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シンデレラ・リアリズム  作者: Aschenputtel
13/14

13.真夜中の鐘

王城の喧騒から少し離れた一角。豪奢なサロンのソファにぐったりともたれかかるルートヴィヒ王子は、襲い来る頭痛を堪えるように眉間を揉んでいました。両脇にぴったりと張り付いた令嬢たちの高い声が、彼の耳を素通りしていきます。


「こんなになるなんて、おいたわしいですわ、殿下」


「全く、あの令嬢は何時間も殿下をダンスに付き合わせるなど、どういう教育を受けているのかしら。不届き極まりますわ」


扇で顔を隠しながら、うんざりしたように語り合う彼女たちの声には、心配よりも先んじる自己顕示の欲が含まれていました。特に、片側に座るパメラという娘は、ここぞとばかりに身を乗り出してきます。


「そんな事より殿下、わたくしパメラを妻にして頂ければ、フランスの宮廷と繋がりを持つことができますわ。この国の更なる発展のためには、伝統と格式高い家との結びつきが必要ではないかしら」


ルートヴィヒは、差し出された銀の杯に宿る琥珀色のワインに口をつけ、乾いた喉を潤しました。その瞳には何の感情も灯っていません。


「ああ、そうですね。僕もフランスとの繋がりは大切だと思っています」


彼の心がこもらない生返事すら、彼女たちには都合の良い肯定と聞こえたようでした。きゃあきゃあと黄色い声を上げ、交互にルートヴィヒの袖を引きます。


「妹のパメラは美しく、フランス仕込みの礼儀作法も完璧。社交界の花として手元に置くのは、殿下の将来にとって大きな利益になるでしょう。ですが、わたくしマリエルなら王妃としての実務を過不足なくこなせますわ。同じフランスとの繋がりなら、わたくしをお選びくださいませ」


競い合うマリエルとパメラの言葉を聞きながら、ルートヴィヒは疲労で混濁していく思考の中で、全く別の影を追いかけていました。

それは、今しがた会場から忽然と姿を消した、一人の異質な女性の残像でした。

あの女性なら、自分という王族の肩書きにすら決して媚びないでしょう。王妃の座に就いたとしても、周囲の老獪な貴族たちに屈することなどあり得ないはずです。


政治の道具としての婚姻ではなく、初めて本音で、一人の人間として対等に話せる相手。

ルートヴィヒは、自分の隣に毅然と立ち、居並ぶ全ての貴族と自分すらも、その鋭い緑の眼光で屈服させる姿を思い浮かべました。

灰でくすんだ金の髪を持つ、冷利で美しい女王。彼女の記憶が胸の奥を焦がし、王子の唇には無意識のうちに、熱を帯びた微笑が浮かんでいました。


その頃、城の裏手に広がる庭園では、夜の闇を切り裂くように激しい足音が響いていました。ヘルガは身を翻し、王城の兵たちの追跡を逃れようとしていました。


「そこの令嬢、お戻りください!」


背後からの制止の声に、ヘルガは走る速度を落とさずに小さく舌打ちをしました。

このまま一刻も早く家に帰らねば、残してきた部屋の掃除が終わりません。そうなれば、傲慢な継母エレオノールが不審に思い、烈火の如く怒り狂うのは目に見えていました。その過程で、アンナが目を盗んで隠していたこのドレスや靴が見つかれば、今度こそ全てを処分され、灰の中に引き戻されるでしょう。


走りながら、ヘルガの思考が回り始めます。そもそも、舞踏会は退出すら自由なはずです。一介の令嬢を、これほど執拗に足止めする謂れはありません。


「さては……私を目障りに思ったどこかの貴族家が消しに来たわね」


幼い頃、母ヨハンナを亡くして以来、使用人たちから生き残るための術を叩き込まれてきたヘルガにとって、これは聞き慣れた陰謀の気配でした。

このまま兵にのこのことついて行けば、人目のない場所で雇われた屈強な荒くれ者に囲まれ、拉致された上で、二度と社交界に戻れぬような致命傷を負わされるに違いありません。

ヘルガはぴたりと足を止め、振り返って淑女の礼を取りました。


「この後、大切な用事がありますので、本日は帰らせていただきます」


「え? なんと?」


兵士がその場違いな丁寧さに毒気を抜かれた瞬間、ヘルガの瞳が鋭く細まりました。


「押し通ります」


地を蹴り、二人の兵のわずかな隙間をすり抜けます。しかし、夜露に濡れた石床で無理な機動をした瞬間、足元から嫌な断裂音が響きました。


「ちょ、待ちなさい!」


叫ぶ兵の声が遠ざかる中、ヘルガはドレスの裾を掴み、大階段を二段飛ばしに高速で駆け下りました。しかし、限界を迎えていた右のガラスの靴の固定具が、ついに派手な音を立てて千切れ飛びます。

靴は階段の途中に横たわるように転がりました。振り返れば、松明を掲げた兵たちがすぐそこまで迫っています。


「回収は無理ね」


一瞬の躊躇もなく、ヘルガは靴を見切りました。階段を降り切ると、闇に繋がれていた馬の綱を断ち切り、その背へと鮮やかに飛び乗って家路を急ぎました。

背後からは、なおも追い縋ろうとする複数の蹄の音が迫ってきます。


「シッ!」


鋭い呼気と共に、ヘルガの手から礫が放たれました。夜の闇を正確に穿った石は、追っ手の先頭を走る兵の兜を直撃し、大きな鐘のような音と共にその身体を馬背から叩き落としました。


「くそッ、ヨハンがやられた! 何なんだ! あれを令嬢と思うな!」


「しつこいわね」


いきり立つ兵たちの罵声を聞きながら、ヘルガは忌々しげに眉を顰めました。これ以上馬で走れば足がつく。そう判断した彼女は、走る馬の背の上にふわりと立ち上がりました。

そのまま、貴族街を囲む高い石塀へと跳躍します。トマスたちに仕込まれた身のこなしは、重いドレスを纏ってなお衰えていませんでした。まるで猿のように、しなやかに木々を渡り、壁を乗り越え、気配を消してゆきます。


「そこの梨の木に隠れているかもしれん、切り倒せ!」


「鳩小屋だ! 破壊してでも探し出せ!」


遠ざかっていく兵たちの的外れな怒号を背に聞きながら、ヘルガは闇に紛れて実家の屋敷へと滑り込みました。

素早く襤褸服へと着替え、きらびやかなドレスを祭壇の奥にある秘密の場所に隠します。冷えた夜気を深く吸い込み、ようやく一息ついたヘルガは、手についた煤を顔に塗り直すと、何事もなかったかのように、やり残していた床の雑巾がけを再開するのでした。

⭐︎リアリズムポイント⭐︎

原作では、サンドリヨンは王子の追跡に、アグレッシブにも木に登り、鳩小屋に隠れ、襤褸を纏い逃げ切ります。

原作において梨の木を切り倒し、鳩小屋を破壊したのは父親でした。

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