第85話 ゆらぎ
その日、まだ夜が明けて間もない頃に小さな地震があった。
災害大国とよばれた日本にとっては日常的なことである。
城の者たちにとっても街の者たちとってもよくある普通のことで、それ事態は大きな問題ではなかった。
だが問題は城壁でおこった。
軽い地震であったにもかかわらず、城壁の一部が崩壊しおおきな隙間ができてしまったのである。
奇妙なことに最近改修工事をしたばかりの真新しい箇所であった。
一番強固になっているはずの新しい場所だけが崩れたのだ。
これはなぜか?
実はこれも『エリクサー』の効果だった。
城や城壁の材料は土にアリの体から出る分泌物を混ぜ合わせた物。
そして今、アリたちは一匹の例外もなく『エリクサー』に汚染されている。
『エリクサー』まみれの分泌物をつかって城壁を作った結果、本来の性能とはかけ離れて脆い壁になっていたのだ。
こんな大事故を放置するわけはなく即座に三騎士の中から二人、『緑風』のアルヴェインと『鉄角』のドラグスが兵士をつれて現場にむかう。
二人の騎士は大破した城壁を見てそれぞれ驚愕と怒りの感想を口にした。
「なんだこりゃあ! 新品のくせになんでこんな事になってんだあ!?」
「とんでもない手抜き工事だ。現場責任者は厳罰に処さねばなるまい」
「おう、こいつは許せねえぜ!」
他の城壁は無事なのに、新しく作ったばかりのここだけが崩れた。
普通に考えて手抜き工事としか思えない。
なにか不正の証拠でもつかめれば、と配下のアリ兵士たちに命じて崩壊現場の調査をはじめるアルヴェインたち。
城の外に住む人間たちも「一体なにが起こったんだ」とゾロゾロ集まってきた。
「おい人間ども、邪魔だから失せろ!」
「ほうっておけドラグス。今はそれどころではない」
「チッ」
城壁が壊れるなんて人間たちにとってもはじめての事である。
見上げるほど巨大な壁の、痛々しく壊れた断面を物珍しそうに見物していた。
アルヴェインとドラグスはさらに増えてくる群衆たちを鬱陶しそうに睨んだが、自分たちの仕事を優先し放置した。
調査をはじめて数分もしないうちに、また地震があった。余震というやつだ。
これが悲劇のきっかけとなった。
むき出しの割れ目がまた揺さぶられて、ボロボロとくずれ落ちる。
くずれた破片が調査中のアリたちに降りそそぐ。
数匹のアリたちが下敷きになって即死。その数倍のアリが負傷する。
その負傷したアリたちがパニックを起こし、あろうことかすぐ傍にいた人間たちを襲いはじめた!
すでにアリたちは『エリクサー』によって心身ともに衰弱した状態にあった。
弱った心に強烈な刺激をうけて、生存本能が暴走したのだ。
はた目には単なる暴力衝動に見えた。だがアリたちにとっては生き残るための必死の抵抗だったのだ。
一瞬にして事故現場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
飛び散る鮮血。
響きわたる悲鳴。
「や、やめろ、なにをしている愚か者!」
アルヴェインたちは血相をかえて地上へ急降下し、暴れるアリたちをその手で粛清してまわる。
しかし同時にその場で、アルヴェインたちは思いもよらぬ光景を目撃することとなる。
「てめえよくやったなコノヤロー!!」
殺意にみちた男の怒号。
人間の男が手ごろなサイズの瓦礫を持ち上げて、アリの脳天に叩きつける。
反撃をうけたアリは脳天を砕かれて動かなくなった。
「やっちまえこんな奴ら!」
「ウオオオオ!」
人間たちがアリに立ち向かい、戦いはじめた。
しかも強固なはずの外骨格を石や木の棒などの粗末な武器で打ち砕き、それなりに善戦しているではないか。
「や、やめろテメエら、ブッ殺すぞオラ!?」
ありえない光景に驚きつつ、ドラグスが間に入ってアリと人間の双方を突き放す。
さすがに三騎士のなかでも最強の怪力をほこる彼にはかなわないが、それでも信じられないほど人間たちが強くなっていた。
……いや違う、アリたちのほうが弱くなっていたのだ。しかもアリたちの弱体化を、人間たちはすでに知っていたような雰囲気だった。
「な、なにが、なにが起こっているのだ」
アルヴェインも不可解な状況に困惑した。
しかし騎士としての責務とプライドが彼を戦闘に駆り立てる。
戸惑いながらも左右の手から光の刃を発生させ、暴れるアリと人間の両方を次々と粛清する。
さすがに三騎士が相手では勝ち目がないと思い知った人間たちが逃げていく。
人間たちはこの国にとって農業奴隷という労働力であり、同時に新しいアリを生み出すための素材である。
だからアルヴェインたちは相手が逃げ出した時点で人殺しをやめた。
しかし。
「おかしい……一体なにがどうなっているのだ……」
城の内部だけではない。外部でも謎の異変が起こっている。
人間たちの反応がこれまでと違うのが証拠だ。
これまでは怯えて言いなりになるしかなかった人間たちが反撃してきた。
今も遠くから自分を見ている人々の視線が強気なものになっている。
かつては畏怖の視線だったものが、敵意と憎悪の視線になっている。
不気味であった。
何かとてつもない異常が発生している。
それは確かだが具体的な正体がまるでわからない。
分からないからこそ、アルヴェインたちは恐怖した。
「き、帰還するぞ!」
内心の恐怖を否定するため、アルヴェインは生き残ったアリたちに強く厳しい声をだした。
壊れた城壁の裂け目から城内に戻っていく彼らのうしろ姿に人間たちは敵意の目をむける。
その中にレジスタンスの一人、酒場のマスターの姿もあった。
最近アリが弱体化しているという情報を拡散させたのは彼らだ。
今回のゴタゴタでアリ弱体化のうわさがウソではないと証明された。
そして不平不満の炎はまだまだそこら中に燻っている。
まだ反撃ははじまったばかりだ。




