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王都では、嵐が近づいていた。空模様のことではない。宮廷の空気が、日を追うごとに険しさを増していた。
独立商業連合の嘆願書が評議会に届き、ノルディスの声明が外交問題に発展しかけている。国王フリードリヒ三世は独占令の撤回を検討し始めたが、ルシアンとヴァレリアの反発が激しく、板挟みになっていた。
ギルベルト・ヴァランティーヌは、その渦中にいた。
十六歳の少年は学院の授業を終えると、毎日のように王宮の図書室に通った。表向きは歴史の研究だが、実際には宮廷内の情報を集めるためだ。
この数ヶ月で、ギルベルトは独自の情報網を築いていた。学院の同級生には宮廷関係者の子弟が多く、彼らから断片的な情報を集めては繋ぎ合わせる。王宮の使用人にも何人か協力者がいた。公爵家の名前と、惜しみない酒代が効いている。
だが今回の仕事は、これまでとは次元が違った。
フィオナから届いた手紙には、こう書かれていた。
『ギルベルト。最後のお願いです。ヴァレリアの不正の証拠——偽聖女の魔道具、モンフォール家の借金の証書、商会への妨害指示書——これらを国王陛下に直接届けてほしい。ただし、タイミングは私が指示します。今はまだ早い。評議会が独占令の見直しを議論し始めた段階で、証拠が出れば最大の効果を発揮します。危険を冒さないで。あなたの安全が最優先です。フィオナ』
ギルベルトは手紙を読み終え、窓の外の王都を見つめた。冬の空は低く、灰色の雲が街を覆っている。
危険を冒さないで、と姉は言った。しかしギルベルトには分かっていた。証拠を国王に届けるということは、モンフォール侯爵家を敵に回し、第二王子を公然と批判することを意味する。ヴァランティーヌ公爵家の次期当主として、相応の覚悟がいる。
父レオポルドには相談していない。公爵は娘の事業を支援しつつも、宮廷での政治的な動きには慎重だった。ギルベルトが独断で動いていることを知れば、止めるだろう。
だが、ギルベルトには止まれない理由があった。
放課後、ギルベルトは学院の裏庭で一人の同級生と落ち合った。
カール・グレーフェンベルク。宮廷財務局の次官を父に持つ少年で、ギルベルトの数少ない友人だった。細身で眼鏡をかけた物静かな少年は、ギルベルトとは正反対の性格だったが、不思議と馬が合った。
「頼まれていた件、調べがついた」
カールが分厚い封筒を差し出した。中身はモンフォール侯爵家の詳細な財務記録だった。父親の局で閲覧できる文書を、カールが書き写したものだ。
「カール、これは君にとっても危険なことだ。父上に知られたら——」
「構わない。父はこの件について前から不審に思っていた。モンフォール家の借金は財務局でも問題視されていたんだ。ただ、王子殿下の婚約者の実家だから手を出せなかっただけで」
ギルベルトは封筒を受け取り、中身を確認した。借金の総額、債権者の一覧、担保として差し入れられた領地の目録。そしてモンフォール侯爵がヴァレリアの婚約を通じて王家から引き出そうとしている金額の試算。
「これで全部揃った」
「ギルベルト。気をつけろよ」
「ああ。ありがとう、カール」
友人と別れ、ギルベルトは公爵邸に戻った。書斎に入り、鍵をかけ、集めた証拠をすべて机の上に広げた。
偽聖女の魔道具に関する聖具庫の記録。モンフォール家の借用書の写しと財務記録。商人ギルドへの妨害指示書簡。そして今日カールから受け取った財務局の文書。
四つの証拠が机の上に並ぶ。これだけあれば、ヴァレリアの虚構は完全に崩れる。
ギルベルトは椅子に座り、深く息を吐いた。
姉のためにやっているのか。そう自問した。
答えは、半分だけイエスだった。
残りの半分は、この国のためだ。ヴァランティーヌ家は五代にわたって王国を支えてきた。その義務と誇りは、ギルベルトの中にも脈打っている。偽聖女に王家が操られ、国の経済が傾いていくのを黙って見ていることはできない。
「姉上のためじゃない。この国のためだ」
声に出して言った。自分を奮い立たせるように。
机の上の証拠を一つの封筒にまとめ、公爵家の封蝋で封をした。宛先は書かない。届け先は、姉の指示があったときに決める。
封筒を書斎の隠し棚にしまい、鍵をかけた。
部屋を出ようとしたとき、廊下で足音がした。ギルベルトは咄嗟に棚から離れ、机の上の本を開いて読書の姿勢を取った。
扉をノックする音。
「坊ちゃま、お夕食の支度ができております」
使用人の声だった。ギルベルトは胸を撫で下ろし、平静を装って返事をした。
「すぐ行く」
廊下を歩きながら、ギルベルトは自分の手を見た。震えてはいない。だが、この手が握っているものの重さは、十六歳の少年の肩には重すぎるかもしれなかった。
それでも、ギルベルトは歩み続ける。姉が商会を一人で立ち上げたように。自分にできることを、一つずつ。
春が来れば、すべてが動く。それまでに、準備を整えておかなければならなかった。




