混沌2-2-⑥:喪失の奥に沈む安堵
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祖母が亡くなってから一週間が過ぎた。葬儀は内々で済ませたが、須藤鳴海が焼香に訪れてくれた。どうやら父が連絡を入れたようである。鳴海が施設に祖母に会いに行っていたという話を、聞いていたからだろう。
鳴海は一人ではなく、もう一人女性を伴っていた。その女性は目を引くほど整った顔立ちで、場違いに感じるほどの存在感があった。寧々はその姿を見た瞬間、ある事を思い出す。浩太が以前話していた、美人の検事の事である。もしかすると、この人がその人物なのかもしれないと考えた。
二人は母と同じ凰琳女学院の出身だとのこと。そうであれば、やはり知り合いだったのか。後になって芳名帳を確認すると、「須藤鳴海」の名前の隣に「滝沢桃香」と記されていた。
祖母が死んだ。その事実は理解しているのに、実感が伴わない。元々一緒に暮らしていたわけではなく、常に傍にいた存在ではなかったからかもしれない。それでも、もう会いに行ってもそこにはいないのだと思うと、胸の奥にぽっかりと穴が空いたような感覚が広がる。
祖母は最期の瞬間、寧々を母だと思っていた。以前にも「ごめんね」と言われた事がある。その時も、寧々と母を重ねていたのだろう。
祖母はきっと、寧々の出生の秘密に気付いていた。それでも、それを決して口にする事はなかった。認知症が進んでからでさえ、それは祖母の中で触れてはならない禁忌として残り続けていたのだと思う。だが、寧々にはずっと気になっていた事がある。
祖母は、あの男――山下岳の事を知っていたのではないか。
一度だけ、祖母が「あんな男の為に」と口にした事があった。その時、寧々はすぐに問い返したが、祖母はそんな事を言った覚えはないという顔をしていた。あれは、口にしてしまった事を後悔して誤魔化したのか、それとも本当に記憶から抜け落ちてしまっていたのか、今となっては確かめようがない。ただ、「あんな男」という言葉には、全く知らない存在に向ける響きとは違う、生々しさが含まれていた。
祖母は何かを知っていた。だが、それを誰にも告げる事なく、どんな状態になっても決して語らずに、この世を去った。寧々は目を閉じる。祖母がいなくなった事が寂しくないわけではない。寧ろ、確実に何かを失った感覚はある。それなのに、心のどこかで、安堵している自分がいる事にも気付いていた。
もう、あの口から真実が語られる事はない。不意に漏らしてしまう事もない。その事実に、救われている自分がいる。そして、その感情が初めてではない事も、寧々は知っている。人は、どこまでも自分勝手な生き物なのだと、改めて思う。誰かの死より、自分の保身を考えてしまう。寧々は胸の奥に広がるその黒い感情に、そっと蓋をするように、静かに息を吐いた。
それから父は、月に一、二度ではあるが、寧々と食事を共にするようになった。ずっと願っていた時間の筈なのに、実際にそうなってみると、素直に喜ぶ気持ちと同時に、言いようのない居心地の悪さがある。食事の間、会話が全く続かない事も少なくない。
向かい合って座り、同じ物を口に運んでいるだけの時間が、やけに長く感じられる。何か話さなければと意識するほど、言葉は喉の奥で詰まり、結局何も言えずに終わる。長い間、父と会話らしい会話をしてこなかった事実が、こういう場面で露わになるのだと寧々は思う。
それでも、父が自分の作った料理を口にする様子を見るのは嫌いではなかった。そこにだけは、確かに「家族」という形があるように思えたからだ。だが、その感覚が芽生えた直後、別の言葉が胸の内側から浮かび上がる事がある。
――私はここにいても良いの?私はあなたの娘でいていいの?――と。
その問いは決して声にはならないが、確実に寧々の内側に存在していた。
「ねえ、和。和って、食事は叔父さんと叔母さんと一緒にしているの?」
ある日、寧々は何気ない調子を装って尋ねた。
「そうだけど?どうして?」
和は首を傾げる。
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