【45】皇王カイルゼン(1)
メイベルの年齢を間違えてましたので訂正しました。
部屋で飲み物を口にしながら話をしていると、扉をノックする音が聞こえた。護衛組が面を付け、防音結界を解いて猫の置物を仕舞ったところで、サリシャが扉を開けた。
「準備が整いましたので、これより謁見の間へとご案内いたします」
出迎えにやってきたのは、フェルス神官長ではない、別の神官だった。
メイベル達は頷くと、それぞれ手に持っていた茶器を机に置き立ち上がった。
「香り高い、味わい深いお茶だった。ありがとう」
「お気に召していただいてなによりでございました。では、参りましょう」
アルフレッドの声掛けににこやかに会釈しつつ、案内役の神官が先導する。
独特な甘い茶の香りの残る部屋を出るメイベルがそっと振り返れば、扉が閉まる間際、自分達と入れ替わりに入って行った若い神官たちが茶器などを片づけ始めたのが見えた。
* * *
部屋を出て以降誰も一言も発しないまま、左右を神殿兵が守る真っ白な石の敷かれた長い廊下に足音だけが冷たく響いていた。
緊張で冷えていくメイベルの指先を支えるアルフレッドの手は手袋をしておらず、先ほどメイベルが外したままになっていた。触れ合ったところからほんの微かにだがアルフレッドの魔力が伝わってきた。腕輪は引き続き嵌めてもらっているが、完全に魔力が遮断されるわけではない。薬草店にこもっていた数日は、この腕輪の欠陥とも言えるほんの僅かな魔力放出を使って澱みの排出を行ったわけだ。
そっと目線だけ動かして隣の王弟殿下を見るが、無表情なその視線はまっすぐ前を向いたままだ。おそらく、アルフレッド本人はこんな沁み出す程度の魔力の放出はよほど注意しているのでなければ認識していないだろう。指先に伝わってくる澱みを含まない澄んだ魔力に、彼自身の意図したものではなくともどこか支えてもらっているような心持ちがして、メイベルは少しだけ肩の力を抜くことが出来た。
やがて、ひと際大きな扉の前で案内役が立ち止まり、フェアノスティからの王女一行が到着した旨を告げる。
(この向こうにいるのが、シャルティアの皇王)
両開きの大扉が重苦しい音を立ててながら開かれていく。
無意識に少し振り返り、メイベルは後ろに控えている灰茶の髪の護衛を見た。白銀の面から覗く藤色の瞳がいつものように優しく細められた。メイベルはそれに微笑み返した後、ふ、と息を吐き前を向いた。
「王女殿下、並びにフェアノスティ王弟殿下」
入室を告げる神殿兵の声の中、鮮やかな薔薇色の絨毯の上を真っすぐに進む。
進む先、正面の高い位置には薔薇色の天鵞絨張りの玉座。そこには神官服と似通った白い衣服を纏った人物が座り、その一段下には神官長が、そして左右には国の重鎮と思しき人たちが並んで控えていた。その数、十二人────向かって右側に五人、左側に七人だ。
左右を見比べると、遠目にも装いが違うのが分かった。右側の五人は派手目のマントの下に凝った装飾のされた儀礼用鎧を着こみ、腰には剣を佩いている。対する左側の七人は金糸銀糸をふんだんに使った華麗な装いで、指や胸元には大きな貴石をあしらった装飾品が光り、同じく煌びやかで重そうなマントを重ねていた。
『北の五つの氏族は武を誇り、南の七つの氏族は交易で財を成し、それぞれが国を支えている』
シャルティアに来る前、この国についてローゼスがそんな風に説明してくれたことを思い出した。
(じゃあ、右にいるのが北側の氏族長で、左にいるのが南側の、ってことかな)
目線を上げすぎないよう俯きがちになって一歩一歩玉座に近づき、玉座の階の前で立ち止まった。その場でアルフレッドは軽く会釈を、メイベルは彼に右手を支えられながらサリシャに仕込まれたフェアノスティの令嬢仕様の格式ある礼をする。
「ようこそ参られた、フェアノスティ王弟アルフレッド殿。そして────妖精シャルトの愛を受けし、薔薇色の瞳を持つ娘よ」
壇上から感情の滲まない声が降ってきた。それを合図に、二人は礼をしたまま名乗る。
「フェアノスティ王国前国王が第三子、アルフレッド・アディル・フェアノスティと申します」
「魔法使いアシュリーの娘、メイベルと申します」
名乗り終えたメイベルは姿勢を正し、足元の絨毯から階、そして壇上へとゆっくりと視線を上げていった。
壇上の玉座には、ひとりの壮年の男性が静かに座っていた。
明るい金色の髪と、見目は整ってはいるものの声同様に感情が抜け落ちたように表情のない白皙の顔。そしてメイベルのものとよく似た、薔薇色の瞳。
とうとう相まみえた皇王を前に、メイベルは自身の心が波立つのを感じていた。
会えて嬉しいなどという気持ちは湧かないことは分かりきっていた。待ち望んでいたわけでも、何かを期待していたわけでもなかったからだ。
ひたと自分に据えられた視線を真っ向から受け止める。メイベルの心を占めているのは、有体に言えば違和感だった。
(この人が、カイルゼン・マルタラ・シャルティア。私の生物学上の、父……?)
十七年生きてきて初めて、自分と同じ色を持つ人に会った。それは事実として受け入れることができた。
だが、目の前の人物が肉親であるという実感は、はっきり言って得られなかった。
おそらく皇王本人にしても同様であるのだろう。玉座からメイベルを見下ろすその顔は、温かさはもちろん、軽蔑や疑念といった感情さえ含まない、まるきり無の表情のままだ。
「あれには似ていないな」
無表情なままの皇王からそのような発言が降ってきて、“あれ”とは母アシュリーのことを指すのだろうなと、メイベルは一瞬の間を置いて理解した。
メイベルはもともと、髪や瞳の色などもそうだが、顔立ちはアシュリーにはあまり似ていなかった。アシュリーは面長で少し釣り気味の切れ長の目だったのに対し、メイベルは丸顔にどんぐり眼だ。そんな二人のことを見てよく似ているなんて言うのは、薬師の村の中でもローゼスくらいのものだった。
母をあれ呼ばわりされたのは腹立たしいが、似ていないと言われたこと自体は事実だから仕方がないかくらいの感覚しか湧かなかった。
目の前の人物に対して、生き別れの親子の感動の再会なんてのはもちろん、怒りとか悲しみとかの負の感情すら一切ないということの方に、メイベルは逆に困惑してしまっていた。
(他人だから……か。関係ない人になんて言われようと、別に構わないものね)
自分の中に出た答えに、心にわずかに広がった波すら凪いでしまった。
アルフレッドは何も言葉を発しないメイベルをそっと窺い、その毅然とした横顔に宿る強さが揺らいでいないのを見て、ふっと目元を緩めた。
交差していた視線を先に逸らしたのは皇王カイルゼンだった。彼はメイベルの隣に立つアルフレッドに、すっと目線をずらして問いかけた。
「王国からの長き道程を無事に到着されたことを喜ばしく思う。
ところで今回、貴国から来た特使一行は、ベーゼ市街に駐留している者はなく、ここにいる者ですべてだと聞いているが、真だろうか?」
皇王の言葉に、氏族長たちが顔を見合わせて小声で何かを言い合っている。
「特使、しかも王族が来るというなら護衛だけでも十数名が同行してもおかしくないだろうに」
「西方諸島の小王国からの使者とて、小さな軍を率いて城外などに待機させておっただろう」
小声で、だが聞こえる程度の声で交わされる会話を、皇王が片手を上げて黙らせた。
「国境検問所の者から報告は受けていたが、まさか本当にこれだけの人数で来られていたとはな。
フェアノスティの騎士団は王弟の護衛に人数を割く余裕がないのだろうか?
それともそうする必要性がないと判断されたのか?」
相変わらず表情はまったく無のままであるものの、護る価値もない王族であるのかと言わんばかりの皇王の物言いだった。玉座の階の下で控えていた氏族長の中には、あからさまに嘲笑を漏らす者すらいた。
アルフレッドの後ろで跪いた姿勢のままぶわっと怒りに魔力を溢れさせそうなヴィーゴの背中に、サリシャがトンと手を軽く触れ落ち着くように伝える。ヴィーゴは銀面の下で眉を寄せギリっと歯を食いしばり、濃青の瞳に煮えたぎる感情を滲ませないよう耐えながら前にいる主君の背中を見上げた。
一方、当のアルフレッドはというと、メイベルの手を支えていない方の右手を自分の顎に当て、上目使いにうーんと少し考える様子を見せた後でにこりと微笑んだ。
「どちらかというと、後者でしょうか」
憤りも卑屈さも含まない声でそう答えた魔法大国の王弟に、謁見の間にいる者の間に再びざわつきが拡がる。
神の国の皇王は、アルフレッドの言葉に少し首を傾げるようにしながら目を細めた。
「貴国の騎士団から護衛は借り受けられなかった、と申されるのか?」
「今回貴国を訪問するにあたり、騎士団に大人数の護衛の要請はしておりません。
そもそも、護衛というのは脅威があると判断した場合に必要となるもの。
貴国を訪うのに、大人数の護衛や、ましてや軍隊などは必要ございませんでしょう?
これだけの人数しかいない、ではなく、この面子で充分だ、ということです」
「なっ……!?」
シャルティアという国に対して微塵も脅威を感じていないとも取れる発言に、北の氏族長達は目を怒らせて憤り、南の氏族長たちは不快そうに顔を歪めた。アルフレッドは、そんな彼らに造形美の極みのような顔に完璧な微笑みを浮かべてみせた。
「私の大切な婚約者の祖国に来るのに、脅威を感じる必要はないでしょう。
僕自身が魔術師団長クラスの魔法使いであり、護衛には我が国が誇る騎士団副師団長クラスを二人、連れてきております。ただただ大勢連れていれば安全、という訳ではありませんし、ぞろぞろとたくさんの騎士を連れての移動は時間もかかる。
迅速に貴国への訪問をするためには少人数での天馬馬車の旅が最速かつ最適だったのです」
苦虫を嚙み潰したどころか、呪い殺されそうな怖い顔で睨んでくる氏族長たちの視線に、先に他国の王族を嘲笑したのはそっちだろうにとメイベルは内心辟易する。隣の王弟殿下は氏族長たちからの視線をものともせず、洗練された笑みを絶やさない。メイベルはよくはわからないなりに彼の王族としての一面を垣間見た気がした。
笑顔を保ったままつらつらと説明するアルフレッドの言葉をカイルゼン皇王は眉一つ動かさずに黙って聞き、「左様か」とだけ答えた。
「さて、昨日受け取った、フェアノスティ国王コーネリアス殿よりの親書の件だが」
そのまま、カイルゼン皇王は本題へと話を移すつもりのようだ。皇王が何も咎めない以上、氏族長たちも黙るしかないようだった。
「国としてこちらから正式に使者を建てる前に、大神殿所属の中級神官が貴国の学院宛に個人的に書状を送ったようでな。我が国の行く末を案じての先走った行動であったのだろう。
本来なら、私の方からコーネリアス殿宛に問い合わせるところを、このような形になり大変失礼なことをした」
「王立学院の現学院長は私と近しい者が務めております。
彼には私の婚約者の瞳が珍しい色味であること、そして母君が黒髪の魔法使いであることを報告しておりました。
それで、神官殿からの書状が学院に届いた際、いち早くお探しの人物がが私の愛しい人とその母君のことだと分かったのです。
まさか、私の婚約者がシャルティア神皇国皇王陛下の血縁であるとは、驚きました。
残念ながら彼女の母君は現在体調を崩されて同行できませんでしたが、せめて私達だけでも皇王陛下に直接婚姻のご報告をしたいと思い、こうしてまかり越した次第です」
胸に手を当てアルフレッドが会釈するのに合わせてメイベルも軽く膝を折る。
「親書を拝見するに、こちらの事情もある程度把握しておられるようだな」
「選定の儀をあらためて執り行われる際、皇王陛下の御子がすべて揃っていなければならない、ということですね?」
微笑んで答えたアルフレッドにカイルゼン皇王は一つ頷くと、ここで改めて視線をメイベルに移した。
「次に執り行う継承の儀に、其方にも参加してもらう」
「…………承知いたしました」
無機質な声音で命ぜられたのに、メイベルは頷き小さく礼をする。そしてすっと視線を上げ、壇上のカイルゼン皇王を見て精一杯の笑みを形作った。
「ただ、私一人ではとても、こちらにいらっしゃるご立派な方々や、他の王族の皆様と同じ場に立つ自信がございません。婚約者であるアルフレッド王弟殿下がご一緒してくださるなら、参加できるかと思います」
わざとらしくないよう努めながらアルフレッドを見上げると、彼の口の端がぴくぴく動いていた。吹き出しそうなのを我慢しているのが見て取れて、メイベルの笑顔も引きつりそうになったがなんとか堪える。
微笑み合う婚約者同士、に見えたかどうかはわからないが、一拍置いて壇上から声が掛かった。
「…………よかろう。アルフレッド殿、王女の随伴を頼めるだろうか」
「もちろん、喜んで」
カイルゼン皇王の下した決定に、すぐさま氏族長たちが異を唱えた。
「選定の儀は我が国の未来を決める最も大事な国事ですぞ!?」
「陛下、選定の儀に他国の王族が列席するなど、前例がございません!」
「前例のないのは重々承知の上だ」
手を上げて氏族長たちの声を抑えながら、皇王がピシャリとそう断じた。
「そもそも、前回の儀式で起きたことすべてが前例のないことだったのだ」
「しかし……」
「氏族長の皆さま」
ずっと沈黙していたフェルス神官長が階を降り、氏族長たちの前に立った。
「前回の儀式での創世神様のお言葉の真意は、無知なる我らにはまだ完全に推量し切れておりません。
今、祝福を受けられた薔薇の瞳の御子が新しく見出され、こんなにも早く我らが神の国にこうしていらしてくださったことこそ、神の御導きでしょう。
選定の儀を進めるためには、創世神の告げられたことに、そして創世神様に選ばれし皇王陛下の御心に、添うようにいたしましょう」
神官長に諭されて、氏族長たちはまだ憤懣を表情に現してはいたが、なんとかそれを抑え込んで恭順の意を示すように首を垂れた。
それを受け、カイルゼン皇王が神官長に命じる。
「では神官長、選定の儀を再度行う。準備にとりかかるように」
「畏まりました。準備に三日ほどお時間を頂きます。
儀式の準備が整うまでの間、王女殿下ならびに王弟殿下の御一行は、大神殿近くの離宮にてお過ごしくださいませ」
「準備が整い次第、使いを送る。それまでゆるりと過ごされるとよい」
「お心遣いありがとうございます」
アルフレッドとメイベルが一礼し、背後で控えていた三人も立ち上がる。行きに先導してくれた神官について謁見の間を辞そうと踵を返したところで────
「待て」
────壇上から静かな良く通る声が、一行を呼び止めた。
「護衛の二人。面を取り顔を見せよ」




