11.舞踏会
舞踏会の当日、夕闇が屋敷を包む頃、着飾った継母エレオノールと義姉たちは高笑いを残して馬車で城へと出立していきました。彼女たちの乗った馬車の音が遠ざかるのを静かに見届けると、ヘルガはすぐさま自身の身支度を整えるべく動き出しました。
地下の工房と庭の祭壇から、誰にも見つからぬよう隠し持ってきた装備を回収します。
身に纏うのは、金糸の星々と純白の羽根があしらわれた、夜空の天使のごとき紺色のコタルディ。そして足元には、強固な牛革に青緑色のガラスプレートをガッチリと嵌め込んだ、鈍い光を放つ金とガラスのプーレーヌ。その懐には、国王の名において発行され、自らの手で署名を刻んだ招待状がしっかりと仕舞い込まれていました。
「お母さま、行ってまいります」
ヘルガは母の墓前に、今日のために庭で摘んでおいた可憐な野生の花を供えました。そしてそのうちの一輪を、緩く三つ編みに結い上げた灰金の髪へと静かに刺しました。
すべての準備を終えたヘルガが向かったのは、屋敷の馬房でした。
彼女は壁から重い馬具を手に取ると、かつてトマスから教わった通りの手慣れた様子で、最も体格の良い馬の背に次々と装着していきました。その様子を偶然目撃した、エレオノールが新しく雇った若い馬丁が、血相を変えて慌てて駆け寄ってきました。
「サンドリヨン! お前、一体何をしているんだ!」
「見てわかりませんか? 国王陛下のお召しにより、これから城の舞踏会に向かうのです。……何か問題でも?」
ヘルガが冷然と振り返り、その深い緑の瞳から放たれた鋭い眼光が馬丁を真っ直ぐに射すくめました。あまりの凄まじい威圧感に、馬丁は声も出せずに二歩、三歩と激しく後ずさりました。
「ひっ……し、しかし、奥様の許可がなければ、馬を出すわけには……」
「お義母さまの許可と、我が国のトップである国王陛下の指示、あなたはどちらを優先するというのです?もしや不敬にも、我が国への反逆をお考えですか?
フリューゲル家の令嬢として、この場で不届き者を討伐した方がよろしいかしら」
ヘルガは顔に満面の素敵な笑顔を浮かべたまま、一歩、また一歩と馬丁ににじり寄っていきました。彼女が一歩踏み出すたびに、ガラスの靴の煮しめられた硬い革の靴底が、カツンと床の重い石板を不穏に鳴らします。その圧倒的な武人のごとき覇気に耐えかね、馬丁はついにその場へへたり込んだまま、泡を吹いて白目を剥き、ぴくりとも動かなくなってしまいました。
「あら、ちょっとだけ脅かしすぎてしまったわね」
悪戯っぽく微笑んだヘルガは、襤褸から着替えた戦闘ドレスの裾を翻し、ひらりと逞しい馬の背に飛び乗りました。そして、夜の帳が降りゆく王都の街並みを、迷いのない速度で疾走していきました。
その頃、王宮の煌びやかな大ホールでは、すでに盛大な舞踏会が始まっていました。国の有力者や貴族の年頃の娘たちが、これ見よがしに色とりどりの豪華なドレスを纏い、ホールの中心で王子に気に入られようと、必死のアピールを繰り返しています。
主役である王子ルートヴィヒは、群がる令嬢たちに対して、完璧な笑顔で当たり障りの無い返答を機械的に繰り返していました。しかし、その内面は完全に辟易していました。
「素敵なドレスだね、君の晴れた日の空のように澄んだ瞳の色と、見事に合わせたんだね」
「君のお父上には大変世話になっているんだ。今年もその上質なブドウ畑から取れる素晴らしいワインを、心から楽しみにしているよ」
穏やかな笑みを浮かべた表情と、落ち着いて優しい言葉とは裏腹に、ルートヴィヒの心はまるで鉛を飲み込んだように重く冷え込み、深く沈んでいく一方でした。
正直なところ、ここにいるどの令嬢と婚約しようと同じことだ、と彼は冷ややかに考えていました。彼女たちの背後には、それぞれの一族の利権と思惑の影が色濃く渦巻いているだけなのです。僕は誰かを選んだ瞬間から、その令嬢の一族と、選ばれなかったその他の貴族たちとの醜い利権調整に、生涯振り回されることになるのだろう。
せめて、政治の道具としてではなく、魂の根源から、心から「この女性が欲しい」と激しく乞い願えるような人さえ居れば、この退屈な人生も変わるのだろうか。
ルートヴィヒがそんな絶望に似た諦念を抱いていたその時、運命の重々しい足音は、刻一刻と王宮の硬い大理石の階段を上り、すぐそこまで近づいていたのでした。
⭐︎リアリズムポイント⭐︎
本来なら舞踏会は王妃候補を見定める場であると同時に、王家と諸貴族の利害調整の場でもありました。
王子ルートヴィヒにとっては、恋愛よりも政治的な義務の色が強い催しだったはずです。




