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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第四章 混沌(こんとん)

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混沌1-3-⑧:依智伽の母ー拭えない違和感

「でもね、一回目の結婚は本当の結婚じゃなかったって言っていた」

「本当の結婚じゃなかったって?」


鳴海は眉を寄せる。依智伽は言葉を探すように少し考えた。


「えっとね……何か、男の人が好きな人だったんだって」


依智伽は少し困ったように笑う。


「でも凄く良い人で、結婚生活は楽しかったって言っていた。そういうの、よく分からないけど」


鳴海は内心で納得した。最初の夫は男色であったという事なのだろう。夫婦としての関係は形式的なものだったのかも知れない。しかし、人間としては誠実で優しい人物だったということか。しかし依智伽の母親はそんな話まで依智伽にするのか。


「お母さんは花音ちゃんに、そんなお話をするの?」


鳴海が尋ねると、依智伽はあっさりと頷いた。


「うん。何でも話すよ」


そう言ってから、少し声を落とした。


「あ、でも他の人には秘密よって言っていた」


依智伽は鳴海を見上げる。


「でも先生は大丈夫だよね。守秘義務あるもんね」

「そうね」


鳴海は静かに答えた。依智伽は思い出したように、ふと声を上げた。


「あ、それとね」


鳴海が顔を上げる。


「二回目に結婚した人は、殺されたらしいよ」


依智伽はまるで他人事のような調子でそう言った。


「去年、警察の人が来ていた」


そう言いながら、依智伽は笑った。その笑顔は、やはり梗子にどこか似ている。鳴海はその表情を見て、胸の奥に小さな違和感を覚えた。


「お母さんは……前の旦那さんが殺されて、悲しそうだった?」


鳴海は慎重に尋ねた。


「ううん」


依智伽は首を振った。


「全然気にしてなかったよ」

「全然?」


鳴海は思わず聞き返した。それはつまり、彼女にとっても岳は良い夫ではなかったという事なのだろう。鳴海は過去の記憶を辿った。確か、離婚原因は表向きは浮気だったはずだ。


 しかし、実のところ岳はその浮気相手の娘に執着していた。岳の異常な嗜好を、彼女は知っていたのだろうか。それにしても、自分が結婚していた相手が殺されたというのに、全く気にしていないというのは少し首を傾げてしまう。そう言えば、多香子も義理の姉の事を、世間ずれしていない人だとか、少し浮世離れしている人だとか。そんな風に言っていた事を思い出す。


 鳴海の周囲には、そういう種類の人間はいない。その為、どのような人物なのか具体的に想像する事が難しかった。


「それで」


鳴海はゆっくりと話題を戻した。


「花音ちゃんは、梗子さんを、お母さんを殺した人が捕まってホッとした?」


鳴海の問い掛けを聞くと、依智伽は小さく首を横に振った。その仕草は迷いのない、はっきりとした否定だった。


「別に。吃驚はしたけど。だって……」


途中で言葉を止め、依智伽は鳴海の顔をじっと見上げた。何かを確かめるような、探るような視線だった。


「あれ、公園のおじさんだよ。テレビでお母さんを殺した人の顔が映ってた」


依智伽は岡野の顔を思い浮かべるような表情をしてそう言った。やはり捕まったのが岡野だと気付いていたのだ。無理もない。依智伽は梗子が殺される前まで、岡野と何度も公園で会っていたのだから。


「どうして公園のおじさんがお母さんを殺したの?」


依智伽は小さく首を傾げながら鳴海に尋ねる。その仕草は年相応の少女そのものだったが、質問の内容は重く鋭い。


「それは……私にも分からないわ」


鳴海は慎重に言葉を選びながら答えた。


「もしかして私の為?」


依智伽は何気ない口調でそう言った。


「どうして花音ちゃんのお母さんを殺す事が、花音ちゃんの為だって思うの?」


鳴海は驚きを隠さず問い返す。


「私、いつもおじさんに言っていたから。お母さんの事、大っ嫌いだって。死ねば良いのにって言った事もあると思う」


依智伽は少し視線を落とした。


「人は、そんな簡単に人を殺したりしないわ」


その言葉を聞くと、依智伽は不思議そうな顔をして鳴海を見る。


「そう、かな?」


小さく呟いたその声には、疑問が滲んでいた。その時の依智伽の表情は、鳴海にはどこか奇妙に見えた。そして心臓がドクン、と波打つのを感じた。


「でも、人って簡単に死ぬよ」


そう言うと、依智伽はニッと笑った。その笑顔はどこか歪で、鳴海にはまた梗子の笑顔と重なって見えた。

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