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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第四章 混沌(こんとん)

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混沌1-3-⑭:逮捕の現実ー崩れていく日常

「ああ、それは吃驚したって言っていたわ。でもね……何か違っていた気がするのよ」

「違っていたって?」

「上手く言えないのだけれど。母親を殺したのが岡野さんだったっていう事に驚いた、という感じではなかったの。むしろ岡野さんが捕まったという事自体に驚いている、そんな印象だったわ」


鳴海は自分でも説明の難しい違和感を言葉にしながら、今日の依智伽の表情を思い出していた。あの子は確かに「驚いた」と言った。けれどその言葉の奥にある感情は、世間一般が想像するものとは少し違っているように思えたのだ。


「母親が誰に、何故殺されたのかっていう事には興味を持っていないの?」

「そんな感じね。自分の為に母親を殺したのかな、とは言っていたけれど。だからって、それを喜んでるわけじゃない。理解できない、って感じ?ただ、岡野さんに『お母さんなんか死ねば良い』って言った事があるとは言っていたわ」

「随分過激ね。岡野には少しは感情的になっていたっていう事かしら」

「感情的というより……言葉を選ばないで喋れた相手、という事じゃないかしら。あの子にとって岡野さんは安全な存在だったのよ。怒られる事も、否定される事もない。だから余計な遠慮をしないで、思ったことをそのまま口にしていた?みたいな」

「その子にとって岡野は無害って事?」

「多分ね、そういう位置だったのだと思うわ」


桃香は受話器の向こうで少し笑った。


「無害ねえ。子供なのにそんな事考えるの?」

「子供だから無意識に感じ取るのよ。自分にとってその人がどういう存在なのかをね。特に愛情に恵まれない環境で育った子は、相手の空気や態度にとても敏感になるものなの」


鳴海の脳裏に、依智伽のあの落ち着き過ぎた表情が、ふと頭に浮かぶ。


「そういうもんなの?」

「子供って案外、大人をよく見ているのよ。大人が思っているよりずっとね」

「成程ね」


桃香は感心したように呟いた。


「それで、岡野さんはどんな様子なの?」


鳴海が遠慮がちに尋ねると、桃香は軽く息を吐き、肩の力を抜くようにして答えた。


「相変わらずよ。黙秘を続けているみたい」

「完全黙秘でも起訴って出来るの?」


鳴海の問いには、不安と戸惑いが混じっていた。桃香は少し視線を落とし、言葉を選ぶようにしてから答える。


「そうね……。難しいと言えば難しいわ。でも、前例が全く無いわけではないの」


そう言ってから、桃香は静かに続けた。


「物証が揃っていれば、本人が黙秘していても、或いは否認していても起訴は可能よ」

「物証があったの?」


鳴海が思わず身を乗り出す。だが桃香はすぐに小さく首を振った。


「それには答えられないわ」

「あ……そうよね。ごめん」


鳴海は慌てて言葉を引っ込める。少しの沈黙が流れた。


「でも、もし無罪だったとして……」


鳴海は躊躇いながらも続けた。


「この先、無事に釈放されたら、また元の生活に戻れるのよね?」


鳴海もまた、岡野が梗子を殺したとは思えずにいた。その思いは声の端々に滲んでいた。桃香はすぐには答えなかった。ほんの少しだけ間を置き、現実を突き付けるように口を開く。


「起訴に値する証拠が不十分なら不起訴になるわ」


そして言葉を区切る。


「でも今回の罪状は殺人よ。起訴猶予はまずあり得ない」

「え……」

「不起訴を勝ち取るなら、嫌疑不十分で争うしかないの」


桃香の声は淡々としていたが、その内容は冷酷なほど現実的だった。


「それでも……仮に嫌疑不十分で釈放されたとして」


桃香はそこで一度言葉を止める。


「元の生活に戻れるかと言われると……それは難しいと言わざるを得ないわね」


鳴海は眉を寄せる。

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