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宗教上の理由  作者: 儀間朝啓
第五章
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53/57

そのニ

 子ども達に大人気のピュアピアぬいぐるみショーは、夏休みということもあり、今日もたくさんのお友達が集まってくれた。

 でもこんなに暑いなかでは、ステージに立つピュアピアたちは大変だ。


 本日一回目のショーが終わり、ピュアピア達が次々と舞台裏に引き上げてくる。彼女たちはすぐさま、ピュアピアの「変身」を解く。

 キャラクターのマスクは彼女たち自身の手で脱がされ、それぞれの素顔が姿を見せる。みんな、頭にかぶったタイツのフードも汗でびっしょりで、そこから幾筋もの汗が滝のように、紅潮した顔を流れ落ちる。

 「はぁ、はぁ……」

 そんな中、マスクを脱ぐのも忘れて中から吐息の音を響かせながらビニールシートに座りこんだ彼女は、本日が晴れのキャストデビュー、なんだけど、どうも様子がおかしい。

 そもそもTシャツ一枚でも暑いのだから、マスクの中の強烈な暑さが体力を激しく消耗しているはずだし、尋常では無い温度に晒されたならば……。


 早速、社内通称「衛生組」が活動を開始(と言っても要はいつも通りのキャスト以外のスタッフである)する。

 大急ぎでマスクを脱がせ、一人はクーラーボックスから保冷剤を取り出し、タオルに巻いて直接素肌に当たらないようにしてから首筋や手足の付け根に当て、また一人はハンディ扇風機を両手持ちで頭や顔に当てる。

 それでもなお、あとからあとから汗が流れ落ち、まるでバケツの水をかぶったかのよう。


 猛暑日が続くのが当たり前になってしまった日本の夏。今年から酷暑日という言葉が出来たと思ったら、夏が来た途端、毎日のようにその言葉が使われる有り様。年の暮れの流行語大賞の有力候補だと思われるくらいに。

 命に関わる暑さのなかで、さすがに炎天下でのキャラクターショーは少ないけれど、空調が効いた屋内のイベントスペースなら安全、とも限らない。余り冷やしすぎると今度はお客様には寒くなってしまうし。

 したがってメルヘンショーのキャストにとって、熱中症対策は他業種にも増して重要で、絶対に手の抜けない、必須のタスクとなる。


 「ねえ、ちょっと、息が荒くない?」

まずい。危険信号だ。

 熱中症の症状についてスタッフやキャストはしっかり学習している。本人は意識はハッキリしているし、目まいなどの表情も無いと言うが、はたから見て危険だと思ったら対策を止めてはならない。

 迅速にステージ衣装を脱がし、手足も冷やす。肌タイツはまだ着たままだが、脱がせるのに少々手間が掛かるので、それよりその上から冷やした方が良いだろう。

 そして彼女の口に、経口補水液の飲み口を突っ込み、有無を言わさず飲み込ませる。

「……しょっぱ」

 少し安心した。経口補水液は健康な人が飲むと、美味しく無いように出来ているらしい。これをゴクゴクと美味しそうに飲んだら危険信号なのだと、救命救急講習で聞いたことがある。

 逆に、水分を飲めない場合も良くないそうだ。これだけを指標には出来ないが、ひと安心はできた。


 大学の夏休みは、新人キャスト志願者が沢山やってくる時期のひとつ。だが同時に、着ぐるみを着るには最も過酷な季節であり、彼女たちは着ぐるみ独特の暑さに慣れていないぶんダメージを受けやすい。

 幸いにも、今日の子は意識もはっきりしているし、暑さによる諸症状も治まってきた。

「大丈夫です、良くなりました。午後も出ます」

と、二回目のステージに出る意欲を見せてくれてもいる。

 だが、ここは大事を取って休ませなければいけない。熱中症の症状は、落ち着いたと見えても再度ぶり返すこともよくあるという。

 こういう時のためにも、夏はスタッフを必ず多めに連れて行くのが社内の原則的な決まりになっている。ただ今日は現場が複数あり、キャストの数がギリギリでスタッフ役は本番未経験者のみ。

 でも、その本番未経験者を、ピンチヒッターに指名しなければならない。幸い、彼女はレッスンでは通しで演技をしたことがあるものの、一人の登場人物しか演じた事がない。

 それでも、玉突き的に配役替えをすれば大丈夫。彼女に、頑張ってもらおう。


——


 まさか、こんな急にピュアピアデビューの機会がやって来るだなんて。

 大学に進んでアルバイトを始めようと思い、学生課に行ったら風変わりなバイトを見つけた。メルヘンショー、一般的にはキャラショーと呼ばれるアニメのキャラクターの着ぐるみを着る仕事。

 音大に通ってると楽器演奏のアルバイトもあったりするんだけど、ワタシは人前に出るのが大の苦手。じゃあどうして音大に進んだの? って自分に言いたくなるくらい苦手。

 母がピアノの先生で、父がオーケストラの指揮者。だから物心ついた頃から音楽は空気のようなもので、進路について迷いはなく、それが当たり前という感覚で音大の付属に入ってしまった。

 もっとも、そのまま四大に進むのには気後れして、系列の短大を選んだけれど。


 だから、自分の素顔を見せずにお仕事できる着ぐるみショーのキャストは魅力的だし、実際にスタッフとしてショーの裏側を覗(のぞ)いてみても楽しそうだった。

 ピュアピアは子どもの頃から大好きだったし、憧れのピュアピアに自分がなれるなんて、夢みたいだと思った。


 でもまさか、こんな急にそのチャンスが巡ってくるだなんて!


——


 ひいいいい。


 前言撤回、しようかな。

 自分がピュアピアになれるだなんてまるで夢のようだと思っていたけど、いや、夢じゃない。むしろ夢じゃないからこそ、厳しい現実に襲われる。


 暑い!


 本日二回目のピュアピアショーは、お店の判断により握手や写真撮影などのふれ合いイベントのみに変更された。会場のイベント広場は一応屋内なんだけど、外があまりに暑いので冷房が限界を超えてしまい、冷やしきれないらしい。

 そんな理由を知りつつも実感はできなかった。だって舞台裏の控え室はスポットクーラーのお陰でかなり涼しい。だから最初は、自分がピュアピアになれる! というワクワクがずっと強くて、暑さへの不安なんて無かった。

 いざマスクを被ると視界が極端に狭くなったし、FRPというマスクの素材が持つ独特のニオイも感じた。でもそれらについては案外平気だった。

 舞台裏から舞台袖、そしてステージと、足元もろくに見えない状態だったけど、こちらも先輩方がサポートしてくれたので安心だった。


 けれども、子どもたちの熱い声援に迎えられて舞台に立った瞬間、その熱気にやられてしまった。

 いや、例えではなく本当に暑い。空調にムラがあるというか、後から知ったけど客席の冷房が追いつかず、そちらを優先で冷やしていたそう。子どもは夢中になると熱中症の症状に気づかないことも多いということで。

 しかも、吹き抜けになっている広場の屋根は太陽光が透ける構造になっていて、その光が差して舞台上の温度を上げている。光を取り入れるのは客席からの見やすさのためらしいのだけど、演じる方にここまで負担が来ることは、この建物を作った頃の夏の気温では想定していなかったらしい。


 予想外の暑さに見舞われ内心アタフタしているワタシをよそに、ステージの階段を嬉しそうに上ってくる子どもたちの列が、マスクのスリットから垣間(かいま)見える。その子たちがこちらに近づいて来る間にも、全身がみるみるうちに暑くなり、まるで蒸し風呂に放り込まれた気分になってきた。

 それに、全身タイツは予備を着せてもらったけど、マスクや衣装は一人のキャラにつきワンセットだから、そのまま午前に演じたコの使ったものを引き継いだ。

 着た瞬間、かぶった瞬間、乾かぬままで冷えた汗に気持ち悪さを感じたけど、まだピュアピアになれる喜びの方が勝っていた。

 でも暑さと通気性の無さから、自分の汗と再び温められた彼女の汗とが混じり合って、不快感を上げてゆく。


 ところが、不思議なことに子ども達が目の前にやって来ると、それら一気に襲ってきたマイナスの感情は少しずつ薄れてきた。

 全身からじわっとにじみ出た汗は、少しすると堰(せき)を切ったように流れ出し、全身タイツを容赦なく濡らしていく。たまに子どもの列が一瞬途切れ、ふと我に返ると暑さと不快感に襲われたりもするのだけど、それも次第に感じなくなっていった。

 そして、だんだん楽しくなってきた。着ぐるみの中の自分から、温度とか水分とかいった感覚が消えてゆくような、そんな感じ。

 今、隣でピュアピアに成り切っているキャストの先輩である真耶さんの、ワタシが入ってすぐの頃に言っていたことを思い出した。

「着ぐるみってね、自分が自分じゃ無くなる感じなんだよ。タイツとかマスクが自分の肌とか顔みたくなって、境目が溶けて無くなる感じ」。


——


 第二部を終え、キャスト達が舞台裏に帰ってくると、再び修羅場が始まる。水、スポーツドリンク、保冷剤、ハンディ扇風機、その他もろもろが飛び交い、マスクの中から現れた、熱のカタマリと化した乙女たちを少しでも冷やそうと大わらわ。

 特に急遽のデビューとなった小石川綾音(あやね)さんは、いきなりの操演ながらよく耐えたどころか、初めてとは思えないパフォーマンスを見せてくれた。でもその分、発した熱も汗も大量で、ゼンタイの頭の部分をぐっしょりと濡らしてもまだ足りず、縫い目から水滴となってポタポタ落ちるほど。

 それでも、やり切った感が表情から浮かんでくるし、熱中症の気配も今のところ無い。

「どうだった?」

隣で彼女をサポートしていた嬬恋真耶さんが、ニコニコしながら問いかける。嬬恋さんも汗びっしょりなのだけど、そんなことは気にせず、小石川さんの感想が聞きたくて仕方ない風で。

 「暑かったですけど……」

その小石川さん、まずそっちから言うのはわかる。でもその後に、

「楽しかったです」

と、笑顔で言うあたりに、私と嬬恋さんの感想は一致したようだ。

(これは、ハマったかな)。


 着ぐるみには中毒性がある。ことに夏は暑さとの戦いを乗り越えるハードワークとなる。

 それでも、クセになってしまう。


 彼女には、その素質があると思う。


 第一部で大事を取って休ませた彼女も復活し、小石川さん達に扇風機で涼を与えつつ、

「ごめんなさい」

としきりに謝りながらも、嬬恋さんに、

「気にしないで。また一緒に舞台に立とうね」

と言われると、

「はい、ありがとうございます!」

と、満面の笑顔で答えるのだった。


 夏の新人キャストデビュー祭りはこれで、いち段落。

 でも新人だけでは足りないとも思ってる。


 もちろん、手は打っている。

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