10.ガラスと金の靴
ドレスが完成した次の日の夜、屋敷の人々が寝静まったのを見計らい、ヘルガは地下の薄暗い隠し工房へと潜り込みました。いよいよ、舞踏会へ履いていくための靴を作り始めるためです。
彼女が樽の中から手に取ったのは、かつてこの領主館で飲み干され、打ち捨てられていた古いワインの厚手の瓶でした。くすんだ青緑色のガラスが、炉の炎を透かして妖しく、しかし美しく輝きます。
「アンナ、私に力を貸して」
何年も前に暇を出され、今はどこか遠い空の下にいるだろう心優しい使用人の姿を思い浮かべ、ヘルガは胸の奥で深く祈りました。
あの日、アンナが目の前でやってみせてくれたように、ヘルガはガラス瓶の表面に鉱石の角を強く押し当て、正確な傷の線を入れました。それを炉の火でじっくりと炙り、一気に冷たい水へと浸します。
ピン、という澄んだ硬い音が静寂に響き、ガラスに一本の亀裂が入りました。しかし、水から引き揚げた瓶を見て、ヘルガは小さく眉をひそめました。
「割れ方が不揃いだわ。あの日アンナが作ったペンダントの破片よりずっと体積が大きいから、均一に火が入らなかったのね」
一筋縄ではいかない職人の技に、ヘルガの闘志が燃え上がります。今度はさらに深く傷を入れ、割り折りたい部分だけを狙って炭火でじっくりと炙りました。そして水に浸けるのではなく、固く絞った濡れ布をその部分だけに素早く押し当てて急冷したのです。
パキリという小気味よい音と共に、瓶から見事なガラスの円筒が切り出されました。ヘルガはさらにそれを半円の板状に切り出し、真っ赤な炭火が燃える炉の中へと慎重に安置しました。
「本当は、靴のすべてをガラスで作れたら、おとぎ話のようで素敵なのかもしれないけれど」
炎を見つめながら、ヘルガはふっと自嘲気味に微笑みました。当時の流行である、つま先が細長く伸びたプーレーヌと呼ばれる靴において、現在の技術でガラス加工ができるのは足の甲を覆うプレートの部分だけです。
すべてをガラスで作るなど、王都の高名な職人であっても不可能ですし、そもそもそんなものを履けば、体重をかけた一歩目で粉々に砕け散って足の裏が血まみれになってしまいます。
ヘルガはそんな非現実的な少女じみた妄想を即座に振り払い、ふいごで風を送りながら、熱で角が丸く滑らかになってゆくガラスを冷徹に見つめました。
「もうそろそろね」
十分に熱せられたガラスは、ヤットコで掴めば自重に従ってゆっくりと形を変えるほど、固まりかけの飴のように柔らかくなっていました。ヘルガはそれを、あらかじめトマスの遺品から削り出しておいた自分の足の甲の木型へと押し付け、流れるような動作で成形しました。そして、予熱の残る灰の奥深くへと埋め、時間をかけて除冷させます。
「神様、どうか脆く割れてしまいませんように」
ヘルガは静かに祈りを捧げると、その日の作業を終えて工房を後にしました。
二日後の夜、緊張しながら灰の中から取り出されたガラスプレートは、ひび割れ一つなく、きらきらと蝋燭の炎を反射して美しい曲線を保っていました。
「ガラスの盾はできたわ。次は、靴の本体ね」
作業台の上に用意されたのは、トマスの小屋から回収した頑丈な牛革と、目の詰まった厚手の布でした。煮た革を使って厚い靴底と、あのガラスプレートをガッチリと嵌め込んで固定するための外枠を作り、布で踵やつま先部分を構築して、仕上げに義姉たちの余りの金糸で豪華な装飾を施す計画です。
片足の重量がゆうに2マルク強(五百グラム)を超えるであろう、もはや防具に近い構造の靴。ヘルガはその完成図を脳裏に克明に思い描きながら、革に炭でつけた印の通りに、大きな鋏を迷いなく入れていったのでした。
⭐︎リアリズムポイント⭐︎
現代の童話に書かれるような、全てガラスで作られた靴は、ヘルガが笑い飛ばしたようにこの時代の技術では製作不能です。もし割れないように作るなら、分厚く頑丈に、人間の履ける代物では無くなります。
グリム版の金の靴も同様。重量だけでなく、金属として柔らかいため変形しやすいという問題もあります。金を靴の形に固め、壊れない強度を出すなら人間が履くことのできない重量物と成り果てます。
ヘルガの作った足甲ガラスと金糸の靴は登山靴程度の重量となりました。




