【52】夜更けの訪問者(5)
メイベルは後ろ手に閉めた扉に背中を預けて唇を噛んだ。
たんこぶに使えそうな軟膏を持ってきた荷物の中から探し出してアルフレッドの休んでいる部屋まで戻ってきた時、漏れ聞こえたローゼスとアルフレッドの会話が耳に入ってきて扉を開ける手を止めた。
『確かに、メルの浄化魔法は澱みに当たりやすい僕にはすっごく魅力的ではあります』
自分に関係しているっぽい話が聞こえてきたら気になってそのまま聞き耳を立ててしまっても致し方ないことだろう。そんな風に自分自身に言い訳しながら、メイベルは扉の向こうで交わされる会話に耳をすましていた。
最初は特になんということもなかった。
浄化魔法がアルフレッドの体調の安定化には有用なことも、アルフレッドが幼い頃に王城の舞踏会であった出来事も、『運命の相手』というのが互いの魔力に拒絶反応がない者同士を指すということも、全部メイベルがもう知っている内容だったからだ。
正直に言えば、自分とアルフレッドの間で起きた謎の魔力移譲現象がそれにあたるんじゃないかというのは考えないではなかった。でもそのことは、メイベルの中では「だからなに?」だった。
いくら魔力の相性がよかろうと、アルフレッドは王族でメイベルは山村育ちの平民の娘。住む世界が全く違う二人の関係に先がないのは分かりきっている。アルフレッドはやれ婚約者だのやれプロポーズするだのとしょっちゅう揶揄ってくるが、婚約者はこの旅が終わるまでの役でしかない。だから、彼が真剣に自分のことをそういう対象として考えているなんてメイベルには到底信じられなかった。
(なのに、ほんとにしちゃおうかなんてことをぺろっと言っちゃうからムカつくのよ)
揶揄われるのは腹が立つし手のかかる難儀な人だとは思うが、アルフレッドが嫌いなわけじゃない。彼の役に立つなら旅を終えた後も知人友人として縁が続くのは『あり』だと思う。二人の話を聞きながら、何かあった際に浄化魔法をかけてあげられるよう傍に居る人が必要なら他の誰かじゃなくそれは自分の役目でいいと、自然に受け入れられた。
それでも、「だからなに?」なのは変わらない。変わるべきではない。
なんとなくあの魔力移譲現象について知られてはいけない気がして、『運命』について聞いた後は殊更、魔力抑制の腕輪をアルフレッドと交代で身につけるようにしていた。その判断は間違っていなかったと思う。二人の間に『運命』なんてものがあっても意味はないし、未来は何も変わらないから。
だからやっぱり、メイベルはそれらを全部「だからなに?」という風にさらっと片付けようとした。
なのに────
『今現在は良き友人として交流してもらっていますよ』
アルフレッドのその一言を聞いた直後、メイベルは頭が真っ白になって気が付けば急いでその場を離れていた。
自分に割り当てられた部屋に戻り、軟膏の小瓶を握りしめる。自分の心臓が立てる音がうるさく不快で、メイベルは思わず胸を押さえた。
「私だけじゃ、なかった……」
思わず自分の口から零れ出た言葉に、メイベルはものすごく嫌そうに顔を顰めた。
他者の魔力はそのまま移譲できない。それができるのは稀有なケースで、だからこそ『運命』などという呼ばれ方をすると教わった。
(ほんとは、嬉しかった……のかもしれない)
無意識下で、彼にとって稀有な存在であるということにどこか喜びのようなものを感じていたのかもしれない。
たとえ先がなく友人知人以上の関係にはなれなくとも、たとえ彼自身には秘密にしたままにしていても、それでも自分が彼の唯一だと。
けれどその稀有なはずの存在は、自分だけではなかった。
幼い頃に国を挙げて見つけられた、身分的にも自分よりずっと彼に近い令嬢。しかもその人は幼い彼を深く傷つけたかもしれない事態を引き起こしてもなお、良き友人として彼の傍に存在することを許されている。
(馬鹿だなぁ)
「だからなに?」なんて割り切った風を装って、結局心の中で唯一の『運命』かもしれないと歓喜し、どこかで期待していた。なんて愚かで、浅はかで、図々しい────
「あーーっ、やめやめ! 鬱陶しいな私!」
メイベルは独り芝居のようにあえて声を出した。真っ黒に塗りつぶされてしまいそうな思考を振り払うように両手をひとしきりバタバタさせた後、はぁと息を吐いた。
「……夜は駄目ね。どうしても考えることが後ろ向きになる」
呟いたところで手に持ったままの軟膏の小瓶に気付き、再び眉間に皺が寄った。
(これ、どうしよ……
もう目が覚めてるんなら自分で塗れるよね? ローゼス呼んで、渡してもらおっか)
しかめっ面でぬぅと唸った時、メイベルの耳が微かな音のようなものを拾った。
「……!?」
慌てて振り返って周囲を伺うと、また聞こえた。聞こえたと感じたものの、それは音というよりはむしろ思念や気配に近い。
手の中の小瓶をそっと机に置きながら窓に忍び寄って外を窺うと、星明りの下、薔薇色の花畑の中にゆらりとした何かの影が立っているのが見えた。
ローゼスが小離宮外に設置した魔道具に反応がないから人ではないし、動物でもない。
魔道具には村外の警戒用にも使っている術式が組み込んであるから、魔獣でもない。
伝わってくる思念が強くなってくる。
「呼んで、る……?」
言葉では言い表せないが、切なくも強く求められているような。そんな感じが伝わってくると共に、だんだんとその姿がはっきりとしてきたように思えた。だがその一方で、メイベルの思考は次第に靄がかかったようにぼうっとなっていった。メイベルはふらふらと窓に顔を近づけ、闇に目を凝らした。
最初ぼんやりとした灰色に見えていたそれは、徐々に濃く、黒く色を染めていき、やがてすらりとした人の姿をとっていく。メイベルは薔薇色の瞳をこぼれんばかりに瞠り、閉じていた窓に手を掛けた。
カチャリと軽い音を立て窓を開け放つ。舞い込む風がメイベルの頬を撫で、濃茶の髪をふわりと揺らした。
見つめる先、佇む姿はますます輪郭をはっきりと浮き上がらせてくる。夜風に靡いて散る黒く長い髪を、黒いローブを纏った嫋やかな白い手がそっと押さえる。手と同じく、白く透き通るような肌に、宵闇の中でも輝くように美しい金色の瞳は優しく微笑んでいる。
「かあ……さま……」
『メイベル』
そこに居たのは、秋に薬師の村で眠りにつくのを見届けた、最愛の母アシュリーだった。メイベルは窓枠に手を掛け、身を乗り出す。
「母様……ほんとに?」
『会いたかったわメイベル』
泣き笑いになったメイベルは、傍に会った椅子を引き寄せて足をかけ、窓枠を乗り越えて外の草地に降り立った。
『メイベル』
アシュリーがメイベルに向け両手を差し出してくれる。一歩一歩メイベルもそちらに足を進めるが、一瞬ふらりとよろめき足が止まる。眩暈を押さえるように片手を額に当て、目を閉じる。眩む瞼を押し上げた時、視界いっぱいに飛び込んできた黒ローブに縋るように、メイベルは手を伸ばした。
「……母様っ」
両手で触れた黒いローブを握り込み、胸元に顔を埋める。
「母様、母様っ!」
メイベルは子供のように縋りつく。母と再会できたことで、抑え込もうとした感情が溢れ出てしまった。
「帰りたい……村に、ローゼルムンドに帰りたい……っ」
「っ……!」
「いくら綺麗でも全然似合わないドレスも、薔薇の瞳だってだけで上辺だけ傅いて来る人たちも、私には必要ない……
早く白い妖精を見つけて浄化して……母様と、ローゼスと、また三人での暮らしに戻りたい。
他には何も、誰もいらない、望まない、だから……」
「…………」
「帰りたい、帰りたいよ……」
涙声で訴えるメイベルを、黒ローブはその両腕でぎゅっと抱きしめた。




