5-3
「え、父が魔術の講師の筈だったのですか?」
先ほどまでシア様とエリスに魔術の講義をしていたのは、代々の王家直参の魔術師で王国の魔術師団団長のフォーエル老師がだったのだけど、もともとの講師はアストリウス男爵──つまり父、のはずであったらしい。老師が自ら言うのだから間違いないのだろう。
「なんでですか?」
王女とエリスは魔魂を持っていて、彼女たちが魔術を使うときはそれを使う。反対に父は魔魂を持たず、精霊魔術や直接マナを操作する基礎魔術を使う。だから父が王女やエリスに対して講義をするというは変な気がするのだ。そんな疑問を老師に投げかけたら、思わぬ応えがシア様から帰ってきた。
「あら、聞いてないのね」
とにっこっり笑って続ける。
「カイルならマーヤに対して基礎魔術の講義もできるし、それに私とエリスの魔魂はアストリウス男爵が用意してくれたのよ。ルイ爺もそこにいたわ」
「えぇぇぇぇ?」
驚いて叫びそうになった。シア様に対して不敬ととられてもしょうがないくらいだが、どうにも理解できないので不可抗力だ。いろいろと、父から聞いてないことが多すぎる。タイミング見計らってきっちりと聞き出さないと。
ちなみにルイ爺とは、老師のことである。ルイス=フォーエル老師は代々王家に直接に仕えるフォーエル家の現当主なのだそうだ。代々王家の魔魂を管理していて、彼自身も強大な魔力を持つけれども、いつも私が使うような基礎魔術――というらしい──は使えないのだそうだ。
閑話休題。父が魔魂を用意したっていうのがどういうことなのか、老師やシア様によく尋ねてみると、どうやら大まかなことがわかってきた。シア様が思い付くまま話すのを、老師が補完してくれる。
魔魂というものはその家に代々伝わるもので、それぞれの家で魔魂の保持者が受け継ぐ子供に対して自分の魔魂を複製する。基本的に門外不出で他家の人間に魔魂を提供したりはしない。だから、家を出て他家や、特に他国に嫁ぐ可能性がある女性はあまり魔魂を受け継がせないことになる。ならば家督を継がない女性は魔魂を持たず、魔術を使えないかと言えばそうではなく、実は零落した貴族などが商人などに金銭と引き換えに受け継がせたものもあって、そういったものを利用することもできる。
とは言え王女であるシア様に素性のしれない魔魂を持たせるわけにもいかず、かといってなんの魔術も行使できないのでは自衛としても警備としても問題が有りとされたのだ。勿論王家にはいくつも魔魂があり、他国に流出しても問題ないものもあるのだが、残念ながら王女に適合できず、このままだと魔術なしで他国に嫁ぐことになり、孫娘をかわいがる王が納得しなかったようだ。
そして困った王太子が相談したのが、私の父なのだそうだ。精霊魔術師であり、受け継がせる魔魂をそもそも持たないはずの父は、それにもかかわらず、王女に対してあっさりと魔魂を用意して、友人として傍にいることになるエリスにも同じものを受け継がせたらしい。
「カイルがどこから魔魂を持ってきたかは、ルイ爺以外には秘密だから言っちゃダメって、カイルには言われたけど、マーヤにならいいわよね」
女の子が友達と秘密を共有したがるのはどこでも同じだ。シア様は満面の笑みを浮かべて、私の耳元に口を寄せて、部屋にいる侍女には聞こえないようにささやく。
「私たちはね、大きな精霊に魂を分けて貰ったの」
大きな精霊って何のことだろう。はっきり聞きたいけれど、今は講義を受ける為にシア様の部屋にいて、当然複数の侍女が待機している。だからといって、耳元で囁き合うのも面倒だ。
──部屋の中ならうまくいくかな?
ちょっとした思いつきで魔法を使ってみる。
《防音》
風のマナを使って、私たち四人の周りに真空の層でできた球面状の壁を巡らせる。
『おや、面白いね。外からの音が聞こえなくなってるよ。これは音を遮る壁なのかい?』
今日は朝から私にひっついているスリヤが、念話で聞いてくる。
『空気がないと音は伝わらないから、空気のない部分を作ったの。でもこれ、制御が難しいからあんまり持たないわ』
この魔術は自分を中心に球面をイメージして、その球面の内外の両側に空気を押し出すことで維持している。空気が風で動いたりすると乱れるのはもちろん、私が他のことに気を取られても簡単に崩れてしまいそうだ。
『じゃあ、私が代わりにやってあげるよ。へえ、面白い魔術だ』
スリヤがあっさりと肩代わりしてくれた。そしてそのまま何の問題もなさそうに維持している。ちょっと悔しいが、精霊相手に魔法の制御を競ってもしょうがないのだろう。
「おや、変わった魔法だのう。これはマーヤ嬢ちゃんがやったのかね?」
即座に魔法に気づいた老師が面白がるような笑みを浮かべて私に聞く。
「防音の障壁をスリヤに張ってもらったのです。老師」
王家の寵臣でしかも父の上司にあたる人なので丁寧に応対する。
「ほぉ。精霊が防音の魔術を使うとはの。聞いたことがないわい。彼らは普段念話で話すのだから、音を防ぐ魔術を覚えたりしないものなのだが」
老師の独り言のような疑問に答えたのは、不意に自分を可視化して現れたスリヤだった。
「最初に使ったのはマーヤさ。それを私が途中で引き継いだだけだよ。こんな魔術、わたしは初めてだったよ。だけど、なんか面白いね。音は通さないのに姿が見えるんだから」
彼女はだれに対しても少々伝法な口調だ、スリヤに礼儀を強要してもしょうがないけれど。
「ああなるほど、これがマーヤ嬢の新しい魔術というやつか」
老師がなんだかおどけた口調で面白がる。おそらく私が思いつきで使ってる魔術について父が話をしてるのだろう。そんな父にちょっと一言言いたくなる。新しいも何も、世の中にどんな魔術が有るかなんて誰にも教わってないのだから。
「私は父からちゃんとは魔術を教わってないので、自分で考えるしかないのです」
というと皆に変な顔をされてしまった。
「え、カイルったらマーヤには魔術を教えていないの? なのにマーヤはこんな魔術をつかえちゃうの?」
シア様が驚いた口調で言う横で、エリスはひたすら目を丸くしている。
「マーヤって魔術を習う必要あるのかな」
「私は基礎魔術は使えんので、私の魔術の講義はお二方の魔魂の使い方をお話しするだけになる。マーヤ嬢はいるだけになるのう。カイルの奴は基礎魔術について改めて教えるとなんだか張り切っておったがの」
今張り切るなら、前から教えてくれてもいいんじゃ、と思ったけど、父が仕事を終えて時間が取れる夕食後に、魔術の勉強を小さな娘に詰め込む、という父親像とはわが父はかけ離れてるのも事実だ。
「シア様、エリス、せっかく防音の魔術をスリヤに張ってもらったので、さっきの話を続けてもらっても大丈夫ですよ」
「え? あ、そうね」
「まずは大きな精霊ってどんな風でした?」
「そうね、ええっと、カイルが魔魂を用意するからっていうので人払いしてもらって、この部屋で待ってたら突然……なんだか、えーと」
「気付いたら、すっごい綺麗な毛並みの真っ白な虎さんが部屋に寝そべってたの。あの精霊さん、会ったことある?」
シア様が少しいいあぐねているとエリスが後を引き継いだのだが、父が大きな虎の精霊を使役するなんて知らなかったな、と言うより私は父の使役する精霊を見たことがないことに今更ながら思い至った。
とりあえず首を振って、話の先を促す。
「虎の姿をした精霊が私とエリスの顔を舐めたと思ったら、二人とも魔魂を持ってたの」
つまり、人払いした上で、わたしも知らない虎の精霊を呼んで、その精霊に魔魂を宿る手伝いをさせたってことなんだけど、隠さないといけない事なのかな、これ?
しかも国王陛下や王太子殿下にも秘密だという。もちろん老師からは報告するだろうけど。何がそんなに秘密なんだろう。
「かつて、魔魂は人から人へではなく、魔術の師となる精霊から人の魔術師へと譲られていたといわれとる。文献には残っておるし、実際魔術のクランのなかには、今でもそういった守護精霊を持つものもあるというが、クランというのは秘密主義なのでな表には出てこない。わしもこの目で魔魂の授与を見られるとは思ってもおらんかったよ」
老師が答えっぽいものをくれた。まあ、精霊が出てきて直接魔魂を渡すのが特殊なもので、おおっぴらにすると面倒そうだってことはなんとなくわかった。
「魔魂を授与できる精霊というだけでも現在では貴重なのだが、姫様とエリス嬢に渡された魔魂は驚くべきものでのう」
老師が言うには魔魂にはいろいろと質があって、特定のマナを使って大きな効果を出すものが多いらしい。「火」が得意な家系の魔魂は炎を使う魔術の利用がメインでほかの魔術はあまり使えないなんてことが多いらしい。
ところが二人の持つ魔魂「火」「水」「風」のマナに適性があり、いろんな種類の魔術が使える。その代り、魔術を覚えたり実際に使うのが少し難しいのだそうだ。たとえば物を燃やす魔術を使うのに、簡単なものなら「燃やせ」と念じれば、ちょうどいい炎の大きさで燃やしてくれて、燃え尽きれば勝手に消える。シア様たちの場合は、炎の大きさを考えて燃やし始めて、燃え尽きた時に止める必要がある。ちなみに私の場合、「火」のマナを活性化させて対象を熱したら「風」のマナで周りの空気を送って火をつけて、延焼しないように風を巡らせつつ、燃え尽きたら風を止める。勢い良く燃やすために酸素だけを抽出したいときはなぜか「水」のマナを使わないといけない。素材によってはやりかたを変える必要もある。シア様が練習でやるような、小さな火の玉を空中で浮かすような魔術は、何をすればいいのか想像もつかない。だって何が燃えてるのかが分からないのだ。。
──魔魂って便利だよね。
「なんでお父様は私には魔魂をくれなかったんでしょうね」
魂っぽいものを受け入れるってのはぞっとする話ではあるし、私はどちらかというと治療術に興味があるのだけど、一言も意思を問われなかったのはなんでだろう?
「嬢ちゃんは治癒魔術を身に着けたいのじゃろ? アリスターレスの神殿で学べば治癒のための聖魂を授与されたりもするらしいのでな、魔魂については急ぐこともないじゃろう」
治癒の神様の神殿で授与される聖魂というのは魔魂の治癒術版らしい。そんなものが有るなんて思いもしなかった。これはいつか神殿にも行かなければ。
──でもお誘いもらったのはミストレイヤの神殿からなんだよね。まあいっか、治癒の聖魂についてはそんなに急がないし。
時間を見つけて生と死の女神の神殿にも行ったほうがいいのかもしれない。
──私がこの世界で生まれてきた理由を知っている相手かもしれない。
そう思うとそら恐ろしい気もするのだけど
「みなさん、お昼の時間ですよ」
私が考え込んでいるうちに、いつしかスリヤの防音魔術は解かれていた。シア様の侍女が配膳の召使を引き連れて部屋に入ってきていた。今日は老師も一緒にお昼を食べるらしい。
「難しいことは今度にしてまずご飯を食べましょう。私、お腹が空いてしまったわ」
シア様の言葉に逆らうひとはだれもおらず、昼食の時間が始まった。