22
年が明け、レグランド王国に春の気配が近づく頃、事態は一気に動いた。
その日、フィオナの商会に王宮からの使者が訪れた。赤い封蝋で封じられた書状を手渡され、中身を読んだフィオナの顔から血の気が引いた。
「王国内交易独占令」。
レグランド王国の全商人に対し、ヴァランティーヌ商会との一切の取引を禁じるという命令だった。国王の署名と王室の印章が押されている。表向きの理由は「外国勢力と結託した商会が国内経済を撹乱している」というものだった。
フィオナは書状を机に置いた。手が震えている。震えているのは恐怖ではない。怒りだった。
「リュシエンヌ、マティアスさん、テオ。集まって」
事務室に四人が揃った。フィオナが書状を読み上げると、リュシエンヌが椅子を蹴って立ち上がった。
「ふざけるな! これはどう見てもヴァレリアの差し金だろう!」
「落ち着いて。怒っても状況は変わらない」
「だがフィオナ、これは事実上の死刑宣告だぞ。国内の取引先が全部使えなくなる。農家からの仕入れも、石鹸の原料も——」
「分かってる」
フィオナの声は静かだったが、その奥に鋼の意志が響いていた。
マティアスが帳簿を広げた。老経理士の手は震えていなかった。長年の経験が、こういうときこそ冷静であれと教えているのだ。
「現在の在庫と手元資金で、どれくらい持ちこたえられる」
「保存食の在庫が約三ヶ月分。石鹸と香水の原料は一ヶ月分。手元資金は金貨四百枚ほど」
「三ヶ月。その間に状況を打開できなければ——」
「商会は潰れます」
テオが小さな声で言った。十三歳の少年の顔は青ざめていたが、数字を読み上げる声は正確だった。
フィオナは窓の外を見た。ルミエールの街は何も知らぬげに日常を送っている。しかしこの命令が周知されれば、商会を取り巻く環境は一変する。
「まず確認しないといけないことがある。この命令の法的根拠よ」
フィオナは書状をもう一度精読した。根拠として挙げられているのは「王国緊急経済令第七条」——国王が国内経済の安定を脅かすと判断した場合、特定の商人や商会との取引を制限できるという条項だ。
「この条項自体は存在する。しかし適用には王室評議会の承認が必要なはず。マティアスさん、この書状に評議会の承認印はありますか」
マティアスが書状を受け取り、隅々まで確認した。
「……ない。国王の署名と王室の印のみだ。評議会の承認印がない」
「つまり手続き的な瑕疵がある。ただし、国王が独断で発令したとしても、事実上の拘束力はある。商人たちは王の名を見れば従うでしょう。法的に争う間に商会が干上がる」
フィオナは椅子に座り、帳簿を開いた。怒りを数字に変換する作業。それが今の自分にできる最善のことだ。
ペンを走らせながら、フィオナは頭の中で作戦を組み立てていった。
ギルベルトからの緊急の手紙が翌日届いた。
『姉上。独占令の発令はヴァレリア嬢がルシアン殿下を通じて国王に進言したものです。国王は当初乗り気ではなかったようですが、ルシアンが「ノルディスの影響力が強まりすぎている」と繰り返し主張したことで折れたとのこと。評議会は事後承認の形で追認される見込みです。ただし評議会の中にも反対派がいます。特にグラント伯爵は「一商会の排除に国家権力を使うのは行き過ぎ」と発言したそうです。味方になるかもしれません。ギルベルト』
グラント伯爵。名前は知っている。王都の南方に領地を持つ中堅貴族で、穏健派として知られている。ヴァランティーヌ商会の保存食を自領で購入していた顧客でもあった。
フィオナはすぐに返事を書いた。
『ギルベルト。グラント伯爵に私から手紙を出します。それと、独占令の影響を受ける地方領主のリストを作ってほしい。我が商会と取引のあった領主たちは、この命令で直接的な損失を被るはず。その数字を可視化します。お小遣いの請求は後でまとめて受け付けますから、必要な情報収集は惜しまないで。フィオナ』
ペンを置き、フィオナは深く息を吐いた。
戦いのフェーズが変わった。これまでは商売で勝てばよかった。しかし今は、国家権力を相手にしなければならない。一介の商会では太刀打ちできない。
だが、商会は一介ではなくなっている。ノルディスとの通商条約がある。周辺の村や地方領主との信頼がある。そして何より、数字がある。
フィオナの武器は数字だ。この独占令がどれだけの経済的損失を王国にもたらすか、数字で証明してみせる。
「マティアスさん」
「何だ」
「徹夜になります。王国経済に対するヴァランティーヌ商会の貢献度を、あらゆる角度から数値化してください。街道の通行料収入、保存食の軍への納入実績、石鹸産業が生み出す雇用、関連する農家の収入——すべてです」
老経理士は眼鏡を押し上げ、不敵に笑った。
「わしの腕の見せどころだな」
「お願いします」
帳簿の戦いが、始まろうとしていた。




