【54】夜更けの訪問者(7)
キリのいいとこで切ったので、少し短めです。
──種運ぶは風、誘うは水、育むは目覚めた大地
──巡れ、巡れ、大いなる流れを標として
二人だけをなんとか包む小さな結界にメイベルの緑の歌が響く。通常なら浄化魔法に乗せて流したメイベル自身の魔力を呼び水にして周囲に魔素の流れができることで澱みを晴らしていくのだが。
(これじゃ、足りない)
結界の内側にある神域の大気には魔素はほとんど含まれていない。流れる魔素が少なければ、浄化魔法の効果も低くなってしまう。このままではシャルテヴィーアから溢れた魔素に含まれた澱みを浄化しきれず、アルフレッドに影響が出てしまう。
──巡れ、巡れ、大いなる流れを標として
──目を覚ませ、目を覚ませ、命巡らせるものよ
メイベルは歌に乗せる自分の魔力量を徐々に上げていく。魔素の少なさを魔力で補う手法だ。やがて結界内は静謐な浄化魔法で満たされていった。
それを感じ取ったのだろう、背後からアルフレッドの声がかかった。
「少しだけ下がって、僕の背中にぴったりくっつくくらいに」
メイベルは振り返らないまま、二人の背中が触れるか触れないかくらいの距離に下がった。
──征け、征け、大いなる流れに導かれて
歌い続けるメイベルのドレスの裾がアルフレッドが操っている風で揺れる。
「『切り裂け』」
二人を囲む結界の内側ギリギリの場所で円を描くように風の刃が巻き起こり、シャルテヴィーアを切り裂いた。濃い緑の葉と薔薇色の花弁が風に舞い上がる。同時にぶわりと濃い魔素が溢れ出たのを感じ、メイベルは顔を顰めた。
その時、メイベルの背中にアルフレッドの背中が触れた。メイベルの足は動いていない。アルフレッドが少し後ろに身を引いたのだろう。
(アル……)
ほんの少しだけ触れた背中から伝わった、身体の強張り。
顔を見ているわけでも、手で触れたわけでもないから勘違いかもしれない。それでも感じた気がした。
(そりゃあ、怖い……よね)
魔素を感知できない人でも、本能的に澱みを忌避する。ましてやアルフレッドは極端に澱みに弱い体質だ。シャルテヴィーアの溜め込んでいる魔素を利用しようというのが彼自身で立てた策だとしても、目の前に澱みが迫っていて全く恐ろしくないなんてことがあるだろうか。
メイベルは目を閉じ、僅かに足を動かした。背中で触れている面積が少しだけ増える。
──巡れ、巡れ、大いなる流れを標として
──征け、征け、大いなる流れに導かれて
メイベルはさらに歌い続ける。
「メルっ!?」
放出され続ける彼女の魔力の多さに感づいたアルフレッドが動揺して名を呼ぶが、メイベルは返事の代わりに振り向こうと動く彼の身体を背中でぐっと押し返した。
──緑の季節来たれり
自分より年下の少女に文字通り背中を押された気がして、アルフレッドの顔に喜びと苦さがまじりあった複雑な笑みが浮かぶ。預けた背中はそのままに、魔法使いは結界越しに輪郭がまだ固まりきっていない妖に視線を定めた。
メイベルの緑の歌のおかげでシャルテヴィーアから出た魔素が孕んでいた澱みはほぼ綺麗に浄化されている。おかげで深く呼吸して魔素を循環させても苦痛は感じず、全回復までは程遠いが魔力も戻ったのが感じられた。
(これならいける……けど、結界越しじゃ短剣の刃は届かない)
依然結界の外で鋭い牙を見せる銀鏡狐を見据え、アルフレッドは自分達を包んでいた結界を消失させた。
獲物と自らの間にあった障壁が消えたことで、銀鏡狐は目の前の魔力の塊に食らいつく。左肩にずぶりと食い込んでくる牙の痛みに耐え、アルフレッドは左手で銀鏡狐の毛を鷲掴んだ。
「我、希う 祓の短剣」
アルフレッドの右の手に周囲から光が集まり、やがて彼の手の中で白く輝くひと振りの短剣を形作った。危険を察知した銀鏡狐は逃れようと暴れるがアルフレッドの左手ががっちり押さえ込んで放さない。左肩に走る激痛に顔を歪めながらも、アルフレッドは短剣を手の中でくるりと回して逆手に持ち替え、獣の背に突き立てた。




