混沌2-2-③:耳残る「恨み」という言葉ーぎこちない団欒
「あ、いや。その……帰り道でケーキを買ってきたから。その……一緒にどうかと思って」
父は照れたように視線を逸らし、片手に持っていた箱を軽く持ち上げる。
「ケーキ?」
思わず聞き返す。こんな事は、今まで一度も無かった。嬉しさより先に、戸惑いが浮かぶ。何かあったのか。どういう風の吹き回しなのかと、無意識に身構えてしまう。
「あ、す、好きじゃなかったかな。確か子供の頃は好きだったと記憶しているが、もう……」
父の言葉は、途中で曖昧に途切れる。その様子が、返ってぎこちなさを際立たせていた。
「あ、ううん。食べるよ。じゃあ……コーヒーでも淹れようか」
寧々は出来るだけ自然に答える。胸の奥にある複雑な感情を、表に出さないように押さえ込みながら。
「あ、ああ。頼む」
父は小さく頷いた。そのやり取りの中に、僅かな温度のようなものが生まれかけている事に、寧々はまだ気付いていなかった。
何となく、お互いにぎこちない空気が流れているのが分かる。寧々がリビングに行き、コーヒーを淹れている間に、父は一度自室へ戻り、着替えを済ませてから再び戻ってきた。その僅かな時間さえ、互いに距離を測っているように感じられる。
何か声を掛けなければならない。そう思うのに、どんな言葉を選べばいいのか分からない。こんな時間は、よその家では当たり前の光景なのかもしれない。だが、寧々と父の間では、殆ど存在しなかったものだ。否、母が亡くなって以来、一度も無かったように思う。
「め、珍しいね。お父さんがケーキを買ってくるなんて」
沈黙に耐え切れず、寧々が口を開く。
「駅前のケーキ屋の前を通ったらな、丁度閉める前だったみたいで」
父は言葉を選ぶように視線を逸らす。
「店の人に、半額で如何ですかって声を掛けられて。それで、つい……」
どこか言い訳のような口調だった。
「へえ、そうなんだ。ラッキーだね」
寧々は軽く頷く。
「あ、ああ」
父は短く答えるだけで、それ以上言葉を続けない。
「お父さん、ブラックで良かったよね?」
寧々はそう言いながら、父の前にコーヒーの入ったマグカップを差し出す。
「ああ、ありがとう」
父はそれを受け取り、両手で包むように持った。その仕草に、まだ落ち着かない気配が滲む。寧々は自分の分のコーヒーを淹れると、向かいに座り、ケーキを皿に取り分ける。フォークを手に取る。だが、すぐには口に運べなかった。妙な気分だ。正直、居心地がいいとは言えない。
目の前に父がいて、同じテーブルに向かい合っている。それだけの事なのに、何かが決定的に違っているように感じる。言葉が見つからない。沈黙のまま、二人は同時にケーキを口に運んだ。
「……おいしいね」
耐え切れず、寧々が呟くように言う。父は一瞬遅れて顔を上げた。
「そうだな」
短い返答。
「お父さん、甘いもの食べるんだ」
寧々は少し意外そうに言葉を続ける。
「結構、好きだよ」
父は視線を落としたまま答える。
「そうなんだ。全然知らなかった」
寧々は小さく笑うが、その声には戸惑いが混じっていた。互いの事を、あまりにも知らな過ぎる。そんな事実が、会話の隙間から浮かび上がってくる。父は暫く黙っていたが、やがてぽつりと口を開いた。
「……この前、須藤鳴海さんと会ったんだ」
不意に出た名前に、寧々は顔を上げる。
「須藤……鳴海さん?」
一瞬、記憶を探る。
「あ、あのお母さんの同級生だったっていう、精神科のお医者様?」
「そうだ」
父は頷く。
「それでな……お母さんの話を、少しした。色々と思い出して……懐かしかった」
その言い方は穏やかだったが、どこか遠くを見ているようでもあった。
「あの人、お母さんとは親友だったんだよね」
寧々は静かに言う。
「親友って……どんな感じなんだろう」
ふと浮かんだ疑問を、そのまま口にする。父は僅かに目を細めた。
「寧々には、そういう友達はいないのか?」
「うーん……どうかな」
寧々は曖昧に答える。頭の中に、和や浩太の顔が浮かぶ。だが、親友かと問われると、違う気がした。ただのクラスメイトだと、自分で線を引いている。
「親友の定義って、よく分からない」
寧々は小さく肩を竦める。
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