混沌2-2-④:父のお歩み寄りー不安と期待
「定義か」
父はその言葉を繰り返す。
「悩みを打ち明け合ったりとか、そういう事?」
寧々は続ける。父は少し考えるように視線を落とした。
「そういう事もあるかもしれない」
一度言葉を切る。
「だが、多分な。そんな事を意識しなくても、一緒にいられる相手じゃないか」
ゆっくりと続ける。
「いつの間にか傍にいて、気付いたら仲良くなっている。特別な理由が無くても、自然に話が出来る」
父の声は穏やかだった。
「そういう相手を、親友と呼ぶのかもしれない」
「ふーん……」
寧々は曖昧に頷く。
「お父さんには、いるの?」
父は少しだけ言葉に詰まった。
「私は……学生時代には、それなりに親しくしていた友人はいた」
ゆっくりと話す。
「だが、親友かどうかは分からないな。どの友人とも、随分と疎遠になってしまった」
「前にうちに来た、大学時代の友達は?」
寧々は思い出したように言う。
「ああ……彼か」
父は僅かに表情を緩める。
「彼とは、結構仲が良かった。結婚するまでは、よく一緒に行動していた」
「結婚してからは?」
寧々は問いを重ねる。
「……あまり会わなくなったな」
父の声が僅かに低くなる。その言葉を聞いた瞬間、寧々の中で何かが引っ掛かる。以前、その友人、谷原という男が言っていた。父の結婚は、あまりにも突然で驚いた、と。仲の良い友人にさえ、事前に何も話していなかったという事になる。何故、そんな事をしたのか。理由を考えた瞬間、胸の奥がざわつく。父にとっても、結婚は突然決めた事だったのだろう。そして、その理由は――。
寧々は無意識に視線を落とす。考えたくない。認めたくない。それでも、頭の中に浮かんでしまう。その理由は、たった一つしかない。
「最初の赴任先が名古屋というのもあったしな。仕事を始めると覚える事ばかりで、俺だけじゃなくて他のみんなも忙しかったし……」
父はそう言いながら、どこか言い訳を重ねるように言葉を続ける。その声音には過去を振り返る響きがあったが、同時に、それ以上踏み込ませないようにする小さな壁も感じられた。そうして東京に帰ってきて間もなく、あの事件が起きたのだと、寧々は改めて胸の奥で呟く。
「その鳴海さんに、おまえともっと話す時間を持った方が良いと言われたんだ」
父は少し言い淀みながら言う。
「え、あ、そうなんだ」
寧々は頷きながら、須藤鳴海の顔を思い浮かべる。穏やかだが、どこか全てを見透かしているような視線を持った人だった。
「つい、仕事を優先してしまって……寧々は何でも自分で出来ると思って、それに甘えていたのかもしれない」
父の言葉は静かだった。その奥にあるものを測り切る事は出来ない。
――それだけではない。
寧々は心の中でそう呟く。父が自分を避けていた理由は、きっとそれだけではないと分かっている。それでも、その先を言葉にする事は出来なかった。口に出してしまえば、何かが決定的に崩れてしまう気がした。
「だから、その……これからは、もう少しこんな風に話す時間を持とうと思う」
父は視線を伏せながら言う。
「あ……そ、そうなの」
寧々は曖昧に頷く。「ありがとう」と言いかけた言葉は、喉の奥で止まった。父親が娘の共にする時間を取る。そんな当たり前のことに「ありがとう」はおかしい。でも不意にその言葉が浮かんだのだ。
だがやはり、その一言を素直に口にする事に、どこか抵抗があった。嬉しくないわけではない。寧ろ、胸の奥が僅かに温かくなるのを感じている。それでも、長い間こうした時間を持たなかったせいか、どう受け止めれば良いのか分からず、戸惑いの方が先に立つ。
慣れていけば、もっと自然に話せるようになるのだろうかと考える一方で、今までの距離の方が、返って楽だったのではないかという思いも過る。距離が近付けば、それだけ触れてはならないものにも近付いてしまうのではないかという不安が、静かに胸の奥で広がっていく。
あの真実には近付きたくない。誰にも触れられたくない。そう願っているのに、いずれそれは白日の下に晒され、足元から全てが崩れ落ちてしまうのではないかという予感が、拭い切れずに付き纏う。あの男、母を殺したあの男は、もうこの世にはいないというのに、その影だけが今も消えずに残り続けていた。
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