第82話 『水銀《ジルヴァ》』と『女王《ミチコ》』
密かに続けられた『エリクサー』による水攻め。
効果が現れはじめたのは開始して二週間ほどすぎた頃からだ。
城内にある天使合成ユニットの稼働状況がおかしい、という部分から異常がはじまった。
「蟻の生成が不具合多発じゃと? 一体なにが起こっておる!?」
強い不快感をしめす『女王』アナスタジア。
報告者である『白面』のマンティースは恐縮しながら報告をつづける。
人間の死体を巨大蟻や蟻人間として再利用するというこの街のシステムが、最近急にうまくいかなくなったのだ。
死体とその他の合成素材を天使合成ユニットに詰め込んで生成。というこれまでと同じ行動をしているのにやたらと失敗する割合が増えた。
これまでにも数%は失敗作が混ざるものだったが、実に70%もの高確率で失敗作が出来あがるようになってしまったのである。
死体も合成素材も無限にあるわけではない。
こんなにも強烈な環境の悪化は支配者としてとうてい見過ごせるものではなかった。
「も、申し訳ございません女王陛下。原因はまだ不明でございます」
「ユニットの整備不良の線はないのか?」
「いえ私も立ち合いのもと整備を行わせましたが改善にはいたらず……」
「人間どもの死因が新種の流行り病などであった可能性は?」
「そのような病が蔓延している気配はございません……」
「……」
無言で不快感と圧力をしめす女王。
『白面』のマンティースは白い仮面の奥に汗をにじませながら、弱々しく発言する。
「ただその」
「……ただ、なにか?」
「申し上げにくいことながら妙な点で異常な報告が……」
「ええいハッキリ申さぬか! モゴモゴとなにを言っておるかわからぬぞ!」
「も、申し訳ございません! 命令無視をして人間の死体を食った不届きな個体が、死亡するという事件がありました!」
巨大蟻も蟻人間も知性は高くない。
だから時として命令無視をし、勝手な行動をとることがあるのだ。
新たな素材として回収しなくてはいけない死体を、我慢できずに食ってしまうバカな個体も中にはいる。
そんな出来損ないはもちろん殺処分するのだが。
今回、その不届き者の食人アリは処刑するまでもなく勝手に死んでしまったというのだ。
「人を食べたら死んだ……?」
「ははっ」
「毒か?」
『女王』アナスタジアの感想はごく普通のものだった。
食べて死ぬなら毒性があったということだ。しかもかなりの猛毒。
「その可能性は否定できませんが、どこでそんな毒物を口にしたのか皆目わかりません」
新種の毒キノコでも食って死んだというなら集団食中毒みたいな事件がおこっているはずだ。
肉でも魚でも、あるいは酒や薬物などでも理屈はほぼ同じ。
なにか良くないものが新しく入ってきたのなら、事件という形で見えてくるのが社会の道理なのに。
それなのに人の死にかたはいつもと変わらず。
死体の数も増えるでもなく、減るでもなく。
いつも通りとしか感じられないのだ。
その他、機械に不具合があるわけでもなく、合成素材が不良品というわけでもなく。
結果だけだ。結果だけが突然悪くなった。
わけがわからない。
「ええい、いつも以上に戦力増強が重要だというのに!」
軍隊の強さとは兵の数と質、そしてそれを維持できる時間で決まるという。
女王はみずからの蟻軍団に自信がある。少なくとも人間などに劣るものではないと確信している。
だがいかに強い軍団でも戦地に送れば死傷し、数が減る。
計画通り関東全域を支配地とするためには、死傷した分を補充しつづける高い生産能力が必要不可欠だった。
その生産能力が低下したいま、大規模な戦争をはじめるのは不安が残る。
『女王』アナスタジアが苛立つ理由はそこだった。
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(原因は『水』なのよねえ)
ジルヴァこと超上級天使『水銀』のメルクリウスは、城内で発生している騒ぎを知りつつ放置していた。
人間は毎日水を飲む。天使を作る合成素材の中にも大量の水がふくまれる。
その水が『エリクサー』まみれなのだから、失敗して当然なのだ。
アルコール消毒液の中で雑菌を繁殖させようとしているようなものだ。上手くいくわけがない。
むしろそんな環境で30%も成功させられる現場の技術力こそほめられるべきだろう。
ジルヴァ本人は『エリクサー』によるダメージをしっかり回避している。
彼女はカズヤとの生活の中でいかに自分だけ『エリクサー』から身を守るかという点も研究しつづけてきた。
彼女の知識を使えば、ふたたび蟻軍団を効率的に増やすことも可能なのだ。
だがジルヴァはそれをしない。
そして女王から協力を依頼されることもなかった。
(ま、教えてやる理由なんてこれっぽっちも無いのよね~)
『水銀』と『女王』は利害関係がかみ合わないのだ。
侵略対象に選ばれた関東地方は、長年ジルヴァが生きてきた思い入れの深い土地である。
そこを侵略し、支配しようとする女王の野望に協力する気などさらさらなかった。
そしてミチコのほうからジルヴァに頭を下げて協力を願うこともなかった。
『水銀』が『女王』の傲慢さを嫌うように、『女王』のほうも『水銀』の自由奔放さを嫌っていた。
両者が力を合わせれば、あるいは世界征服だって可能なのかもしれない。
だがそれはあり得ない話だ。
両者の心の中にある理想の生き方というものが極端に違いすぎていた。




