混沌2-2-①:殺された女ー殺人犯の父親
二.
自宅に帰った寧々は、いつものように一人で夕飯を済ませると、リビングのソファに身を沈め、テレビの前に座っていた。だが、映し出される映像は、目に入っている筈なのに、まるで輪郭を持たない影のように流れていくばかりで、内容は一切頭に残らない。意識は完全に別の場所へと引きずられていた。
――今日、学校で聞いてしまった会話。
買い出しから戻ったあの時、偶然耳に入った浩太と和の言葉が、何度も何度も頭の中で反芻されていた。
「うちの母親を殺した本当の犯人は、あの女だと思っている」
最初に耳に飛び込んできたのは、浩太のその言葉だった。寧々は思わず足を止め、隣にいた朝陽の顔を見た。朝陽は僅かに眉を顰め、人差し指を唇に当てる。その仕草だけで、今は口を挟むなと制されたのだと理解出来た。
(何の話だろう)
そう思ったが、朝陽は既に何かを知っているのではないか、という気配が伝わってきた。浩太の母親の事件については、以前に大谷優斗から聞かされていた。犯人として浩太の祖母が逮捕され、刑に服したという話だった筈である。
それにも拘らず「本当の犯人」という言葉が出てくる意味が分からない。祖母は、やっていないという事なのか。それとも、別に隠されている事実があるのか。そもそも、どういう流れでそんな話になったのかも分からない。
浩太は直ぐに「今のは忘れてくれ」と和に言っていた。しかし、和ははっきりと首を横に振り、無理だと答えていた。そのやり取りが妙に生々しく、寧々の胸に引っ掛かる。
(そりゃそうだ)
寧々は小さく息を吐く。あんな言葉を聞いて、忘れられる筈がない。「あの女」とは、一体誰なのか。和はその後、低い声でこう言っていた。
「うちの父が、その女を殺した」
浩太は母親が殺された話をし、和は父親が人を殺したと言う。それは、日常の延長線上にある会話ではなかった。高校生同士の雑談としては余りにも重く、現実からかけ離れているように感じる。まるで、現実の皮を被った何か別の世界の話を覗き見てしまったかのような、不気味な感覚が残った。会話の中で、その「あの女」の名前が出ていた。
確か、「みよしきょうこ」。寧々は記憶を辿るように目を細める。断片的に聞いた話を繋ぎ合わせると、その人物は浩太の父親に想いを寄せていたが、叶わずに一度は姿を消した。その間に和の父親と出会った。
しかし、再び現れ、邪魔になった浩太の母親を殺し、その罪を祖母に着せた。まるでサスペンスドラマの筋書きのようで、現実感が薄い。だが、浩太の声に抑えきれない感情が込められていた。疑念と不気味さが、胸の奥で静かに絡み合う。
寧々は立ち上がり、自室へと向かった。机の前に座り、パソコンを開くと、迷う事なくキーボードに指を置く。「みよしきょうこ」と入力し、検索を掛ける。結果は、驚く程あっさりと表示された。実在する事件だった。画面に映る記事を見つめながら、寧々は無意識に息を詰める。
三芳梗子――昨年の秋に殺害されている。通勤帰り、自宅近くのアパート付近で何者かにより撲殺。そして、その犯人として、二週間程前に男が逮捕されていた。
岡野保人。名前の横に表示された顔写真に、寧々は視線を固定する。気弱そうな表情。どこにでもいそうな、ごく普通の中年の男に見える。その外見と「撲殺」という言葉の重さが、どうしても結び付かない。
(この人が、和の父親?)
そう考えると、胸の奥に鈍い違和感が広がる。写真を見比べるようにして、和の顔を思い浮かべる。あまり似ていない。何故、この男は三芳梗子を殺したのか。浩太の言葉が、再び蘇る。
「本当の犯人は、あの女だ」
その意味を、どう受け止めればいいのか分からない。あの時、寧々が朝陽の顔を見ると、朝陽は何も言わず、ただ静かに頷いていた。その仕草が妙に印象に残っている。否定も肯定もせず、それでも理解している者の頷きだった。
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