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今さら泣きついてこないでください  作者: 小林翼


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独占令の撤回が発表された翌日、ヴァレリアは暴走した。


撤回の知らせを聞いた瞬間、ヴァレリアの顔から仮面が剥がれた。優雅で慎み深い侯爵令嬢の演技は消え、素の感情が剥き出しになった。


「嘘よ……嘘よ、そんなの認められないわ!」


ルシアンの私室で叫ぶヴァレリアを、ルシアンは呆然と見つめていた。いつも穏やかで計算高い彼女が、こんな表情をするのを見たことがなかった。


「陛下は撤回されただけではなくて、モンフォール家の調査まで命じた。このままじゃ、何もかも終わるわ」


「ヴァレリア、落ち着け——」


「落ち着いていられるわけないでしょう! あなたは分かってないのよ。うちの借金がどれだけあるか。あの女さえいなければ、全部うまくいったのに!」


あの女。フィオナのことだ。ヴァレリアは唇を噛み、目を血走らせている。


「民衆に訴えるわ。フィオナが魔女だと。あの瓶詰めに呪いをかけて、人々を操っていると。聖女のわたくしが、それを看破したと——」


「それは無理だ、ヴァレリア」


ルシアンの声が、初めて硬くなった。


「お前の聖女の力は……本物なのか」


沈黙が落ちた。ヴァレリアの目が泳いだ。一瞬の動揺。それだけで十分だった。


「何を言い出すの、殿下。わたくしの力を疑うのですか」


「疑っているんじゃない。聞いているんだ」


ルシアンの目は、珍しくまっすぐだった。優柔不断な男が、初めて相手の目を見て問いを突きつけている。


ヴァレリアは笑みを取り繕おうとしたが、口元が歪んだ。


「……本物よ。当たり前でしょう」


その声の震えを、ルシアンは聞き逃さなかった。



翌日、ヴァレリアは独断で動いた。


王宮の中庭で、居合わせた侍女や下級官吏たちの前で「聖女の力」を披露するという大胆な行動に出たのだ。聖杖を掲げ、光と温かさを周囲にまき散らしながら、大声で宣言した。


「皆さん、聞いてください。ヴァランティーヌ商会の女主人、フィオナは危険な存在です。あの保存食には邪な力が込められています。わたくしの聖女の力がそれを感じ取りました。あの女に騙されてはなりません!」


中庭に集まった人々がどよめいた。しかしその反応は、ヴァレリアが期待したものとは違っていた。


「また聖女様のお話か……」


「保存食に呪いって、うちの子も食べてたけど元気だぞ」


「それより市場の品物が戻ってきたんだから、余計なことしないでくれよ」


独占令で市場が空になった記憶は、まだ新しい。民衆にとってフィオナの商会は生活を支えてくれる存在であり、ヴァレリアの言葉はむしろ反感を買った。


ヴァレリアの顔が蒼白になった。計算が狂っている。以前なら聖女の権威で人を動かせたはずなのに。


そのとき、中庭に一人の少年が現れた。



ギルベルト・ヴァランティーヌは、姉からの手紙を前日受け取っていた。


『今です。証拠を国王陛下のもとに届けてください』


短い一文だった。フィオナの字は落ち着いていたが、インクの滲みが一ヶ所だけあった。震える手で書いたのだろうと、ギルベルトは思った。


公爵家の封蝋で封じた封筒を懐に入れ、ギルベルトは王宮に向かった。学院の生徒として王宮図書室への出入りは許可されている。そこから国王の執務室までは、回廊を三つ抜ければ着く。


中庭でヴァレリアが演説しているのを横目に見ながら、ギルベルトは回廊を早足で進んだ。


国王の執務室の前で、近衛兵に呼び止められた。


「ヴァランティーヌ公爵家のギルベルトです。国王陛下に、至急お届けしたい書類があります」


「陛下はお忙しい。約束はあるのか」


「ありません。ですが、この書類はモンフォール侯爵家とヴァレリア・モンフォール嬢に関するもので、国王陛下が現在調査を命じておられる件に直接関わります」


近衛兵の表情が変わった。国王が調査を命じたことは宮中でも知られている。兵士は奥に引っ込み、しばらくして戻ってきた。


「お通しする」


ギルベルトは深呼吸をして、扉をくぐった。



執務室の国王は、ギルベルトが差し出した封筒の中身を、一枚一枚、時間をかけて読んだ。


偽聖女の魔道具の記録。モンフォール家の膨大な借金の証書と財務記録。商人ギルドへの妨害指示書簡。そしてヴァランティーヌ商会の保存食に毒物を混入させた指示の証拠。


国王の手が震えた。怒りだった。


「これは……すべて裏が取れるのか」


「はい、陛下。聖具庫の記録は管理官に照合できます。借金の証書は王都の金貸し数軒に原本があります。毒物については、薬師の分析結果をこちらに」


ギルベルトが追加の書類を差し出した。毒物の成分分析と、同じ成分を扱う王都の薬種商の取引記録。モンフォール家の使用人が購入した記録が明確に残っていた。


国王は書類を机に置き、窓の外を見た。中庭からヴァレリアの声がまだ聞こえている。聖女を名乗り、フィオナを魔女と呼ぶ声が。


「近衛隊長を呼べ」


国王の声は静かだったが、底知れぬ重みがあった。


「ヴァレリア・モンフォールとモンフォール侯爵を拘束せよ。容疑は、聖女の詐称、毒物による殺人未遂の教唆、王家に対する詐欺。そしてルシアンを——息子を呼べ」


ギルベルトは一礼し、執務室を退出した。


回廊に出ると、膝の力が抜けた。壁に手をついて体を支え、何度か深呼吸をした。


終わった。自分にできることは、やり遂げた。


廊下の窓から差し込む春の光が、十六歳の少年の頬を照らした。目の端に、光るものがあった。

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