18
舞踏会の翌日、ギルベルトがフィオナの泊まる公爵邸の書斎に駆け込んできた。
弟の表情はいつもの悪戯っぽさが消え、引き締まっていた。手には何通かの書類を抱えている。
「姉上、例の件です。やっと証拠を掴みました」
ギルベルトが机の上に並べた書類を、フィオナは一枚ずつ確認した。
一つ目は、王宮の侍女から入手した聖具庫の管理記録。ヴァレリアが「聖女の力」を示す際に使う聖杖には、特殊な魔道具が仕込まれていた。記録によれば、その魔道具はヴァレリアが王宮に来る以前から聖具庫に保管されていた別の品であり、三ヶ月前にモンフォール家の使用人が「修理のため」と称して一度持ち出し、戻されたときには内部構造が変更されていた。
「この魔道具は元々、治癒の光を放つ儀式用の装飾品です。それ自体に強い力はありません。しかし改造によって、使用者の周囲に聖女の気配に似た光と温かさを発するようになっている」
「つまり、ヴァレリアの聖女の力は——」
「偽物です。魔道具の演出に過ぎません。本人に聖女の素質は一切ない」
フィオナは息を呑んだ。疑ってはいた。しかし証拠を目の前にすると、その大胆さに驚かされる。王家と国民を欺いて王妃の座に就こうとしているのだ。
二つ目の書類は、ギルベルトが王都の金貸しから極秘に入手したモンフォール侯爵家の借用書の写しだった。
「モンフォール家は多額の借金を抱えています。総額は金貨一万枚以上。領地の収入では利息すら賄えない状態で、複数の高利貸しから追われています」
「一万枚……」
フィオナは帳簿を扱う人間として、その数字の重さを正確に理解した。モンフォール侯爵家の年間領地収入はおよそ金貨二千枚。一万枚の借金は、五年分の収入に相当する。返済の見込みがない額だ。
「つまりヴァレリアがルシアン殿下に近づいた本当の理由は——」
「王家の財力で借金を帳消しにするため。聖女の演出はそのための道具です」
ギルベルトの声には怒りが滲んでいた。十六歳の少年は、この不正に対する義憤を抑えきれないでいる。
三つ目の書類を見て、フィオナの表情が厳しくなった。
モンフォール侯爵家とルミエール商人ギルドの間で交わされた書簡の写し。内容は、ヴァランティーヌ商会への妨害工作の依頼と、その見返りとしてギルドに王都での独占取引権を与えるという約束だった。
「この書簡はどうやって手に入れたの」
「バルトロメの秘書官に知り合いがいます。相当な額の酒代がかかりましたが」
「ギルベルト、あなた学生でしょう。そんなお金どこから」
「お小遣いの三ヶ月分です。必要経費として姉上に請求してもいいですか」
フィオナは苦笑した。弟の行動力には頭が下がる。
三枚の書類を前に、フィオナは考え込んだ。
証拠は揃った。ヴァレリアが偽聖女であること、モンフォール家が借金のためにルシアンを利用していること、商会への妨害が私的な陰謀であること。すべてを暴露すれば、ヴァレリアは失脚する。
しかし今はまだ使わない。
「この証拠は保管しておくわ。今すぐ使うのは得策じゃない」
「なぜですか。今すぐ国王陛下にお見せすれば——」
「今の段階で出しても、王家はもみ消そうとするかもしれない。ルシアン殿下の面子がかかっている。国王も、息子の婚約者が詐欺師だとは認めたくないはず」
フィオナの声は冷静だった。前世の経験が教えている。不正の告発は、タイミングがすべてだ。早すぎれば握り潰され、遅すぎれば手遅れになる。
「もう少し証拠を集めてほしい。特にモンフォール家の借金の詳細——債権者の名前、担保の内容、返済の滞り具合。それと、ヴァレリアが王宮で使っている費用の明細。王家がどれだけの金を彼女に費やしているかが分かれば、国王を動かす材料になる」
「分かりました。でも姉上、ヴァレリア嬢がこれ以上姉上の商会を妨害してきたら——」
「そのときはこの証拠を盾にする。でも今は、あくまで保険よ」
ギルベルトは不満げだったが、最終的には頷いた。姉の判断を信じることにしたのだ。
その夜、フィオナは書斎で一人、窓の外の王都の夜景を見つめていた。
ヴァレリアの正体が分かった今、フィオナの胸にあるのは怒りよりも複雑な感情だった。
偽聖女で王妃の座を手に入れようとする侯爵令嬢。その裏にあるのは、一万枚の借金という家の重荷。ヴァレリアがこんな大胆な詐欺に手を染めたのは、追い詰められていたからだ。
だからといって許されることではない。王家を欺き、フィオナの商会を潰そうとした。ルシアンを利用し、国の将来を危うくしている。
しかしフィオナは知っている。人は追い詰められたとき、最も危険になる。ヴァレリアを追い詰めすぎれば、彼女は何をするか分からない。
慎重に。一手ずつ。
フィオナは帳簿を開いた。通商条約の調印準備を進めながら、同時にヴァレリアへの備えも固める。二正面作戦は負担が大きいが、今はやるしかなかった。
ペンを取る手は、微かに震えていた。けれどフィオナはそれを握りしめ、最初の一文字を書き始めた。




