混沌1-3-⑨:少女の口から語られる母の罪ー命の価値
「簡単にって?」
鳴海は思わず聞き返す。梗子の事を言っているのだろうか。梗子はある日突然、何者かによって命を奪われた。朝には元気に家を出た人間が、夜には物言わぬ遺体となって帰ってくる。依智伽は、そういう残酷な現実を既に経験している。
「簡単は簡単だよ。お母さんがそう言っていた」
「お母さんって、梗子さんの事?」
「うん」
依智伽はあっさり頷いた。
「梗子さんは、そんな事を言っていたの?」
「うん。あのね、前に先生聞いたでしょう。お母さんが浩太お兄ちゃんのお母さんを殺したと思うかって」
「あ、え、ええ」
鳴海は一瞬言葉に詰まった。
「前はね、お母さんならやったかもしれないって答えたけど」
依智伽はそこで少し間を置いた。
「今は違うよ」
「違うって?」
「やったかもじゃなくて、やったと思う」
依智伽は迷いのない口調で言った。
「お母さんは浩太お兄ちゃんのお母さんを殺したんだよ。浩太お兄ちゃんのお父さんと結婚したくて、お母さんは邪魔な物を排除したんだよ」
依智伽の声は淡々としていた。
「でも、排除してもお母さんの思い通りにはならなかった。お母さんは欲が深いからだよ」
「欲が深い?」
鳴海は思わず聞き返した。
「うん。自分が欲しい物を手に入れる為に人を殺したんだから。それってやり過ぎだよね」
鳴海は一瞬、言葉を失った。まるで大人と話しているような錯覚に陥る。喋り方は小学生らしい。しかし、語っている内容はとても小学生のものとは思えない。
しかも依智伽は、こうした話を表情一つ変えずに語っている。淡々としているが故に、却ってその内面が読み取れない。この子の心の中には、一体どのような感情が渦巻いているのだろう。
「いくら邪魔でも殺しちゃいけないよね?」
「どんな理由でも、人を殺す事は許される事じゃないわ。命はとても大切な物なのよ」
鳴海はゆっくりと言った。
「どんな命でも?」
その言葉を聞いた瞬間、依智伽の表情に微かな変化が起こった。今まで平坦だった瞳の奥に、何か別の感情が浮かんだように見える。その変化が何を意味しているのか、鳴海にはよく分からない。
「本当にそう?」
依智伽は念を押すように言葉を重ねる。
「勿論よ」
鳴海は迷いなく答える。
「……ふーん」
依智伽は小さくそう言った。そして探るような視線で、鳴海の顔をじっと見つめた。
「そうなんだ」
鳴海は静かに相槌を打った。
「花音ちゃんは、公園のおじさんにお母さんなんか死んじゃえば良いって本当に言ったの?」
依智伽は少し視線を上に向け、記憶を辿るように考える仕草を見せた。
「うーん。本当はよく覚えていない。でも、言ったような気がする。それも悪い事?」
その問い方には責められる事を恐れる響きはあまり無く、純粋に確認しているだけのように聞こえた。
「それは……良い事とは言えないわ」
鳴海は慎重に言葉を選んだ。
「でも、言葉だけなら罪にはならないわ。言葉にするだけで気持ちがすっきりする事もあるから。言葉を吐くことと行動に移すことには雲泥の差がある。それに心の中で思う事は誰にも止められないし、仕方のない事もあると思う。それを咎める事は出来ないわ」
虐待されていた子供が、その苦痛から逃れる為に虐待していた親の死を望んだとして、一体誰がその子を責める事が出来るだろう。それがその子にとって僅かな希望の光だったとしたら、それはあまりにも悲しい現実だ。けれど、そんな現実がこの世には確かに存在している。
或いは、まだ親の死を願う事が出来る子供の方が救いがあるのかもしれない。理不尽な虐待を受けているにも関わらず、自分が悪いのだと思い込んでしまう子供もいるからだ。そういう子は怒りを外へ向ける事が出来ず、全てを自分の罪だと考えてしまう。
自分は生まれてきてはいけなかった子供なのだと信じ込み、自分の存在価値そのものを否定してしまう子供も少なくない。中にはその苦しさに耐えきれず、自傷行為に走る子もいる。
依智伽の場合は、梗子の死によってその呪縛から解放された。少なくとも表面的にはそう見える。もし岡野が本当に梗子を殺したのだとしたら、依智伽は岡野の事を自分を救った存在のように思ってしまうのだろうか。そんな考えをこの子に抱かせてはいけない。それはあまりにも危うい救済だからだ。鳴海は一度息を整えてから、依智伽に問い掛けた。
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