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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第三章 陰影(いんえい)

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陰影2-1-⑤:真実への扉と疑惑

「でも……もしかしたら、その苦しみが少しだけ和らぐかもしれません」


部屋の空気が変わった。桃香が言葉を続ける。


「あなたのお母さんを殺したのは……お婆さんではなく、別の人物かもしれないのです」

「……え?」

「三芳梗子」


桃香はまっすぐ浩太に向かって言った。


「な、何を……」


呼吸が一瞬、止まったように感じた。自分の心の奥に隠してきた黒い疑念を、真正面から言葉にされた。


(ずっと、そう思っていた。祖母じゃなくて、梗子が母を……)


しかし、そんな思いを誰に話しても信じてもらえない。祖父は刑期を終え、祖母は医療刑務所で生涯を閉じた。“殺人犯”として死んでいった。目の前の桃香は、その司法を背負う側の人間だ。祖母を裁いた側の世界にいる人間だ。そんな人が、今さら……何を言おうとしているのか。


「あんたたちが、おばあちゃんを殺人犯だと決めつけたくせに!」


浩太の声は、自分でも驚くほど荒れていた。思わず口をついて出た言葉に、桃香は反論する気配を見せず、ただ静かに浩太を見つめていた。その視線はまっすぐで、表情に余計な揺れはない。逆にその落ち着きが、浩太の胸をざわつかせた。


「ちょ、ちょっと待ってください。これは……何の話なのですか?」


祖父が声を震わせて問いかける。動揺は隠しきれず、握った拳が小刻みに揺れている。


「澄子が犯人じゃないかもしれない……?い、今、そう仰ったのですか?」


桃香は僅かに眉間に皺を寄せ、小さく頷いた。


「公式の見解ではありません。ですが……そういう可能性が、全く無いとは言い切れない。私がそう思っているのは事実です」

「そ、そんな……」


祖父は糸が切れたように椅子に沈み込んだ。肩が落ち、まるで力が全て吸い取られたかのようだった。


「も、もしそれが本当なら……私は……私は何のために……いや、そんな筈はない。あの時……澄子は包丁を握っていて……その前に希美さんが血塗れで……」

「おじいちゃん……」


祖父の苦しげな声に、浩太の胸の奥も痛んだ。もし祖母が母を殺していなかったと分かれば、どれほど救われるだろう。浩太も、舞奈も、そして父も。けれど同時に、それが叶うはずもない“願い”であることも痛いほどよく分かっていた。桃香は軽く息を整え、静かに言葉を続けた。


「ただ、これは……私の個人的な意見です。あの事件について再捜査が始まるわけでもありません」

「でも……検事さんは、梗子さんを疑っているんですか?さっき“三芳梗子”と言いましたよね」


浩太の問いに、桃香は少し俯き、息を大きく吐き出した。


「……疑わしいとは思っています」


そう言って顔を上げた時、一瞬だけ桃香の瞳が強く光った。真っ直ぐで意思の固さが伺える。吸い込まれそうなその眼差しに、浩太は胸がざわめく。


「浩太さんも、そう思っていたんですか?」

「え……あ、ああ……いえ、それは……」


本当はずっとそう思っていた。しかし、それを口にすることが正しいのかは分からなかった。“もっと大人にならなきゃ。自分が感情的な子供のままでは、あの事件の真相には近づけない。”何度もそう言い聞かせてきたのに、今、目の前には明らかに“扉が開く予感”を持つ大人がいる。


(この人は信用できるんだろうか。下手なことを言って、後で僕や家族が困るなんてことにならないだろうか)


期待と不安が胸の奥で複雑に絡み合った。


「今日は、それを聞きに来られたんですか?でも、検事さんが今扱っている事件と、それがどんな関係があるんです?梗子さんが殺されたことと、母の事件がどう繋がるのか……僕には全然分からないんです」


浩太が真っ直ぐに問うと、桃香はニッと口元を上げた。その笑みは大人の余裕そのものに見えて、浩太の胸に小さな苛立ちが灯る。

お読みいただきありがとうございます。

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