第83話 王国の悲鳴
『エリクサー』による水攻めが開始されてから、三週間がたった。
とうとう新しい蟻の生成だけでなく、すでに働いている蟻兵士たちまで体調不良がおこりだす。
『女王』アナスタジアや配下の三騎士たちにまで被害はおよんでいない。
だが末端の働きアリたちの健康被害はすでに「気のせい」ですませられるような状況ではなく、今すぐにでも原因究明しなくてはならない大問題になってしまっていた。
(さすがにちょっと可哀そうになってきちゃったわね)
ジルヴァは毎日遊び歩いているふりをしながら、城や街の様子を観察しつづけていた。
ここ数日、末端のアリたちの動きがあきらかに悪くなっている。
衰弱死した個体の外骨格を軽く調べてみたところ、以前とは比べ物にならないほど脆く、ボロボロに崩れた。
紫織や鉄男の故郷の街で実験した時とおなじ状態である。
間違いなく『エリクサー』の影響で弱っていた。
(だからって助けるわけにいかないし……。あーヤダヤダ。シリアスな人生ってこれだからや~ね~)
心苦しい想いを胸に抱きながら、ジルヴァは知らぬふりをして生活をつづける。
一方、人間たちの生活はいつもの通りだ。
しかし支配者であるアリたちの様子がおかしいのは彼らから見てもわかる。
謎の変化に不安と恐怖をいだいている者、逆になにか不穏なことを企んでいそうな者たちがあらわれていた。
いまこの国でなにかが起こっている。なにかが始まろうとしている。
そんな不気味な気配が『女王』の国全体をおおっていた。
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街の上空を飛んでひと通り見てまわり、ジルヴァは城へ帰還する。
屋上に着地すると、そこに先客がいた。
おなじ超上級天使のなかでも最強とよばれる危険な男。
『偽聖剣』のジークだった。
ジークはいつものように紫色の不気味なオーラを漂わせ、衰弱した気配は微塵もない。
だがめずらしく表情に元気がない様子だった。
めずらしい事もあるものだと興味をそそられる。
ジークのほうから話しかけてきた。
「こいつが最近弱ってしまってな、どうしたものか」
彼の手の上に、とても小さな天使の少年が乗っていた。
妖精のように小さくかわいらしいその姿にちょっと見覚えがある。
以前ジークが錬金術研究所で暴れた時そばにいた、元気のいい小型天使。
たしかピコという名前だったような。
いまは見る影もなく衰弱し、真っ青な顔色でグッタリと横たわっている。
「別に居たところでなんの役にも立たぬ奴ではあるのだが」
いつになく弱々しい、言いわけめいた口調でジークがつぶやく。
「それでも……、それでもいつもやかましかった奴にこんな様でいられるとな……」
だから頼む、助けてくれないか。
彼は言外にそう言っている。
いつも威張りくさっているやつの弱々しい心の悲鳴を聞いて。
そして可愛らしい妖精少年が死にかけているのを見て。
ジルヴァの良心は耐えきれなくなった。
余計な行動はひかえるべきなのは百も承知だったが、つい手助けしてしまう。
彼女ははるか彼方を指差した。カズヤたちが潜伏している土地とは逆の方角を。
「いま何が起こっているのかは分からないけど、はるか遠くまで行けば影響がないのは確認済みよ。この地を離れて静養すればきっとまだ間に合うわ」
伝えながらジルヴァは懐をさぐり、小瓶に入ったポーションをジークに渡す。
錬金術でつくった自分用ポーションだ。『エリクサー』を中和する効果がある。
「健康ドリンクよ、品質は保証するわ」
「恩に着る」
ジークはポーション入りの小瓶を握りしめ、鋼鉄の翼を広げた。
飛び立つ前に、ジルヴァに問う。
「メルクリウス。この国の状況は貴様の仕業なのか?」
ギクリ、と胸の奥が緊張した。
同格の超上級天使とはいえ、彼女は非戦闘型である。
超戦闘特化型のジークに襲われたらひとたまりもない。
「あたしは関係ないわよ。人間がなんか小細工しているのかもね」
あくまで平静をよそおってそう告げる。
さいわい追及はされなかった。
「そうか」
それだけ言うといつものように乱暴に飛び立つ『偽聖剣』のジーク。
暴風に顔をしかめている間に、彼ははるか遠くまで飛んでいた。
(あいつ、あたしのこと疑ってたわね)
小さな妖精ちゃんがピンチでなければ、そして助けようとしなければ、ジルヴァはもっと乱暴に追及されていたかもしれない。
情けは人のためならずと言うが、善意で行動して正解だったようだ。
とにかくたったいま『偽聖剣』のジークはこの国をはなれた。
最大級の脅威が去ったと考えるべきか。
それとも強敵を倒しそこねたと考えるべきか。
それはまだ分からない。




