第四話 強さの証明
この地に来て初めての朝が来た。
コレットが出した水で流刑者たちは顔を洗い喉を潤した。そしてリオがアイテムボックスから出した食料は、ガレンの差配で公平に配られていった。この地に放置された人たちにとってパンや干し肉などまともな食料を口にしたのは何日ぶりだったろうか。流刑者たちの目に、わずかな光が戻り始めていた。
「……うまいのぉ」
ぼろを纏った老人が、パンを握りしめたまま呟いた。その頬を、涙が伝っていた。
ノアは少し離れた場所から、それを眺めていた。
胸の底の黒いものが消えたわけではない。
憤りも恨みも、まだそこにあるが、人が「うまい」と泣くのを見るのは、悪い気分ではなかった。守れなかったものばかりだ。七年の旅でも、故郷の村でもだからせめて今、手の届くものくらいは守りたかった。
その穏やかな空気を、低い声が裂いた。
「——おい」
二人の男が歩いてくる。一人は熊のように大きく、丸太のような腕を組んでノアを見下していた。もう一人は痩せているが、全身が鋼のようにしなやかだ。へらへらと笑いながら、腰に手をやっている。
「おいおい、見ろよガッツ。これが噂の、大勇者サマだとよ」
痩せた方——ガッツが嗤った。
「ずいぶんとご立派な施しをしてくれるじゃねえか。パンに水に。ありがてえありがてえ」
熊のような大男——ダグが、地面に唾を吐いた。
「でもよぉ、気に入らねえな」
ずん、と一歩踏み出す。
「おれたちは元は兵隊だ。傭兵もやった。実力で食ってきた。施しで尻尾振るような飼い犬じゃねえんだよ」
ガレンが二人の間に入ろうとした。
「よせ、ダグ——」
「元団長さんは引っ込んでな」
ダグがガレンを睨む。
「あんたの事ぁ認めるさ。その立ち振る舞いは、本物だ。だがこいつは違うだろ」
太い指がノアに突きつけられた。
「お前みたいな奴が、魔王を倒しただァ? 笑わせる。どうせ手柄なんざ、お偉いさんに作ってもらったもんだろ。おれはなァ、自分の目で見たもんしか信じねえんだ」
ノアは、何も言わずにダグを見ていた。
「おい勇者サマ。一発、おれと殴り合おうや」
ダグが拳を鳴らした。
「あんたが本物なら、おれは従う。傭兵は、強え奴につくもんだ。だが口だけのなまくらなら——この掃き溜めから、今すぐ出ていってもらう。まぁ女子供は面倒みてやるぜ?」
シーーン.....
集落の空気が張り詰めた。流刑者たちが遠巻きに二人を見ている。コレットが何か言いかけたが、ノアが軽く手を上げて制した。
「……いいぞ」
ノアが前に出た。
「殴り合いでも、斬り合いでも、好きにしろ。ただし」
ダグを見据える。
「終わったら、文句は言うなよ?」
「ぬかせ」
ダグが地を蹴った。大男とは思えぬ速さだった。丸太のような右腕が、唸りを上げてノアの顔面に迫る。
ゴッ——
鈍い音が響いた。だが、倒れたのはノアではない。
全体重をのせたダグの拳は、ノアの顔面に確かに叩き込まれた。しかしその一撃をノアは、よけずにただ受け止めていた。
「——は?」
ダグの顔が、固まる。
「ぐぅぉぉぉぉぉっ...」
ダグは拳を押さえてその場でうずくまった。
「おい?それで終わりか?」
「クソッ!なんて硬ぇツラしてやがんだ...」
そして、今度はノアが指を弾くようにダグの額を打った。
バチーーーン!!
「がはっ——!?」
「ダグ!?」
ガッツの笑みが消えた。腰の得物に手をかけ、低い姿勢で駆ける。傭兵らしい、無駄のない踏み込みだった。しなやかな刃が、ノアの首筋を狙って奔る。
キィィィンッ
ガッツの刃は、いつの間にか抜かれていたノアの剣に、受け止められていた。ノアの剣は、鞘から抜く動きさえ、誰にも見えなかった。
「嘘、だろ……」
「筋はいい」
ノアが静かに言った。
「二人とも、腕は確かだ。本物の兵士の動きだよ」
そのまま、ガッツの刃を軽く押し返す。たたらを踏んだガッツの喉元に、ノアの切っ先が、ぴたりと添えられた。ガッツの体が、完全に止まる。
殺気はなかった。ただ、覆しようのない力の差だけが、そこにあった。
ノアは剣を引き、鞘に納めた。
「まぁこんなとこか?」
「ちょっとまてよ!俺はまだ――」
「言っただろう。終わったら文句は言うな、と」
地面に倒れたダグが、荒い息のまま、空を見上げていた。やがて、ぐっ、と身を起こす。口の端が切れて、血が滲んでいた。
その顔が——笑っていた。
「…か…はは。マジかよ」
ダグは胡座をかき、自分の膝を叩いた。
「化け物だ。こりゃあ、本物の化け物だ」
ガッツも、剣を納め肩の力を抜いた。
「参ったね。おれたちが、赤ん坊みたいに転がされちまった」
二人は顔を見合わせ、それからノアに向き直った。ダグが、座ったまま頭を下げる。
「勇者サマ。いや——ノアの旦那。見くびって悪かった。あんたは、本物だ」
「おれたちの剣、あんたに預けるぜ。強え奴につく。それが傭兵ってもんだ」
ノアは、小さく息を吐いた。それから、倒れたダグに手を差し出す。
「ノアでいい。旦那はやめろ、むず痒い」
ダグが、その手を取った。立ち上がった大男は、ノアより頭ひとつ分背が高かった。
「わかったぜ……ノア」
遠巻きに見ていた流刑者たちの間から、ぽつ、ぽつと、声が漏れた。あのダグとガッツが、頭を下げた。この地で誰も敵わなかった二人の荒くれが。
集落を見る目が、変わりはじめていた。
ガレンが、ノアの隣に立っていた。
「……相変わらず、無茶苦茶な強さだ。俺が教えたのは、こんな化け物じみた男だったかな」
「いえいえ、団長の教えのおかげですよ。基礎は、全部あなたに叩き込まれた」
「世辞はいい」
ガレンは笑った。だがその目は、どこか遠くを見ていた。
「ノア。お前の力なら、この地を変えられるかもしれん。だが——力は、人を従わせることはできても、人の心までは変えられん。覚えておけ」
ノアは、その言葉を黙って受け止めた。
ガレンの言葉は、正しい。わかっている。だが今は——まず、守ることだ。この、ようやく光を取り戻しかけた人々を...
しかし、胸の底の黒いものは、まだ消えない。
いつか必ず奪った連中に借りを返す。だがそれは、この地に根を張ってからだ。
ノアは、朝の海を見た。
灰色の水平線の向こうに、自分を捨てた国がある。
「みてろよ!お前たちが俺に与えたもので必ず誇りや尊厳を取り戻す!」
そういってノアは、海の向こうに向かって拳をつき上げた。




