混沌1-3-⑪:無邪気な言葉の裏ー正義と罪の境界
「さあ……どうなのかしらね」
「先生、知らないの?」
「私が知るはずもないわ」
「ふーん」
依智伽はまるで値踏みでもするような視線を鳴海に向ける。その視線に、一瞬飲み込まれそうな錯覚に陥る。思わず首を振り、鳴海は出来るだけ自然な声を装い、別の質問を投げかける。
「おじさんの事、心配?」
依智伽はきょとんとした顔をした。
「心配?どうして?」
「どうしてって……」
鳴海は言葉を続けられなかった。依智伽は岡野の事を、自分の父親かもしれないと思っていたはずだ。そう思うなら、心配という感情が湧いてもおかしくはない。だが依智伽の反応は、それとは全く違っていた。まるでその事自体に、大きな意味を感じていないように見える。依智伽は少し考えるように目を細めた。
「もしかして、公園のおじさんが私のお父さんだったりするから?」
「え?」
鳴海は思わず声を上げた。
「先生、そういう事を言ってるの?」
依智伽は鳴海の顔を覗き込む。
「でも、もしそうだとしても、それって何か関係ある?私がおじさんを心配する理由になるの?」
「それは……」
言葉が続かない。
「先生は知ってるの?」
依智伽はさらに問いかけた。
「あのおじさんが、私のお父さんかどうか」
少し間を置いて、もう一度聞く。
「あのおじさん、本当に私のお父さんだったの?」
鳴海は答えられなかった。安易に「そうよ」と言う事は出来ない。岡野は今、殺人の容疑で拘束されている身だ。そんな人物を、あなたの父親だと言い切る事には強い抵抗があった。鳴海は問いを返した。
「花音ちゃんは、そういう風に感じていたの?」
依智伽は少し考えてから答えた。
「うーん……ちょっとだけね。だって、他人はあんなに親切にしてくれないんじゃないかなって思ったし」
指先で膝を軽く叩きながら続ける。
「でもね、単に子供が好きなだけだったのかもって思ったり、私が可哀想に見えたのかなって思ったり、よく分からなかった」
「確かめなかったの?」
鳴海が尋ねると、依智伽は首を振った。
「ちょっと気になったけど……」
首を捻り、依智伽は少し間を置く。
「なんか、どっちでも良いかなって思って」
「どうして?」
鳴海は静かに聞いた。依智伽はあっさりと答えた。
「お父さんでも、親切なおじさんでも、私には同じだから」
「同じ?」
「だって、一緒に暮らすわけじゃないもん。結局は赤の他人と同じ」
依智伽は当然のように言う。
「花音ちゃんは、公園のおじさんがお父さんだったら、一緒に暮らしたいとか思った?」
鳴海の問いに、依智伽は目を丸くした。
「え~、分かんない」
少し笑う。
「そんなの、考えた事ないもん」
「考えた事ないの?」
思わず聞き返す。
「お母さんにいつか捨てられるかもっていうのは、いつも考えていたけど。そしたら私どうなるんだろうって。誰が給食費払ってくれるんだろうかなって思ったし、そうなったら私、飢え死にしちゃうのかなとかね」
この子にとって母親は、給食費を払ってくれるだけの存在だったのだろうか。
「でも捨てられた方がましかもって思う事もあった。いつもお母さん怒っていないかって、ビクビクしないで済むし。お母さんに捨てられたら施設に行けるって分かってら、喜んで捨てられてあげたのに。そういうの誰も教えてくれないから」
依智伽は淡々と話しているが、その内容は幼い子供が口にするにはあまりにも重かった。給食費の心配や飢え死にという言葉が、まるで普通の日常のように依智伽の口から出てくる事にこの子の以前の生活状態が伺える。普通の子供なら考える必要のない事を、ずっと一人で考えてきたのだろうと鳴海は思った。
「もしお母さんに捨てられたら、そのおじさんが一緒に暮らしてくれるかもとか思わなかったの?」
鳴海は出来るだけ穏やかな声で聞いた。依智伽はすぐに首を横に振る。
「思わないよ。他人だもん。それにおじさん、そんなにお金持ちそうじゃなかったし」
あまりにも現実的な返答に、一瞬唖然とする。依智伽は夢物語のような想像をしていたわけではない。子供らしい希望よりも、現実の条件を先に考えている。
「でも、もしお父さんだったらって考えた事もあったのでしょう」
鳴海がそう言うと、依智伽は少し首を傾げて鳴海の顔を見た。
「だったらって?」
言葉を切って依智伽は鳴海を正面から見据える。
「だったらって何?それって願望だよね?私、あのおじさんに何も望んでない。お父さんだったら何か良い事があったの?」
依智伽の瞳が、真っすぐに鳴海を見る。
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