第二話 老いた剣
その声には、聞き覚えがあった。
しわがれて、低くて、けれど芯の通った声。
叱責のときだけ妙に静かになる、あの声。
ノアの体が頭で考えるより先に反応した。背筋が自然と伸びる。
人垣が、割れた。
ゆっくりと歩み出てきたのは、一人の男だった。流刑者の例に漏れず痩せてはいる。ぼろを纏い、白いものの混じった髪を無造作に束ねている。だが——その立ち姿だけが、他とは違った。
痩せても、老いても、隠しきれない。体の芯に刻まれた、武人の佇まい。
ノアは、その顔を見て——息が、止まった。
「……ガレン、団長……?」
王国騎士団長、ガレン・ヴォルフ。かつて王都で、剣の握り方から命の守り方まで、ノアに叩き込んだ男。ノアが「大勇者」と呼ばれるより、ずっと前。何者でもなかった孤児の少年に、初めて剣を教えた師。
その人が、なぜ、こんな場所に。
ガレンの目が、ノアを捉えて細くなった。喜びとも、驚きとも、哀しみともつかない——いくつもの感情が、皺の寄った顔の上をよぎっていく。
「……大きくなったな、ノア」
ぽつりと、こぼれるように言った。
「立派になった。噂は、この果てまで届いていたよ。魔王を討った、大勇者さまのことは」
誇らしげな声だった。
次の瞬間、その目に硬いものが差した。
「——だが、そうか。お前も、王国の」
一歩、ガレンが後ろへ引く。ノアとの間に見えない壁が引かれる。
周りの流刑者たちの目も、また冷たさを増した。
彼らにとって勇者とは、王国とは、自分たちをこの掃き溜めへ突き落とした、その象徴に他ならない。
ノアは、理解した。この師もまた——王国に、何かを奪われた側なのだと。
だからノアは、 言い繕うことをしなかった。
「団長。俺は——捨てられました」
静かに、言った。
「魔王を討った功績は、別の男のものになった。婚約者には見下され、国には用済みと処分された。盛られた酒で眠らされて、気づけばこの地にいた」
人垣が、ざわりと揺れる。
「俺はもう、王国の勇者じゃない。あいつらに....全部、奪わ...れた」
言葉にすると、腹の底の黒いものが、またぐつりと疼いた。それでもノアは、まっすぐにガレンを見て続けた。
「——団長こそ、なぜここに」
ガレンは、しばらく、黙っていた。
ノアの顔を、その目の奥を、確かめるように見つめていた。やがて、ふっと、肩から力が抜けた。長く張り詰めていた糸が、切れるみたいに。
「……ドラーケンだ」
吐き捨てる、低い声。
「ドラーケン公爵に、嵌められた。ありもしない罪を着せられてな。弁明の機会も、調べもなかった。王国は——俺が三十年仕えた国は、何ひとつ、確かめちゃくれなかったのさ」
ドラーケン。
その名に、ノアの眉が動いた。クロヴィスの、実家。婚約者を奪った男の、血筋。
二人の間に、同じ名前が、同じ重さで落ちた。
ガレンが、ノアを見た。
「……お前もか」
短い、ひとことだった。けれどそこには、言葉にし尽くせないものが詰まっていた。同じ国に、同じように裏切られ、同じ場所へ流れ着いた。師と、弟子。かつて剣を交わした二人が、何もかもを奪われて、この地の果てで再び巡り会った。
「——はい」
ノアは、頷いた。
張り詰めていた何かが、音もなく溶けていくのを、二人同時に感じていた。




