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シンデレラ・リアリズム  作者: Aschenputtel
12/14

12.扉は開かれた

華やかなホールの重厚な扉が開き、硬い大理石の床を打ち付けるようなカツリという鋭い音が、一度だけ静寂を破って響き渡りました。

その足音はすぐに、ホール中央に敷き詰められた毛足の長い絨毯に吸い込まれて消えましたが、主役である王子ルートヴィヒが驚きをもって目を向けるには、それだけで十分すぎるものでした。


照明の熱気に満ちた空間の向こう、目に映ったのは、満天の夜空をちりばめた紺色の戦闘ドレスを纏う、気高き天使の姿でした。


「誰だ、あれは。今まで王都のお茶会やサロンで見かけたことも無いが……」


周囲の貴族たちがざわめき立ちますが、誰も答える者など居ませんでした。夜をその身に纏った見知らぬ令嬢は、ホールにいる他のどの女性よりも頭半分ほど背が高く、よどみの無い堂々たる歩調で、真っ直ぐに王子の元へと進んできます。


「ベネツィアのショピンか?」


ルートヴィヒがとっさに思い描いたのは、南方で流行し始めていた、コルクを積み上げて極端に厚底にした貴婦人用の靴でした。しかし、彼女が歩くたびにドレスの裾からちらりと覗く足元が目に入ると、王子はさらなる驚きに包まれることになりました。


それは、つま先が異様に細長く伸びたプーレーヌでした。しかし、本来は柔らかい革で作られるはずの足の甲の部分が、なんと妖しく光る青緑色のガラスで作られていたのです。さらに驚くべきことに、その尖ったつま先は、柔らかな布や詰め物などで形作られたものではなく、まるで武器のように頑丈で硬い牛革によって、鋭利に尖らせて作られていました。


靴のその他の部分には美しいワイン色の最高級の布が張られ、流麗な金糸の装飾が施されていましたが、歩く際の絶妙なしなり具合を見る限り、内側には驚くほど丁寧になめされた柔らかい革が裏打ちされているようです。王都の気取った職人たちなら絶対に作らない、実用性と狂気的な硬度が同居した、ただただ異質な美しさがそこにはありました。


「殿下、私と踊って頂けますか?」


いつの間にか、その令嬢はルートヴィヒの眼前に立っていました。王子自身、成人男性としてそれなりに背丈は高い方でしたが、目の前の令嬢とは驚くほど真っ直ぐに視線が合いました。


「ああ、いいとも」


吸い込まれそうなほど深い緑の瞳に正面から射すくめられ、ルートヴィヒは半ば圧倒されながら、反射的に美しい宮廷の所作で差し出されたその手を取りました。

その瞬間、手のひらから奇妙な違和感が走りました。白い上品な手袋によって隠されてはいましたが、そこに触れた感触は、決して令嬢の持つようなか細い手のものではありません。まるで硬い木の幹の表面に触れたかのような、驚くべき力強さがそこには秘められていました。


ホールの開いたダンススペースへと進み、ルートヴィヒは令嬢の腰へと手を回しました。その時、彼の指先に伝わってきたのは、女性特有の柔らかな脂肪の感覚では決してなく、大樹のようにみっしりと中身が詰まった、強靭に鍛え上げられた強固な腰筋の躍動でした。

所作のすべてはフランスの洗練された宮廷舞踏そのものであり、どこまでも優雅な令嬢に見えます。しかし、手に触れるすべての肉体的現実が、その儚げな外見を真っ向から否定していました。


やがて音楽が始まると、令嬢の目がそれまでの穏やかな水の流れのような光から、獲物を前にした飢えた肉食獣のような鋭さへと一変しました。

ルートヴィヒの手の内で躍動する、鋼のように引き締まった肉体。そして、ターンを繰り返すたびにドレスの開いた背中から覗く、まるで歴戦の騎士のように堂々と隆起した広背筋。


ルートヴィヒはまるで心臓を冷たい手で鷲掴みにされたかのように、全身から大量の脂汗を流し始めました。

もし、この目の前にいる異様な令嬢の気が変わり、僕をここで殺そうとしたならば……きっと次の瞬間には、小枝のようにこの首が容易くへし折られ、無惨な骸を晒すことになるだろう。

そんな恐ろしい想像が、何度も、何度も彼の頭を巡ります。


「殿下、ご気分でも害されているのですか?だいぶ汗でぐっしょりとされていますが」


激しくステップを踏みながら、令嬢からの柔らかく優しい気遣いの声が響きました。


「いいや、大丈夫だ。僕も久々のダンスだからね。貴女のその美しい靴を、うっかり踏んでしまわないかと緊張しているのだろう」


ルートヴィヒが引きつった声を絞り出すと、令嬢はクスクスと鈴を転がすように笑いました。


「問題ありませんわ、殿下。踏まれそうな時は、私が事前にすべて避けますもの」


そう言うと、令嬢は王子を見せつけるように、ステップの速度をさらに一段速くしました。彼女が避ける、と言うのなら、本当にその通りになるだろうという絶対的な確信が、ルートヴィヒの内に芽生えていました。

やがて二人のダンスは、絨毯の敷かれた柔らかな場所を外れ、剥き出しの大理石のエリアへと差し掛かりました。


他の部分の恐怖に気を取られていたルートヴィヒは、ここで初めて足元から響く異常な音に気づきました。

音楽に合わせ、大理石の硬い床を力強くカツリ、カツリと打ち付けるステップ。そして、彼女の足元が動くたびに、重量のあるガラスの塊が空気を切り裂く、ヒュッという小さな風切り音が聞こえてくるのです。


ああ、もし彼女が僅かでもステップを間違えて僕の足を直撃したならば……僕の脚など二度と立てないほどに、粉々に砕け散ってしまうだろう。

そんな最悪の想像の最中、ルートヴィヒの胸の中で早鐘のように鳴り響く心臓は、まるで今にも崩れ落ちそうな不安定な吊り橋を渡っているかのようでした。


あってはならない致命的な怪我の瞬間を妄想するたびに、なぜか胸の鼓動は激しさを増し、王子の頬は恐怖と、そして生まれて初めて味わう奇妙な恍惚という相反する感情によって、真っ赤に上気していきました。

この完璧な強者である女性に、いっそ手折られたい。骨ごと砕かれ、路傍の石の如く冷たい瞳で見下ろされ、あの重厚なガラスの靴で無惨に踏みつけられたい……。


ルートヴィヒの歪んだ妄想は、踊り続けるうちに、すでに自分自身でも取り返しのつかない深淵の領域まで進んでしまっていたのです。

二人が一体となって踊り始めてから、いったい何時間が経過したでしょうか。突如として、王宮の大きな鐘の音が、真夜中の十二時を告げる重々しい響きを鳴らしました。


「まあ……もうこんな時間ですね。大変名残惜しくはありますが、私は家に戻らねばなりません」


十二時の鐘の音を聞いた途端、令嬢はハッと表情を変え、ステップを止めました。ルートヴィヒの腰から、そっと離される強靭な手。その瞬間、王子の心には耐えがたいほどの強烈な喪失感が襲いかかりました。

引き止めようと手を伸ばそうとしましたが、数時間におよぶ心身共に高負荷なダンスにより、王子の膝は生まれたての子鹿のように激しく震え、喉は完全に枯れ果てて、まともな言葉を紡ぐことすらままなりません。

令嬢は別れを告げるや否や、まるで戦場を駆ける風のような凄まじい速さで、ホールの出口へと走り去っていきました。


「誰か……あの彼女を……引き止めてくれ……」


ルートヴィヒは、駆け寄ってきた旧友の貴族に倒れ込むように支えられながら、やっとの思いでそれだけの言葉を紡ぎ出しました。その直後、極限の緊張と疲労、そして強烈な快楽の余韻に耐えきれず、王子の意識は深い闇の中へと心地よく飲み込まれていったのでした。

⭐︎リアリズムポイント⭐︎

洗練された所作、美しいシルエット、優しい声。その一方で、手や腰から伝わる鍛え抜かれた肉体の感触。さらに足元では凶器に近い重量の靴が飛び交っています。恐怖と高揚が同時に押し寄せる状況は、強烈な吊り橋効果を生み出したのかもしれません。

王子は開けてはいけない扉を開いてしまったのでしょう。

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