第六話 魔人
オーレン大森林は、外から見るよりずっと暗かった。
空を覆う枝葉のせいで、陽の光がほとんど届かない。足元には苔むした倒木が折り重なり、湿った土の匂いが立ちこめている。一歩踏み込むごとに、外の世界の音が遠ざかっていった。
「……気色悪ぃな。静かすぎる」
ダグが、斧を担ぎ直しながら呟いた。
「鳥の声も、虫の音もねえ。獲物がみんな、息を潜めてやがる」
その言葉が終わらぬうちだった。
ガサッ——
茂みが揺れた瞬間、牙を剥いた獣が三匹、同時に飛びかかってくる。狼に似ているが、ひとまわり大きく、体毛の間から硬い鱗が覗いていた。魔獣だ。
「来たぜ!」
ガッツが刃を抜く。だが、ノアの剣は、それよりも速かった。
ザシュッ
ノアの剣が一閃した。三匹の魔獣は、宙でまとめて両断され地面に落ちる前に絶命していた。ダグとガッツが、構えたまま固まる。
「…おいおい…おれたちの出番、あるのか?」
「魔獣は俺がやる。お前たちは、周りを警戒してくれ」
ノアは剣を振って血を払い先へ進んだ。
それから、何度も魔獣の群れが襲ってきたが、ノアの前では意味をなさなかった。斬り、薙ぎ、時に魔術で焼き払い、ノアは森の奥へと道を切り開いていく。コレットが後方で回復と援護を担い、リオが伐採に適した大木を見つけては、ダグとガッツが伐採しアイテムボックスへ収めていった。
「すごい……こんな太い木がそこらじゅうにあるぅ!」
リオが、目を輝かせた。
「これだけありゃあ、家の十軒や二十軒——」
一行がそういいながら歩いていくと、突然森が、開けた。
小さな泉を囲む、ひらけた空間に、ノアたちは足を踏み入れ...そして止まった。
人影があった。
泉のほとりに粗末な布を敷いて、何十人もの人が身を寄せ合っている。やせ細った者や傷を負った者。そして——幼い子供らが何人も.......
彼らは、人間ではなかった。
肌の色が違う、角のある者、鱗に覆われた者、獣の耳を持つ者。姿形は、様々だが、その目に浮かぶ怯えと、子をかばう仕草は、ノアのよく知る人のそれだった。
「魔人……」
ノアが、剣の柄に手をかけると同時に泉のほとりに影が立った。
その影は、一人の女だった...
長い耳
流れるようなつややかな髪
ぼろを纏ってはいるがその立ち姿には、隙がなかった。エルフ——それも、ただのエルフではないと、ノアの本能が告げていた。
女が、背後の魔人たちを、かばうように静かに前へ出た。
「——やめておけ」
女が言った。
「こちらに、戦う意思はない。見ての通りここにいるのは、子供と動けぬ老人ばかりだ」
「黙れ」
ノアは、剣を抜いた。
魔人
魔王の眷属。七年、戦い続けてきた相手。故郷を焼いた相手でもある。頭の奥が、熱く濁る。考えがまとまらない。ただ、刻み込まれた言葉だけが、口をついて出た。
「魔人は、敵だ」
ノアが地面を蹴った。
「ノア!?」
コレットの声を背に、ノアの剣が、女の首めがけて奔る。七年の旅で磨き上げた、魔王すら断った斬撃。
の——はずだった。
カキンッ
乾いた音が鳴った。
ノアの剣は、女が手に持っているナイフで刃を挟まれて止まっていた。
「——っ!?」
「ダグ、ガッツ、いまだ!!」
「「おうっ」」
ノアが叫ぶ。二人が、左右から踏み込んだ。
ヒュッ!!!
歴戦の傭兵の、呼吸を合わせた挟撃。
「炎の矢!!」
ゴゥッ!!
ダグとガッツの挟撃とコレットの放った炎の矢が女の退路を塞ぐ。
完璧な連携だった。並の相手なら、避けようがない。
しかし女は、避けなかった。
ふわっ
女の体が、残像を引いて消えた。炎の矢が空を切る。次の瞬間、ダグとガッツは、地面に組み伏せられていた。何をされたのか、誰にも見えなかった。
「がっ——!?」
「くそっ、また——!」
ノアが剣を返す。
「ハァッ!!!」
だが、届かない。女の動きは、速すぎた。速いというより——次元が違った。ノアの斬撃は、ことごとく、ナイフ一本で受け流され逸らされる。
コレットの魔術が、炸裂するが女は、それを片手で払った。まるで、何事もなかったかのように。
何回斬り結んだだろう...いや、もはやそれすらも、数えられていなかった。
気づけば、ノアは膝をついていた。
「ハァッ...ハァッ」
息が上がっている。剣を握る手が、震えていた。女は——息ひとつ、乱していなかった。傷ひとつ、負っていなかった。
(一体なんなんだ、こいつは)
ノアの背を冷たいものが伝った。
(正直...魔王より——強いぞ!?)
七年かけて、仲間を失いながら、ようやく届いた魔王。その魔王より目の前のこの女は、明らかに強すぎた。
女は、ノアを見下ろしていたが、その目に殺意はなかった。むしろ——どこか、哀しげだった。
「もう、よせ」
女が、静かに言ったがノアの後ろに懐かしい気配を感じていた...
「お前たちを殺すのは、容易い。だが——そこの子らが、悲しむだろう」
「……子ら?」
ノアが、顔を上げると女の視線を追って、振り返り——そして、言葉を失った。
リオが魔人の子供たちの輪の中にいた。
リオは、アイテムボックスから次々と食べ物を取り出しては、子供たちに手渡していた。
やわらかいパンや煮た豆。すりつぶした果実など幼い子でも食べやすく、滋養のあるものばかりを選んで。
「はいはーい、ゆっくり食べてね。まだいっぱいあるからね!」
「……おねえちゃん、ありがとう」
角の生えた小さな女の子が、おいしそうにパンを頬張りながらリオを見上げていた。
「おいしーっ」
「うんうん!おいしいものは元気がでるからねぇ!」
ノアは、呆然と、その光景を見ていた。それから、我に返り声を荒げた。
「リオ! 何をしている! そいつらは——敵だぞ!」
リオが顔を上げた。
きょとん、とした顔でノアを見ると不思議そうに首をかしげた。
「敵って?」
リオは、手の中の食べかけのパンを握った子供を見るとその子がブルブルと震え始めた。
それから、ノアを見た。
「この子たちも? こんなちっちゃい子も?」
「それは——」
「どうして?震えてるよ?」
リオの声は、責めるふうではなかった。ただ、純粋にわからないという顔をしていた。
「見た目が、違うから?でも勇者が守るべき庇護するべき人達だよ?」
ノアの息が止まった。
そして辺りに...静寂が落ちた。
森の奥で魔人の子がパンを食む音だけが小さく響いていた。
(見た目が違うから)
その、たった一言がノアの中の固く凝り固まった何かにひびを入れた。
魔人は敵だ――
ずっと、そう教えられてきた。そう信じて、剣を振るってきた。だが——なぜ、敵なのか?
こいつらが一体何をした?このパンを食う子供が...子をかばう親が...いったい人に何をした?
「一体俺達とこいつらで何が違うんだ....」
ただ、生まれた姿が違うだけで。
そして女が、ぽつりと、呟いた。
「……この子はクラウディアみたいだな」
ノアには、その名の意味がわからなかった。誰のことかも。ただ、女の声には、遠い昔を懐かしむような、かすかな温もりが滲んでいた。
「……ノア」
コレットがノアの隣に膝をついていた。肩で息をしながらそれでもまっすぐにノアを見ていた。
「わたし、もう戦えないよ。……ううん。戦いたくない」
コレットは、魔人の子供たちを見た。
「この人たちが、何かしたっていうならまだわかるよ。でも——この子たち、ただお腹を空かせてただけだよ。たぶん住んでる場所から逃げて、隠れて、怯えてただけ。……この子たちのどこが敵なの?」
ノアはもうその問いかけに答えられなかった。
胸の奥でずっと燃えていた「魔人は敵だ」という炎が音もなく崩れていく。
ノアは、あの日自分を捨てた連中の顔を思い出していた。
「化け物を、どこかへやれ」
そういわれたあの声を...恐怖する対象を人として扱わず、私利私欲の為に邪魔者を掃き溜めに捨てるあの下卑たあいつらの顔を...
——俺は
ノアは、自分の手を見た。剣を握ったまま、震えている手を。
(俺も、あいつらと、同じだったのか)
見た目が違うというだけで、斬りかかった。相手が何者かも、確かめずに。子供がいることすら、見ていなかった。あいつらが魔人を「化け物」と呼んだように、ノアもまた目の前の人々を「敵」としか、見ていなかった。
ノアを捨てたあの思想。憎んだはずのあの思想が——自分の中にも根を張っていた。
カランッ....
ノアの手から、剣が滑り落ちた。
乾いた土の上に刃が転がる。
「……すまない」
ノアは、頭を垂れた。
「俺は——間違えていた」
女がわずかに目を見開いた。それから、ふっと、肩の力を抜く。張り詰めていた気配が和らいだ。
魔人の子供たちが、リオの後ろからおそるおそるノアの方をうかがっていた。
「おにいちゃん、間違ったらごめんなさいってあやまったらいいってアーシェラせんせーがいってたよ!」
「あぁ...ありがとうな」
「へんなのー!ありがとうって言いながらおにいちゃんないてるーっ」
「ふふんっ!僕のおにいちゃんはね!間違ったらちゃんとあやまれるいいこなんだぞ!」
リオと魔人の子供たちの優しい声が森の奥で木霊していた。




