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宗教上の理由  作者: 儀間朝啓
第五章
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その一

第五章その一


 宗教上の理由によって、産まれた時の性とは異なる、女性として育った真耶さん。そして自分でも「作られた性」であることを心得ているので、あくまで自認は「男」。

 実は神使の後継者が現れなくても、大人になれば普段は男性として振る舞うことが許される。既に「少女」ではないのだし、神事などの時だけ少女の魂を目覚めさせる能力が付いたと見なされるから。

 そこで、真耶さん本人も男子として生きてゆく必要性は感じているしトライしてはいるのだけれど、なかなかうまくいかない。

 そんな苦しみを心のうちに抱えつつ(外面上そうとは見えないけど)真耶さんは今日もこうして女の子女の子しちゃってる。


 相変わらず、雨はシトシト降り続ける。

 高原の緑を濡らし、活き活きとさせる梅雨の雨は恵みの雨。

 それを間近に眺められるのが、このカフェの良い所でもある。ガラスなどの仕切りも無く、まさに目の前を雨粒が落ちてゆくさまが鑑賞できる。


 ただし、自分自身も雨に濡れながら、だけど。


 コノハナには雨を楽しむ伝統がある。火山の噴出物に覆われた土地は水はけが良すぎるから、雨は作物にとって有り難い恵みだから、雨の日こそ「好天」であり祝うべき日なのだ。

 この喫茶店のテラスも屋根が無い。パラソルがテーブルに差してはあるけれど、それは飲み物のためのもので、人間様のためではない。

 だから通な客は雨の日こそ外での時間を楽しむ。つまり、真耶さんもわたしも、しっかりレインスーツ装備。

 雨の勢いは強くないし、粒も小さいけれど、密度の濃い雨粒がしっとりとレインスーツを濡らしていく。標高の高い村なので気温は低く、梅雨といってもジメジメは感じず、レインウェアのゴアテックス素材越しの雨粒はちょっと冷たいくらい。

 でもこの格好で温かい飲み物を飲むのが丁度良く、心地よい。


 わたしはコノハナで、雨も良いものだ、と学んだ。


——


 雨なんて、サイアク。


 この時期、子どもを保育園に送るのもひと苦労。ただでさえ自転車での送迎は大変なのに、その上娘にレインコートを着せ、レインブーツを履かせないと。

 もちろん私も雨装備。パンツタイプのレインスーツならアウトドア用の軽くてムレない製品もあるのは知ってる。でも山に行くわけでもなし、子どもの送迎のためだけにそれを買うのはなんか気恥ずかしくて、学生が通学に使うような紺色のを選んでしまった。

 お陰で、今の時期はムレてムレて仕方ない。


 離婚なんて、しなければ良かった。

 いや違う。

 離婚せざるを得ないような人を夫に選ぶんじゃなかった。


 声の仕事に憧れて、高校に通いつつ声優養成所に通い、在学中にデビュー出来た。実力より運が味方したことは否定しない。とにかく若手の新人声優で固め、アニメ本編のみならず歌手ユニットとして売り出したりしてアイドル的なプロモーションをすることが流行っていた時代で、その一員にも選ばれた。

 私はタイミングが良かった。

 高三の頃には休日がほとんど潰れるような忙しさになったけど、仕事は楽しかった。大学進学を取りやめ、卒業後は声優としてアニメやゲームへの出演のみならず、歌にラジオにとあちらこちらで活躍の機会をもらった。


 ところが、二十代半ばになると仕事が目立って減り始めた。新陳代謝の激しい業界だとは分かっていたけれど、自分のデビューした歳と同じかそれよりも若い後輩たちが次々とデビューし、人気者になって行くのを見ているうち、悟った。

 声優業界は若い人材を求めている。でもそこから、ふるいに掛けられてゆく。今の私もふるいの目にかろうじてしがみついているだけ。

 三十になる前に、安定した道に戻ろう。


 そんな時、ちょうど気が合う男性と出逢い、交際を始め、結婚した。


 結婚後も声優関連の仕事は細々と続けていた。と言うより、人気がピークの時に関わった作品はいくつかシリーズ物として続いていて、時々イベントが開かれる。そんな時にお呼びが掛かれば喜んで応じた。新たにオーディションを受ける気は無かったけど、昔から応援してくれてるファンのみんなの前にはどんどん出て行かなきゃと思ってたし、自分でも嬉しかった。

 間もなく子を授かったので育児に奮闘、アフレコ現場はますます遠のいたものの、産後の身体が落ち着くてからは、相変わらずイベントに呼ばれていた。たまにイベント会場に出向くのは気分転換にもなったし、子育てと両立するのに丁度良いくらいのペースだった。

 子どもが成長して来ると、慣れも余裕もでてくる。たまのイベントの他にも外で働こうか? でも週五日とかだと娘との時間が減る。そんな理由で、単発のアルバイトを主にこなしていた。

 生活費は心配なかった。夫の収入で娘ひとり含めての三人家族が暮らすには十分だったから。

 ところが結婚生活でもっとも肝心なところでつまづいた。私と夫との価値観の違いが結婚生活のなかで次第にあらわになってきた。

 私たちは決断した。別れよう、と。


 離婚からしばらくして、夫は養育費を払わないようになった。法の抜け穴を使ったか知らないが、呆れて抗議する気にもならなかった。

 だから、今は私がパートタイムで働いて得た給料で生活のほとんどを支えている。


 世の中人手不足とは言うものの、アピールできる職歴も無い子持ちのシングルを高待遇で雇ってくれる会社はなかなか無い。資格取得とか収入に繋がる技術の習得に集中できるほど子どもは成長していないし、そもそも転職活動の時間も取りにくいし、ついでにまともな就活というものをしていないのも厳しい。

 昔に関わった作品関連の仕事が全く無くなったわけではないけど、それすらかなり減ってきた。

 減っては来たけど全く無くなるわけでもなくて、これが生活面からは厄介でもある。いつどこでお呼びがあるかも分からないから、レギュラーワークを避けたいのだ。


 声の仕事があるのは嬉しいことなんだけど、大人数の前に立つ以上、準備を整えねばならない。美容院に行き、メイクを工夫して必要ならば化粧品を買い足し、また発声練習や歌の練習と、時間もお金も掛かる。ギャラと経費を天秤にかけて、ため息をつくことも。


 いっそ、「引退」しようかと思うこともある。でも私の声を聞いて喜んでくれるファンが少しでもいる限りは、なんだか心苦しくて、やめられない。

 逆に声優として再起を図ろうにも、ブランクと年齢の壁は、やっぱり厚い。


 家が保育園に近い保護者は、子どもと一緒に歩いてやってくる。そして遠方の人の多くは車でやって来る。男女問わず車の運転が出来て普通な時代、声優には要らないからと理由づけて免許を取らなかったのが悔やまれる。

 車ならともかく、徒歩だと雨具は必須だし、就学前の子どもは色とりどりのレインコートに身を包んでやってくる。

 こうして見ると、かわいいなあ。

 でも、私たち親子は町はずれから自転車でやって来て濡れネズミのようになってるからなぁ……。


 「おはようございまーす!」

元気な声が、駐輪場にこだました。

 自転車で子どもを預けに来る親は少ないけど、その数少ないうちの一人のお母さんが到着したのだ。交通手段が同じだと、自然と話す機会も増える。

「おはようございます」

 「あれ、どうしたんですか? 朝からお疲れみたいですけど」

変わらず元気なトーンで私に語りかける彼女は、通学用にも使えるタイプのレインウェアなのは私と変わりないけど、コートタイプの腰ひもをキュッとリボン結びにして綺麗なシェイプを作っている。どんな服でも着こなし次第で映えるんだね。

「だって今朝も雨でしょ? ジメジメしてるし、ムレちゃって、それだけで体力奪われちゃう。ふぅ」

思わず最後に溜め息をついてしまった。

 でも、

「そうですか? 夏だし、晴れたら晴れたで暑いし、普段と違ったオシャレができるの、いいと思いません?」

と、彼女。

 私よりずっと歳下だからなのかな、考え方も元気で前向き。いや、若さだけじゃない、なんか、トラブルとか嫌なことだとされている事でも、そう思い込まずに触れてみると、悪くない、むしろ良い、楽しい、ってことに気づくスキルがあるんだと思う。


 そうしているうちに、子ども達はとっくに自転車を降り、カラフルなレインブーツでもって、水たまりでステップを踏んで遊んでいる。

 そっか、子どもは雨を楽しむよねぇ。


 そういえば、雨になると元気になる子がいたなあ。

 結婚して、時間が出来て、しばらくはイベントだけでは物足りなくて、始めた単発で出来るアルバイト。そこで、その子と出逢った。

 お仕事の集合場所は駅から近いし、その子の家も駅から近いのに、雨の日は必ずオシャレで可愛いレインウェアとレインブーツでやって来てた。傘だけでいいのにって思うけど、彼女の言い分は、

「せっかくの雨の日だもの。雨の日のファッション楽しまなきゃもったいないです」

って。

 まだ、あそこで頑張ってるかなぁ、ってそれは無いかな。続けてるとしたら日曜とかに本業の合間を縫って、自分でも楽しみながらお仕事してると思う。


——


 お店をあとにする頃には、雨はポツポツとしか降っておらず、雨具が無くても良いくらい。

 それでもレインスーツ上下を一切の着崩しなく着用し続ける真耶さん。雨上がりには急に冷え込むこともあるし、透湿性のあるアウトドア用レインウェアを着て温度感覚が丁度良いところまで計算しているのかも?

 だから、村の人々は雨が止んだからって反射的に雨装備を解いたりはしない。わたしが今しているように、レインスーツの一番上のホックを外してファスナーを胸の上あたりまで下ろすくらいが丁度良いと思う。

 なお、それらも一切開放しないのは真耶さんの趣味。たぶん家に着くまでこのままの格好だと思う。


 「いつ頃まで、こっちに居るんですか?」

「あー、んーとね、明後日くらいには帰る予定。大学が夏休みだし、新しい子が入って来るから」

真耶さんはキャラショーキャスト歴が長いし、教え方が優しく丁寧なので、新人さんへのレッスンも仕事のひとつになっている。普段はほぼ休日しか仕事のない真耶さんにとっては稼ぎ時でもある。

 でも、そのあとの言葉を、真耶さんはため息混ざりに続けた。

「でも、経験者さんがもう一人くらいいると心強いんだけど」


 パートタイマー(日本で言うところのアルバイトもパートも「パート」と呼ぶネイティブコノハナ村民はもいる。ドイツ語由来のアルバイトという言葉は労働や運動など全般を指すので時間内労働を指すパートタイムワークとは区別される)不足は色んな業界で起きている時代。

 まして夏の着ぐるみワーキングは暑さが大敵で、それに参って職場を去る子も多いらしく、というか応募者の数自体がここ数年の猛暑も影響してか、夏になると減るのだとか。

 だから即戦力だし暑さを御する方法も知っている経験者は有り難い存在だろう。


 一方、真耶さん自身も職場の仲間たちから頼りになる、経験値を持った同僚と見られているのを自覚してて、それで余計に辞められないってことも有るんじゃないか、という心配もしてしまう。

 そして翌日、真耶さんは東京に帰って行った。

「明後日のステージ新人さん多いから、あたしも入って、って。今夜前乗りだから早めに帰らなきゃ」

と言い残して。

 やっぱり、真耶さんは頼りにされてしまっている。

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