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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第四章 混沌(こんとん)

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混沌1-3-③:岡野逮捕の裏側―浮かび上がる当夜の足取り

 岡野は昔、暴力事件を起こした過去があるとはいえ、一見すると真面目で善良そうな男だった。気が弱そうで、粗暴な雰囲気は殆ど感じられない。とはいえ見た目が真面目だからといって中身まで同じとは限らない事は鳴海も十分承知している。世の中には外面だけ整えている人間など幾らでもいる。だが岡野と実際に会い、言葉を交わした時の印象から考えると、どうしても殺人を犯した人間とは思えなかった。


 あの時の岡野は、どこかオドオドした様子だった。だがそれは、罪を犯した者の怯えというよりも、本来の気の弱さから来るもののようにも見えた。但し、何かを隠しているのではないか――そう感じたのもまた事実だった。鳴海はその違和感を今になって思い返す。あの時、何か見落としていたのか。


 依智伽の事をあれ程までに案じていた男が、どうしてあそこまで頑なに依智伽を引き取る事を拒んだのか。鳴海は改めてその点に思い至る。岡野は確かに依智伽の将来を気に掛けていた。あの子の境遇を心配し、その行く末を案じている様子は嘘には見えなかった。それなのに、いざ引き取るという話になると、彼は頑なに拒否した。あの拒絶の強さは、今思い返しても不自然だった。


 前科のある身では親の資格など無い、そう思い込んでいたのだろうか。或いは、もっと別の理由があったのか。それが梗子を殺したから、という理由でなかったとも言い切れない。あの時、もう少し踏み込んで話を聞いていれば、何か違う事が分かったかも知れない。今となっては確かめる術も無いが、それでもそう思わずにはいられなかった。夜になり、漸く桃香から電話が掛かって来た。


「岡野の事でしょう」


鳴海が話題を切り出すよりも先に、桃香はそう言った。落ち着いた声だったが、その奥には微かな緊張が滲んでいるようにも聞こえた。


「ええ」


鳴海は短く答える。


「実は私も驚いたのよ」

「知らなかったの?」

「全然。ニュースを見て初めて知ったわ」

「どうして逮捕されたの?何か聞いてみた?」

「ええ。一通りはね」

「話せる?」

「差し障りのない範囲でなら」


桃香はそう言って一呼吸置いた。


「岡野さんは、自分が梗子さんを殺したと言っているの?」


鳴海は思い切って尋ねる。もし自供しているのなら話は早い。だが同時に、それを聞くのが怖い気持ちもあった。


「いいえ。それは言っていないみたい」


桃香は即答する。


「じゃあ、どうして」


鳴海の口から思わず言葉が漏れる。


「目撃者がいたらしいわ」

「目撃者って?」

「岡野が事件当夜、あの場所に居たという証言よ。それで調べてみると、あの日、岡野は仕事の休みを取っていたの」


桃香は事務的な調子で続ける。


「但し、実際には仕事が入ってしまって完全な休みではなく、昼からの半休だったらしいの。その後の足取りを調べた結果、その日のうちに東京へ向かった事は確認が取れている」


鳴海は受話器を握る手に力が入るのを感じた。


「そこから更に行動を追っていくと、事件当夜、やっぱりあの場所の近くにいた事が分かったの」

「近くに?」

「ええ。事件の前に、現場付近のコンビニの前を歩く姿が防犯カメラに写っていたのよ」


桃香はそこで少し言葉を区切った。


「但し、時間的には事件よりも随分前よ。だから、それだけで犯行を断定出来るわけではないのだけれどね」


鳴海は暫く黙り込んだ。岡野は依智伽と頻繁に会っていた。埼玉へ転勤になってからは、以前ほど足繁く会いには行けなくなったと言っていたが、それでも機会を見つけては顔を出していたらしい。だとすれば、あの日も依智伽に会いに行った可能性はある。それで梗子に会った?


 鳴海に会った時、岡野は梗子が事件に遭ったその日、自分があの辺りへ行っていたとは口にしなかった。但し、よく考えてみれば、鳴海に対してわざわざ話す必要は無い内容でもある。だが、もし本当に事件に関わっていたのだとしたら――。


 だからその事実を口にしなかった。そんな考えが鳴海の胸の中に、静かに広がっていく。その可能性を否定したい気持ちは強かった。だが一度浮かんだ疑念は、容易には消えてくれない。

お読みいただきありがとうございます。

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