その七
その七
夏休みは着ぐるみショー業界の稼ぎ時。真耶さんは忙しくなる前を狙って木之花村へやって来た。それを聞きつけ、わたし達お気に入りの喫茶店に誘ったのだ。
七月に入っても、まだまだ梅雨の真っ只中。雨の日にわざわざお出かけしてお茶する理由は、ここの庭。コノハナの庭は、雨の日こそ美しいから。
その真耶さんが、これまた自然きわまりなく、あざとさのカケラも感じさせず、首をちょこんと傾げながら問いかけてくる。
「楓ちゃんのラジオのお名前ってさ、どうして板谷さんに決まったんだっけ?」。
問われたわたしは、
「ぶぅ」
と、わざとむくれた顔を作ってやった。だって、
「どうして忘れるかなあ、キッカケは真耶さんですよ?」
ということなので。
木々の緑はますます濃くなり、降り注ぐ雨粒は潤いと鮮やかさをそこに加える。
テラスのそばに集うカエデとモミジは、秋になれば赤に黄色にと衣替えし人々の目を楽しませてくれる。でもその準備期間である初夏の緑葉もなかなかのものだと思う。
ひときわ目立つのはサトウカエデの大木。メープルツリーと言った方が通りは良いだろうか。カナダの国旗でもお馴染みの、甘い樹液を煮詰めてシロップを作ることが出来るカエデの木。
コノハナでは移住したカナダ人が導入した苗からメイプル(メエプルとも。村では昔からの表記を使う人が今でも多い)のシロップ作りが普及し、村の特産品になっている。
それを囲むように日本在来のカエデやモミジ達も。
まずはミネカエデ。寒冷な気候に耐えるので「ミネ」という名にたがわず山岳地帯に多くみられる。
このミネカエデという呼称が、わたしの本名、
「ナガミネカエデ」
と部分一致する。だからメイプルつながりでカエデやモミジの類に詳しい人は、気づいてしまうので、
「楓ちゃんの名前の中にはミネカエデさんがいるんだね」
と、言ってくれる人もいた。
ま、わたしの周囲で動植物に悉くさん付けする人は、一人しか居ないけれど。
今わたしの目の前で、チャイをふーふーしてる人。
しかも真耶先輩(当時)は、次続けてこんなことを言った。
「でも、苗字がサトウさんだったら、もっと良かったのにね。美味しそうな名前。あ、でもカエデに変わりないから、楓ちゃんのこと、今度からメイプルちゃんって呼ぼうかな」
引いた。
劇的に、ドンと引いた。
どこのメルヘンなお国のお名前なのですかっ、それは。わたしはそういうの恥ずかしくて苦手なのだ。
だから、勘弁してと懇願すると、真耶先輩はひどく落胆(こんな事で?)したけど、めげずに、すかさず、
「そっかー、じゃあイタヤカエデさんが良いかな?」
と提案してきた。
イタヤカエデも日本在来のカエデで広く国土に分布する。樹液には糖分が含まれるので、この木によるシロップ作りを試みている地域もある。
ただ収量は少なく、この樹種のみでの収益化は難しいらしい。だからコノハナでは、農家に蓄積されたノウハウを活かし、サトウカエデと混植してのシロップ作りが最近になって始まっている。
このいかにも甘ったるい呼び名は、当時から不思議ちゃんの道を極めんとしていたところの真耶先輩しか使わなかったために、いつのまにか忘れ去られていた。
それを大人になって、あえて使おうと思ったのは、ラジオDJをやる事になるとまるまるそのまま本名を名乗るのは恥ずかしいので、昔の名前を使ってみようと思ったのだ。
ま、ちっちゃな村のちっちゃなFM局だから、だれが話してるかなんてバレバレなので、気持ちの問題でしか無いんだけど。
——
メイプルをはじめとする地元食材を料理に使うことで特産品のPRに協力し、大人たちの好感度を上げる。これこそ我らが弱小家庭科部の生き残り戦略だった。だから家庭科部員が村の特産品であるメイプルの原料や、カエデに詳しいのも自然なことだった。
そして弱小たる由縁である慢性的な部員不足は、令和の時代と比べたらまだまだ、
「家庭科は女子のための科目」
なんて偏見がまだ力を持っていたからでもある。家庭科部に入るのは女子、という思い込みが生徒たちの間には普通に存在していた。多様性の村、コノハナでさえ。
その家庭科部に所属し、その中でもとくに実力を発揮する真耶先輩。女子力の塊と例えるには十分すぎる。
真耶先輩の将来の夢はズバリ、
「お嫁さん」
だった。
わたしが知り合った頃には、さすがにそれが果たせぬ望みだと気づきつつ、あくまで願望として言っているだけだったと思うけど、幼稚園に通っている頃はかなりガチに夢を語っていたらしい。
真耶先輩の妄想では専業主婦を想定していたようだけど、ある日、そこに変化を与える出来事が起きた。
木之花中の職業体験に、隣の町のテーマパークでの着ぐるみ操演という選択肢が加わったのは真耶先輩たちの代からのこと。それはもちろん生徒たちが希望したから実現し、言い出しっぺこそ真耶先輩ではなかったけど、家庭科部が全員そこでの職業体験を選んだので一緒に参加。
で、その結果、ついて行っただけの真耶先輩が最後は一番ノリノリになってて、
「大人になったら、こういうお仕事、やってみたいな……」
と、感想を述べるに至った、という。
その時、初めて芽生えた真耶先輩の現実的な将来の希望を、大人になった今の真耶さんが叶えた、とも言える。その年月を経て、着ぐるみを操演する職業を指すスーツアクターという言葉は昔よりも人口に膾炙するようになり、職業として多くの人々に認知されたとも言える。そして真耶さんもスーツアクターの一人と言って良いと思う。
けれど真耶さんの場合、このままスーツアクターを続けるには決定的なアキレス腱がある。
壊滅的な運動神経のせいで、アクションが超苦手なのだ。
特撮などのアクションはスーツアクターの花形だからこそ、それが出来ないとなれば仕事の選択肢も減ってしまう。
もちろん、スーツアクターになるならすべからく戦隊ヒーローを目指すべし、という時代でもない。今や世の中にはバラエティに富んだ着ぐるみたちが跋扈しているのだから。
しかし今度は真耶さんの、「身体は男」という点が足を引っ張る。男女を比べた時、相対的に平均身長が高いのは男子。その中で真耶さんは男子の中では相当に背が低いし、女子の平均にも及ばないのだけど、着ぐるみの世界では女子の平均身長を大きく下回るくらいの操演者が求められることも多く、平均をちょっと下回るだけの真耶さんには着られないキャラクターも少なくない。
つまり、有り体に言うなら、
真耶さんは、着ぐるみだけでは食べてゆけない。
いま真耶さんは、テレビアニメ原作のメルヘンショー主体に出演していて、いきおい土休日に仕事が偏る。
だから平日は本業をこなしつつ、休日は無理のない範囲でスーツアクターに変身するというのが理想的な働き方だと思う。
でもそれは難しいと思う。
だって。
就活するにしても、リクルートスーツはウィメンズとメンズ、どっちにするの?
——
天狼神社は、徹底した血縁主義のもと運営されている。
神使は、厳格に定められた血筋の範囲内において、神から授けられる。そうすることで強い信頼と信仰をあつめてきた。
血縁にこだわることで、それにふさわしい御心を持った神使様がまた現れる、という安心感が生まれるから。
もちろん、政治も産業も、代々の一族で継いでゆくのが普通の時代から続くしきたりだから支持されてきたという側面もある。それでも、民主化と誰でも好きな職業を選び政治に参加できるという時代になっても、宗教においては世襲を良しとすることもある。
それを可能にするのは、神社であれば、氏子をはじめとする人々がそれを承認しているからだ。
ところで、王だろうが皇帝だろうが、実子を基本とする世襲による地位継承は、いつか後継者の候補に困る時がやって来る。
そんな時どうするかは、慎重に慎重を重ねて検討しなければならない。特にその地位が、民主的手続きによって承認されたうえでのものであるならば、なおさらだ。
安易な跡継ぎの確保、例えば養子を取るなどは、もってのほかと考えるべきだ。それは外部の者が実権を握り王を傀儡とする道を開く、すなわち非民主的なあり方で政権が乗っ取られる。
だからそれを推進しようとするとこ自体、その者にそういった野心があると疑ったほうがよい。
それを一度許せば、一族による安定した譲位は失われる。悪意をもった者がありとあらゆる策をもって権力者の列に割り込もうとする。
何処の馬の骨とも分からぬ、いや何処のやんごとなきお方か分かっている方が厄介だ。家系を辿りに辿るとかろうじて血縁関係が見出される、そんなのを一度受け入れたらキリがなくなる。
男も女もない。男系も女系もない。継承者候補が女性しか居なければ女王や女帝が誕生する。それで良い。むしろそれが良い。
さて、人間による神の使いという特殊なポジションを、俗世の権力者とまるで同じに考えるわけにも行かないが、血縁主義を守った方が良いのは変わらないし、それが神様の思し召しでもある。
天狼神社の神使と政体における世襲との最も異なる点は、神使には性別の制限があるということ。女子が産まれないからといって、遠い血の子を養子にするわけに行かない。
そんな時でも、神使の家を受け継いだ子どもさえいれば、方法はある。
その子を少女だと言い切ってしまえば良い。
彼が、もとい、彼女が神使として遣わされたことに気づけば良い。
それが、嬬恋真耶である。
男子として産まれながら、女子オブ女子として育てられ、それに適応した真耶さんは、いまも男子に戻れず、というか、なれずにいる。
何せ神使を務める期間が長すぎた。あまりにも異例なほどに。そのため女子としての振る舞いが当たり前となり、就活に支障をきたす程の年齢まで、そしてそれを過ぎても、女子の殻を脱ぎ捨てられなかった。 否、女子のすがたから脱皮したら、女性になっていた。




