【56】それぞれの夜
※末尾にもう一つの夜の情景を加筆しています
「しくじったか」
深夜の皇王執務室。カイルゼン皇王は神官長フェルス・マルタラと共に、ルビオ・マルタラ上級神官からの報告を受けていた。
「送り込んだ影達は離宮には入れなかったからそのまま戻ったのだと口を揃えて申しておりました。
ですが、小離宮の見張り役を務めた者の証言によると影の一団は小離宮に忍び込んだ後すぐ、自らの足で出て来たと。おそらく、魔法で暗示のようなものをかけられたものかと思われます」
無言のまま、開け放った窓から神域の夜の情景を眺めているカイルゼン皇王に代わり、フェルス神官長がルビオ神官に報告の続きを促した。
「影達にかかった暗示はすでにとけておるのかな?」
「さほど強い暗示ではなかったのか、時間が経つにつれ、影達も離宮で何があったのかを話しまじめました。踏み込んですぐ、香のようなものを焚かれて黒いローブの男に会ったあと意識が不鮮明になったとのことです。
食事の配膳を行った者達は給仕は断られたそうで食事中の様子はわかりません。ですが晩餐の料理はお召し上がりになったご様子だと報告がありましたが……」
「影達が踏み込んだ時には少なくとも黒い魔法使いは眠っていなかったようだね。
本当は食事を口にしていなかったか、もしくは薬に耐性があって効きが悪いか。
いずれにせよより一層警戒されて、同じ手はもう通用すまい。
できれば儀式までの間に、王女殿下には神殿の保護下に入っていただきたかったのだが」
「面目次第もございません……明日、もう一度影の者を送り込んで────」
「もうよい」
ルビオ神官の声に被るようにして、カイルゼン皇王が告げた。
「陛下?」
「これ以上、黒の魔法使いを刺激しても益は無い。
王女一行は、おかしな動きができないよう儀式の際は末席で参列させる。
今はとにかく選定の儀を再度執り行い、次代の宣下を済ませることを最優先としよう。
王女の身柄は儀式まで小離宮に留め置き、監視のみ継続するように」
「……畏まりました。陛下の御心のままに」
背後で神官長たちが退出していくのを聞きながら、カイルゼンは再び闇に沈む神域に目を向けた。
(あの護衛の男……)
フェアノスティからきた王女一行。そのうちの一人、白銀の面で顔を隠した灰茶の髪をした護衛騎士の姿を思い出す。
魔力暴走により顔が爛れ、魔力も失ったという若い男だった。
(そんなはずはない。ありえない)
カイルゼンは自分に暗示でもかけるように繰り返し思う。
怪我のため顔立ちは分からなかった。珍しい薄紫の瞳にも見覚えはなかった。年齢的に見て皇王自身とは親子ほども違うはず。
だがどうしても、その姿や立ち居振る舞いに目が行ってしまった。
半球状の大神殿の大屋根の近くに離宮と呼ぶにはあまりにも慎ましやかな建物があり、彼らが休んでいるはずだ。
「今宵は……いつになく神域の大気がざわついているな」
独り呟くカイルゼンの少し褪せ始めた金の髪を、夜の風が撫でて行った。
* * *
皇王執務室を出た後、フェルス神官長は徒歩で大神殿へと戻りながら考えを巡らせていた。
カイルゼン皇王とその御子は全員があの場に居たにもかかわらず、先の儀式は失敗した。以降、継承の間の扉は未だ妖精の力で閉ざされたままになっている。
(ほんに、妖精というものは扱いがままならん)
今まで、選定の儀に妖精が姿を現したことなど一度たりともないというのに。
儀式をもう一度執り行うためには、妖精が告げた『正統なる後継者を連れて来い』という要求に応える必要がある。そこで皇王カイルゼンの言葉に従い、黒髪の女魔法使いの所在を尋ねる手紙をフェアノスティの王立学園宛に届けさせた。まさか、詳しい調査をする前に薔薇色の目を持つ娘本人が入国してきてしまうとは思わなかったが。
王女は今年十七。マルタラ妃が生んだ第一王子と同い年だという少女は、確かに鮮やかな薔薇色の瞳をしていた。フェアノスティで平民として暮らしていたそうで礼法はまだぎこちないようだったが、確かに彼の面影があるように思えた。
想定以上に早く神域に迎え入れることになったが、すんなりと王女が現れたのは僥倖だったとも言える。あとは王女を伴い再度継承の間を訪い、あらためて選定の儀を執り行って次代の王の宣下をすれば済むのだから。
ただ────その庶子の王女は、たいへん厄介なおまけを連れて来てしまった。
(母親のみならず婚約者までも黒髪の魔法使い、しかもよりにもよってフェアノスティの王弟とは)
魔法使いが多く生まれる国、フェアノスティ王国。その王家に生まれた珍しい黒髪の王子についてはシャルト神殿でもある程度掴んでいた。現国王の末弟にして強い魔力を持つ魔法使い。ただ、公務を担うこともなく王城に引きこもっている変わり者だとか、あまり評判は芳しくない。
国境通過時の測定でもその黒髪の王弟から高魔力の検出は報告されていないし、神官長自らが直接相対した際の印象でもさほど高い魔力を持っているようではないと感じた。
しかし、だ。昨夜王女一行が逗留した国境の街ケッタに数体の魔獣が飛来したが、フェアノスティ王弟が一人で殲滅したため街には被害らしい被害は無かったと現地の小神殿からは報告が上がってきた。国境に送った魔獣は数体などという表現では済まない数だ。街を護る神殿兵がほんの数体と誤認してしまうほど迅速に対処してしまったということだろうか。
(送り込んだあの数の鷲を一掃してしまえるほどの魔法の使い手とは思えぬが、魔力量を悟らせぬように魔力を抑え込んでいるとでも?)
そしてまた今夜も、神殿の影を担う一団の急襲をいとも簡単に退けたという。
薔薇の瞳の王女の申し出を皇王が許可したため、王女の婚約者であるフェアノスティ王弟も選定の儀に列席することが許されてしまった。魔法使いの中には妖精の姿を見、話ができる者もいると聞く。妖精が次代のシャルティア皇王を選ぶ儀式の場で目にしたことについて、魔法使いである黒髪の王弟が何か意を唱えないとも限らない。だからこそ、王女の身柄を魔法使いから引き離してこちら側に取り込み、王女が婚約者の列席を拒んでいると伝えることで彼の者が儀式に参加することを阻みたかった。だが、王女の身柄を押さえる目論見はここまでのところすべて失敗に終わってしまった。
皇王は監視のみを残すと言ったが、ルビオ神官には引き続き、選定の儀までに王女殿下に単独で接触する機会を窺うように指示を出しておいた。やはりできることなら王女の身柄を魔法使いの傍から離して彼が儀式の間に入るのを阻止しておきたい。
(何か目的があって、王女と共にわざわざ神域にまで入り込んで儀式に同席しようとしているのだろうが……さて)
* * *
大神殿側の小離宮の一室。
ヴィーゴが湯を使ったあと部屋に戻ると、ベッドに転がった体勢のアルフレッドが真剣な表情で淡く光る青い糸を空中に浮かべながらレースを編んでいた。この年若い主人の行動はときどき突拍子もないことがある。
「……レッド様、なにしてんすか?」
「服飾魔法……あーっ、またこんがらがった!!」
ヴィーゴが話しかけたことで集中が途切れたのか、ちまちまと編み進んでいたレースが一気に絡まり団子状態になった。
「レッド様、服飾魔法なんて、使えましたっけ?」
「専門外。でも、以前魔法書は読んだことがあったから」
「で、なぜ今それを?」
「………………だって、すごいって、言ってたし」
ベッドの上で体を起こし、空中でさらに大きくなりつつあった青い糸団子を掴んで睨みながらアルフレッドは小さく呟いた。
(あー)
何を言われたかはともかく誰が言ったのかはヴィーゴにも察することができた。ここ最近、主人がその言動に一喜一憂している存在は、一人しかいない。
「今から魔術服飾士にでもなられるおつもりで?」
「そうじゃないけど……なあ、ヴィーゴ」
「はい、なんでしょう?」
「もしも、もしもさ……自分が一緒に居たいって思う人に、要らないし居なくていいって言われたら、どうする?」
「…………」
眉尻を下げ、子供のように口を尖らせ尋ねてくるアルフレッドに、ヴィーゴはなんて答えたものか迷った。
この主人は、幼い頃から他人への対応はひどく淡白な方だった。
公務はほぼ担っていないとはいえ、立場的に人と接する必要がある場面すべてを避けられはしない。そういった席で、彼はいつもその美しい顔に洗練された微笑を浮かべ、近づいて来る者に好悪どちらの印象も悟らせず、言質も与えず、するりぬるりと躱していた。もちろん自分から積極的に交流することなど皆無であったし、誰かに関心を寄せる姿は見たことがなかった。人形のように整った容姿をもつこの王子は、人に対して興味が持てないのだろうかと心配になったこともあったほどだ。
そのアルフレッドが今、一人の少女の態度や言葉によって自分の中に去来する様々な感情にいともたやすく振り回されている。
「その人と、レッド様との関係性によって変わってくると思いますよ?」
「関係性、か……」
「騎士としての俺が上司にこの先の任務にお前は不要だと言われたのなら、その場は引き下がります。理由を聞けそうな場合は聞いてみて、次は必要としてもらえるように足りない部分を補うために一層訓練に励みます。
もしも友人に言われたのなら、やっぱり一旦離れて見守ります。今は一人にしてほしいというなら気持ちが落ち着いたら話をしてくれるんじゃないかなと思うから、それまでは少し離れて見守りつつ待ちますね」
「友達より近い……大事な人、だったら?」
(お?)
これは自覚有りのやつじゃないか、とヴィーゴは思う。薬草店に居るときからそうじゃないかなとは思っていたが、王弟殿下はどうやら本当に恋というものを知ったらしい。
生まれて初めて感じるであろうその感情がなんであるのかちゃんとわかっているのだろうか。この主人のこと、まだ自覚がない可能性もある。だとしたら、その感情に他人が名前をつけてしまったらいけない気がしたのだが、自覚しているのなら杞憂だったようだ。
一人で勝手に抜け出して城下をうろついたり、思いついた魔法や新しく読んだ魔法書にあった術式を試して部屋を吹き飛ばしたりしては叱られていたあの悪戯王子が、大人になったもんだなぁと恐れ多くも親か親戚のような感慨も湧いて来る。いつまでも子供だと思っていたが彼ももう齢20になるのだ。初恋としては遅すぎるくらいだろう。
ヴィーゴは目の前の年若い主人の、照れくさそうな、抱えきれない気持ちを持て余しているような表情に、ふっと笑みを漏らした。
「大事な方なのですね?」
「うん、僕はこの先もずっと彼女の傍に居たい、と思う。
……でも、家族がいればいいから他の人はいらないって、言われちゃって」
ヴィーゴはまた返答に詰まる。
実際には、アシュリーだと勘違いしたメイベルがアルフレッドの黒ローブに縋りつきながらそう零したのであって、面と向かってアルフレッドに言ったのではないのだが。どんなシチュエーションで言われたのか知らないヴィーゴは、あの子がほんとにそんなこと言うかなと訝しみつつも、いつになくしょげている主人になんと言葉をかけたものかとしばし考えた。
「なら、レッド様も家族の範疇に入れてもらえるくらいに、今よりもっとその方の傍に居ればいいんじゃないですかね」
「……いらないって、言われたのに?」
「嫌いだ、顔もみたくないって言われたわけじゃないんでしょ?」
「そっ……そんなこと言われたらって考えただけで、呼吸が止まりそうだ」
両手で顔を覆って唸っている姿は、年相応のというよりも少し幼く見える。遅れてきた思春期そのものだ。若い感情に振り回されぐるぐるした自身の少年時代を思い、ヴィーゴは苦笑しながらも言葉を選んで語り掛けた。
「未来は、今ここに居るレッド様とその方の延長線上でしょう?
この先もずっと、が叶うかどうかはレッド様次第。
とにかく今、共にいることが可能な間は、必要なら支えてあげられるよう寄り添って、出来る限り傍に居ればいいですよ」
それぞれの立場上、余人にはない困難にもぶつかるかもしれない。が、それでもアルフレッドが他者に対して個人的関心を持てるようになったのはいい傾向なのだろう。互いの立場も、この先にある未来についても考えず、せめてこの旅の間だけは自分の心に素直に従ってもいいんじゃないだろうか。
「傍にいることが可能な間は、か」
ヴィーゴの言葉を反復した後、アルフレッドは再び空中でレースを編み始めた。
(だからなんでレースを編んでるんだろ)
やっぱり読めない人だとヴィーゴは思うが、アルフレッドの表情は少しすっきりしたようにも見える。自分と会話したことで少しは主人の心の憂いを取り除くことは出来たのかもしれない。
「ほどほどにして、もう休んでくださいよ、レッド様」
「わかってる」
レースは先ほどよりずっとスムーズに編みあがっていて、会話しても今度は糸団子はできなかった。淡く光っている糸は青く、主人の瞳の色によく似ているとヴィーゴは思った。
* * *
一方、別室には眠っているメイベルの傍で彼女を見守るローゼスの姿があった。
フェアノスティ王弟である青年のために浄化魔法に可能な限り魔力をのせたのが原因だ。王弟自らが様子を見に部屋を訪れ、謝罪と共にそう説明した。
本当にずいぶんと魔力を消費したらしい。こういうときのメイベルは、呼んでも揺さぶっても起きない。
村で魔獣が出た時など、怪我の治療もだが、傷口に浄化魔法をかけて魔獣の毒素を抜く作業が必要になる。徹夜で薬を作りつつ並行して浄化が必要な患者の家を巡り終えると、こんな風に魔力切れで気絶するように眠る。そして翌朝には減った魔力も元通りになり、ケロリとした顔で目を覚ましてくるのだ。
額にかかる茶色の髪を白い指先でそっとのける。
「無茶をしたね」
ローゼスの苦笑交じりの呟きも、熟睡するメイベルには届いていないだろう。
アルフレッド達が薬草店に転がり込んで以降、メイベルはあの青年の世話をずいぶんと焼いていた。
青年の口から、薬師の村の村長の息子やベーゼの神殿兵の名前が挙がって少し驚いたが、彼らよりもよほど黒髪の王弟殿下との方が親密だと思う。薬を処方している患者だからというのももちろんあろうが、通常の患者よりもずっと親身になって接しているのがローゼスから見ても分かるのだから。
『それだけで終わらせるつもりがないと言ったら、どうしますか?』
問いかけて来た青年の真剣な顔を思い出す。決めるのはメイベル自身だからせいぜい精進しろと言い渡したのは本心からだった。
それに、アシュリーから大切な娘を託され、どんなことをしても護ると心に決めているローゼス自身より、あの青年はメイベルを助けるために素早く動くことが出来た。
「アシュリー様、私はもうすぐお役御免になるかもしれません」
そっとメイベルの髪を梳きながら微笑むローゼスの横顔には、嬉しさと寂しさの両方が滲んでいた。
* * *
────戻ッテキタ
────アノ子ガ戻ッテキテシマッタ
────駄目ダ、ココハ危険ダト伝エナケレバ
────デモ、嬉シイ アノ子ガ戻ッテキタノダカラ
────コノ檻ヲ破リ、アノ子ヲ迎エル準備ヲシナケレバ




