【57】戻ってきた巡り
書いて直してを繰り返してるうちずいぶん間が空いてしまいました・・・・・・
長かった神域最初の夜が明け、メイベルが魔力回復の眠りから覚めたのは陽がだいぶ高く昇ってからだった。
寝すぎて少し強張っている身体でうーんと伸びをしていると、ノックと共にローゼスの声がした。
「目が覚めましたか、メイベル」
「おはよ……ローゼス」
お説教が来る、とメイベルは身構えたが、意外なことにローゼスはいつものように微笑んだだけで持ってきた水差しから水を汲んで渡してくれた。
「えっと、昨夜は心配かけてごめんなさい……」
「とても厄介な魔獣だったと、アルフレッド殿下が。
よく無事だったと思います。殿下に感謝しないといけませんね」
「うん……」
アルフレッドがすでにいろいろと説明をしてくれたらしい。メイベルはそれでも心配かけたことには申し訳なかったなと思いつつ、渡された水を一口飲んだ。
昨夜、幻影を見ていた時の記憶は正直覚束ない。でも、懐かしい姿と声を見たのは、覚えている。
中身が半分ほどになったコップをローゼスの手に戻しながら、メイベルはぽつりと言った。
「………………母様の幻影を、見たの」
強く思う対象の姿を幻影として見せて来るという魔獣がメイベルに見せたもの。予想していたのか、ローゼスは驚く様子もなく小さくそうですかとだけ答えた。
同じ状況になったとして、銀鏡狐が彼に見せるのもやはりアシュリーの幻影だろうか。
「マボロシじゃなく、そろそろ本物に会いたいね」
「……そうですね」
微笑んでローゼスが答えた時、再び扉をノックする音がした。
「メイベル殿、朝の支度を手伝いに参ったのだが入ってもいいだろうか?」
「あっ、はい。どうぞ」
メイベルが慌てて返事をすると、洗面用の湯など諸々の準備を携えたサリシャが入ってきた。
「体調はどうかな、メイベル殿?」
「おかげさまで、ゆっくり休んで元気になりました」
「それはよかった。では早速、気合を入れて支度をさせていただくとしよう!」
「え」
意気揚々と持ってきたドレスを広げて見せるサリシャに「そこまでする必要あります?」と尋ねてみたのだが。
「誰が訪ねて来るやも、誰に見られるやも分からないのが王宮というもの。さあ、今日も完璧な淑女に仕上げさせていただきましょうぞ」
儀式まで三日ほどかかるらしいから、それまではただ小離宮に籠って気楽に待っていればいいやと思っていたメイベルには寝耳に水だった。見られる可能性はまだしも、誰かが訪ねて来る可能性はなくないかと思ったが、侍女になるのが夢だったと言っていたサリシャの生き生きとした様子にここは断らない方がいいと察して「オネガイシマス」と答えておいた。
「では、私は厨房で遅めの朝食を準備してまいりましょう」
「え、皆食べてないの? もしかして私が寝坊したせい?」
「いえ、メイベルのせいではありませんよ。ただ……」
そこで一旦言葉を切ったローゼスが、にっこりと、だがどこか恐ろし気な笑みを浮かべた。
「シャルティアの好意で届けていただいた食事が、おいしく頂ける状態ではなかったので」
「……あー……」
ちらりと隣のサリシャを窺うと、苦笑しながら頷いている。昨夜届けられた食事にも、いろいろと薬の類が仕込まれていたが、今日届けられた朝食にも何か仕込みがあったようだ。
「またジイユですか?」
「いや。鑑定に引っかかったのは、胃腸に作用する類の…………有り体に言うと下剤だな」
「げ……」
昨晩の睡眠剤とは違うが、今度は体調を悪化させる薬を仕込まれていたらしい。他にも、大量の塩やらが加えられているものもあったとか。要は嫌がらせの類である。
常春の首都ベーゼとはいえ、周辺地域では冬ごもりをしているような季節。なのに貴重な食材をわざわざ安心して食べられない状態にするとはなにごとかと、ローゼスはたいへんご立腹だ。
ローゼスが厨房に向かった後、気合が入りまくるサリシャの手に身を任せることしばし。仕上がった鏡の中の令嬢スタイルの自分の姿に、メイベルはため息を漏らした。
本日の装いは薄紫のデイドレス。スカートの裾が大きく拡がった昨日のドレスよりはだいぶ動きやすいが、上等な生地をふんだんに使った豪華さは同じで、庶民のメイベルにしてみたら汚したり破いたりしないか気が気でない。ただ色味はローゼスの瞳の色に似ていて好きだと思った。
「うむ、今日も美しいですぞ、メイベル殿」
「おかげさまで。今日も絶賛、どちらかのご令嬢からの借り物衣装ですけどね……」
「今日のドレスは借り物ではなく、メイベル殿のサイズに合わせて見繕った既製品だ。王都で流行りのデザインではあるが、持ってきた中では簡素な部類でいささか申し訳ないのだが」
「いえいえ! 庶民感覚で言えば充分すぎるくらい豪華だと思います!」
「高価な衣装は時間がなく借りるしかなかったが、どれも昨日と同じ濃い目の青なのだ。
それで、自分の色ではない青を貴女に纏わせたくないとアレがごねおってな」
「え……」
「セドリックの時といい、幼子のような独占欲を出しおってからに」
「独占欲、ですか?」
サリシャがアレと呼ぶのは、甥である魔法使いのことだろう。そういえば、昨夜魔力切れで寝落ちしそうになっているときにドレスの色味について話をしたような気がする。あと、王都に帰ったらドレスを贈るとかなんとか。
「役に入り込みすぎじゃないですかね……」
「アレなりに真剣ではあるのだと思うぞ。今日はこれをメイベル殿に身に着けて欲しいと渡されたのだ」
サリシャが鏡越しに見せたのは、青いレースのリボンだった。それこそ、昨日のドレスより少し明るめの青は魔法使いの青年の瞳によく似た色で、繊細な模様で編み上げられた中に小さな宝石が光っている。
「綺麗……」
「レッドが自分で編んだそうだ」
「編んだ!? アルが自分で!?」
「服飾系統に特化した魔法体系があってな、それを用いたのだと思う。あやつは魔法と名がつくものはひと通り知識として持っているはずだから」
支度を終え部屋を出て応接室に向かう途中で外を見ると、庭に独り佇むアルフレッドの姿があった。
メイベルのドレスと同じ理由だろう、アルフレッドの服装もいつもの着古した魔法使いのローブではない。白いシャツと黒のパンツとウェストコートに華美に見えすぎない程度の装飾品。さすが生まれながらの王族である彼は見るからに値段が張りそうな服装もさらりと着こなし、ただ立っているだけなのに絵画のような情景になっていた。
(今日も朝からたいへん見目麗しいことで)
足を止めたメイベルに気付き、サリシャが庭に面した掃き出し窓を開け放つ。シャルテヴィーアの爽やかな香りと共にさあっと風が吹き込んできた。陽光の眩しさと頬を撫でる風により少し目を細めるメイベルの視線の先で、アルフレッドが懐から何か細いものを取り出し口に当てた。
何をしているんだろうというメイベルの疑問は、すぐに解決した。四枚の翼もつ美しい幻獣たちが空を駆けて舞い降りて来たからだ。
「天馬たちを呼ぶための笛だな」
サリシャは笛と言うが、音は特に聞こえない。彼らにだけ聞こえる類のものなのだろう。
そうこうするうちにも、天馬たちは小離宮の小さな庭園に降り立った。シャルテヴィーアの朝咲きの花弁が彼らの翼により巻き起こる風で舞い上がる様は、幻想的でとても美しかった。
嬉し気に鼻先を寄せる天馬たちを愛でながらアルフレッドが懐から小袋を出す。陽光を跳ね返して煌めくのは彼らに与える魔晶石だろう。アルフレッドの手にある魔晶石に四頭が我先にと口を寄せるので、たちまち麗しの王弟殿下の姿は天馬たちで見えなくなってしまった。
「…………あれ、助けた方がいいですか?」
「いや、まあ、大丈夫だろう……」
請け負うサリシャも自信なさげだ。見守る二人に気付いたのか、天馬たちの間から銀の腕輪を嵌めたアルフレッドの片手がにゅっと伸び出て来た。
「メル!」
あの腕輪をしているなら天馬に魔力を食い尽くされてしまう心配はないかと、メイベルはひとまず安堵する。もっと寄越せとばかりに四頭の天馬に半ばもみくちゃにされながらも楽し気なアルフレッドに、メイベルも無意識に笑顔になった。
手の中の魔晶石をすべて与え終え、ようやく天馬たちから解放されたアルフレッドは、乱された髪や服装を軽く直しながらメイベルの前に立つと嬉しそうに目を細めた。
「おはよう、メル。今日の装いはいいね。ちゃんと僕の色だ」
「おはよう。このリボン、アルが編んだってほんと?」
「うん、昨夜ね」
編み込みのハーフアップにした濃茶の髪にあしらわれた青いリボンを見て、アルフレッドは満面の笑みを浮かべた。そんな甥の表情にサリシャは苦笑する。
「私も厨房でローゼス殿の手伝いをしてこよう。朝餉が出来るまで、二人で庭を散策でもしてきてはどうだ?」
昨夜の銀鏡狐の姿が脳裏を過って少し不安になったが、サリシャは大丈夫だろうと言った。
「私とヴィーゴで哨戒もしたし、アルフレッドの探査魔法でも確認した。仕掛けた魔道具にも反応がないからな」
「それに僕が一緒なんだから平気だよ」
サリシャが離れるのを見送ると、アルフレッドがメイベルに左手を差し出した。
「参りましょう、婚約者殿」
芝居じみた台詞でようやくエスコートしてくれるらしいと気づき、メイベルはおずおずと自分の手を乗せた。軽く握った手を引き、少し距離を詰めたアルフレッドにそのまま正面からじーっと目を合わせて探るように見つめられた。
「ほんとだ、魔力がだいたい戻ってる。“寝たら戻る”っていうのは誇張じゃなかったんだね」
「まあね。アルは、魔力と体調はどんな感じ?」
「魔力は六割くらい戻ったかな。澱みによる影響もないよ。昨日、メルが頑張って強めに浄化魔法かけてくれたおかげ」
「ならよかった……それはそうと、ちょっと近いんだけど?」
「昨日はお姫様抱っこもさせてくれたのに」
「魔力切れで最高潮に眠ダルかったからね」
えーと不満げな声を上げながらもどこか嬉しそうな王弟殿下にメイベルは呆れながらため息をつく。
「アルはいつも、こんな距離感で人と接してるわけ?」
口をついて出てしまった言葉にメイベルはしまったと思ったが、もう言ってしまったものはしかたない。
だが、アルフレッドは特に気にする様子もなく明るく笑った。
「まさか。普段僕の周りに居るのは人外級じいさんばっかりなんだよ?
こんな風にくっついてるわけないでしょ」
(良き友人だっていう例のご令嬢は?)
口に出すのを堪えた言葉が、メイベルの腹の底に重く沈んでいった。
そんな彼女の気持ちを知らぬげに、アルフレッドはふわりと笑うと、エスコートしていない方の右手で空中にくるりと輪を描いた。すると二人の立ち位置のすぐ傍で光る球状の結界が形成され、その場に咲いていたシャルテヴィーアの花を一本切り取った。
「アル……っ!」
見覚えがある光景に驚くメイベルの目の前で、アルフレッドが結界を消し切り取った花を手に取る。
「大丈夫だよ。ほら、茎の色も緑になってるし、樹液も透明だ」
「あっ……」
言われてよく見れば、濃い紫だったシャルテヴィーアの茎の色味は緑を感じさせるほどに変化していた。それこそこの見た目なら『ローゼルムだよ』と言われてもすぐには違いに気付かないほどだ。
「本当だ……でも、どうして……?」
「メルのおかげだよ。見て」
アルフレッドがシャルテヴィーアを持った方の手で空を指差した。促されて見上げ、メイベルは薔薇色の瞳を見開いた。吹き渡る風に戯れる小妖精の姿があったからだ。
「メルが掛けてくれた浄化魔法を呼び水にして、妖精達の巡りが戻ってきたんだ。
だから、澱んでいた魔素も少しずつ晴れ、流れが出来て魔力も満ち始めている」
「彼らなら、シャルテヴィーアを傷つけることなく、中に凝縮された澱みを晴らすことができるのですよ」
アルフレッドの言葉を受け取るようにかけられた声に振り返ると、柔らかな笑みを湛えたローゼスが立っていた。
「食事の準備が整いました。お召し上がりになる間に、昨夜の話の続きをいたしましょう」




