混沌1-3-⑥:壊れたままの心と、消えない疑念
「殆ど無反応だったそうよ」
「無反応?」
鳴海は思わず聞き返した。両親が死んだと聞かされて、無反応。普通の子供なら泣き出しても不思議ではない。言葉を失うとしても、何かしらの感情が表に出る筈だ。それなのに、無反応。その言葉の重さが、鳴海の胸の奥に静かに沈んでいった。
「驚きも泣きもしなかったって。元々あまり喋らない子だったみたいで、施設に来てからも特に問題になる様な行動も起こさなかった。施設の者からすると、あんな事件を起こした子だなんて思えないくらい大人しい子だそうよ。家族はもう、あの子にとってはとっくに他人なのかも知れないわね」
桃香はそう言って小さく息を吐いた。
「そう……。事件にお姉さんが関与しているかも知れないって事は?」
鳴海は慎重に問い掛けた。声は静かだったが、その奥には探る様な緊張が滲んでいた。
「それもニュースで仄めかす様な事を言っているから、一応耳には入れたみたいよ」
「その時も、やっぱり無反応だったの?」
鳴海の問いに、桃香は少しだけ首を傾げてから答えた。
「それが……ほんの微かだったけど、笑った様に見えたって」
「笑った?」
鳴海は思わず聞き返す。
「まあ、見間違いかもっていう程度の話らしいの。だから本当に笑ったのかどうかは怪しいみたいだけど……そんな風に見えたって聞いたわ」
ずっと家族に虐待されてきた子だ。その家族が不幸な目に遭っても、悲しいという感情が湧かないのは仕方ないかもしれない。笑ったという話も、強ち見間違いではないのかも知れない。表面上、何事もないように振る舞っていても、その子の心はまだ壊れたままなのだろう。
長い年月、家族に虐待されている事を周囲に隠しながら生きて来たのだ。どんな思いだったのだろう。外で幸せな家族を演じていた時、その胸の奥では何を感じていたのか。そして母親に刃を向けたあの瞬間、その心の中では何が起きていたのだろうか。鳴海には想像する事しか出来ない。
世の中には、そんな子供がまだ沢山いるのだろうか。助けを求める声を上げる事すら出来ないまま、誰にも気付かれず傷付いている子供達が。どうすれば、その子達の心を少しでも癒す事が出来るのだろう。
考えても答えは見つからない。鳴海は、自分が何も出来ない事に強い悔しさを覚えた。同時に胸の奥に重たい悲しみが広がっていく。
それにしても、岡野は本当に梗子を手に掛けたのだろうか。それとも、何もしていないのだろうか。警察が曖昧な情報だけで逮捕に踏み切るとは思えない。だとすれば、岡野がその場に居た可能性は十分にある。梗子が殺された場所は確か、依智伽と岡野が会っていたというあの公園のすぐ傍だった筈だ。
もし岡野が依智伽に会いに行っていたのだとしたら。あの場所で梗子に出くわす可能性も、決して否定は出来ない。鳴海の胸の中で、疑念がゆっくりと形を取り始めていた。
もし、岡野が犯人でなくて、そこにいたのならそこは紐解ける、依智伽に会いに行った、それしかない。では、なぜ黙秘しているのか。もしその場から逃げたのが、本当に岡野なら――。
岡野が梗子の話をした時、妙に怯えた様子で落ち着きがなかった事を、鳴海はふと思い出した。その時の彼の態度が頭の中で何度も繰り返される。もしかしたら、岡野は梗子の殺害現場に出くわしていたのではないか。そんな考えが、鳴海の胸に浮かんだ。
岡野は気の弱そうな男だった。殺人現場を目の当たりにして恐怖に駆られ、その場から逃げ出してしまったとしても不思議ではない。しかも、殺されたのが梗子なら自分が疑われるかも知れないという不安が頭を過ぎり、咄嗟に逃げてしまった可能性もある。というか、その方が岡野らしい。
容疑者ではなく、目撃者。
鳴海には、その光景が容易に想像出来た。そう思い至った鳴海は、可能性の一つとしてその考えを桃香に伝えた。桃香はそれを担当刑事に報告したようだ。しかし岡野は、その事についても何も答えなかったという。どうして何も答えないのだろう。岡野はもう、誰の事も信じられなくなっているのだろうか。
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