。

なんだか、実感が伴っていなかった。


「耐震工事で組まれるような鉄骨仕込みの骨組み(フレーム)。

ゴムの弾力が生み出す驚異的な運動神経(バネ)。

これらが生身の人間に搭載されているんだ。

信じがたいことにね」


要は纏(まと)めると、今の私の身体は鉄のように硬くできていて、ゴムボールのように高くジャンプできるということらしい。


「なるほど」


それでか!!


ベッドの上で跳ねたときに予想以上に飛び上がったのを思い出す。

腫れたりはしていないが、なんとなくあのとき打った辺りを労(いた)わるように撫でる。


言う程硬いだろうか?

叩かれれば違いが分かるのかな。


それにしても。


手の平に目を向ける。

擦り切れてたりする訳でも、マメができている訳でもない。

けれど、指の関節を曲げれば古戸をこじ開けたときのような硬い音を出した。


自分の培ってきた良識が壊されていく。

第三者に指摘されると、これら突拍子のないことが現実になっていくようだった。


くるっと医者の腰かけている椅子が回る。

何やら、神妙な面持ちで、思わず背筋が伸びていた。


「でもこれらは言い換えれば、生物と無機物の矛盾を抱えているということでもある。

人間の特性上、無理のある構造だ。

例えば、君の半身は辛うじて1本の鉄パイプで繋がれているだけ。

幾ら頑丈と言ったって、そのうち重みに耐えられずぽっきり折れる可能性も考えられる」


「それは・・・・・・」


返す言葉もなかった。

ない腹の底が冷えていく。

鉄パイプ一本に命を握られている感覚。


指摘されて初めてその可能性に思い至った。

寧ろなぜ今までそんなことにすら考えが及ばなかったのだろう。


今の私の状態は人工呼吸器による酸素吸入で延命している患者となんら変わらないのだと痛感する。

生命維持装置などと違って人の手が介入していない分、不安材料は多かった。


こんなこと言っても仕方ないのは分かっている。

しかし、何故私はあそこから回復できたのだろう。

神様の悪戯心(イタズラ)ということであれば、いずれこの魔法は解けるのだろうか。


図(はか)らずも、余命宣告を受けた人間の気持ちが分かった気がした。

どうしたって悲観的な考えが頭を占める。

対面する相手にもそれが伝わったらしい。


「脅かすようだけど、そういう危険性も知っておいて欲しい」


「・・・・・・分かり、ました」


医師の目から強い念力を感じる。

視線を逸(そ)らしたい欲求が働く。

俯(うつむ)かずにはいられなかった。

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