24章 異界回廊 50
思いがけない領地の話が持ち上がった翌日、俺たちはサクラヒメの故郷、ザンザギル侯爵領へと向かった。
俺たちが侯爵邸を訪れたのは昼過ぎであった。
すでに連絡はいっているため、サクラヒメの両親であるザンザギル侯爵と、その令閨のカエデノハ夫人が館の玄関前で迎えてくれた。なお、侯爵は灰色の髪を後頭部で束ねた侍のような風貌の男性であり、カエデノハ夫人はサクラヒメに似た美人である。
すぐ館に通された俺たちは、部屋をあてがわれてそちらで一休みすることになる。サクラヒメはそのまま両親のところへ色々と報告に行ったようだ。
俺が部屋で休んでいると使用人がやって来て、応接の間へ案内された。
その場にいたのは侯爵とカエデノハ夫人と、そしてサクラヒメの3人。その時点でかなり個人的な話がされるのだろうと直感する。
「空の旅をされたとうかがっているが、オクノ侯爵殿はお疲れではなかったかな」
俺がソファに座ると、対面の侯爵が口を開いた。
「いえ、帝都からここまではそれほど時間もかかりませんでしたから、疲れているということはまったくありません。むしろザンザギル侯爵のほうが急な話で驚かれたのではないでしょうか」
「『異界の門』の話は、それがしも妻も、もちろん家臣団にも相当な驚きがあり申した。さきほど娘からどのようなものか詳しく聞いたが、より驚きが大きくなるだけであった」
そう言いながら、柔和な笑みを浮かべる侯爵。
その表情には、武門の名家の長というより、父親としての面が強く現れているような気がした。
「しかし、『大いなる厄災』に対するものとしてはもちろん、領の発展に必要なものという認識も十分に持っており申す。皇帝陛下の勅命ということを抜きにしても、是非とも我が領に『異界の門』はお作りいただきたいと存ずる」
「ありがとうございます。『異界の門』は、侯爵にとっても必ず役に立つものだと思います」
「帝都に1日で行けるというだけでその利便性は計り知れぬよ。もっとも、距離という壁がなくなるというのは恐ろしい面もないではないが」
そこで鋭く目を光らせる侯爵。
彼が言いたいのは、当然『異界回廊』が後々争いの道具に使われる可能性があるということだろう。
もちろん、今のところ『異界の門』は人一人が通れるくらいのもので、軍隊がそのまま楽に通れるようなものではない。ただこの世界には、『覚醒者』『冒険者』という一騎当千の人間がいる。そういった人間が距離という壁を無視して動けるというのは、領主にとっては無視できない話である。
もっとも『異界の門』自体は壁で覆ってしまえばいくらでも封鎖することは可能なので、対応できないわけではない。
「『異界の門』のような利便性の高い新技術は、使う人間によって善にも悪にもなり得ます。そこは様子を見て制度を整えていくしかないと思います」
「その通りでござるな。我らに必要な心構えは、オクノ侯爵がなぜ『異界の門』を開こうと思ったか、その意を正確に汲み取ることでござろう」
「そこまで大袈裟にされなくて結構ですが……」
俺が困った顔をして見せると、侯爵は再び笑みを浮かべ、そしてサクラヒメの方をチラリと見た。
するとサクラヒメが、わずかに恥ずかしそうな、困ったような顔を俺に向けてきた。どうも、以前一度あったサクラヒメの輿入れの話をされるような流れである。
「ところでオクノ侯爵、何となく察していると思うが、我が娘、サクラヒメについてなのだが、以前輿入れについての話をして、オクノ侯爵が落ち着くまでは待つという話であったと思う」
「ええ、私もそのように申し上げました」
「それを蒸し返すようで申し訳ないのだが、実は少し困ったことがあってな。実はサクラヒメの兄のクヌギマルも冒険者をしておってずっとそちらで活動をしているのだが、遠くないうちに戻って来るのだ」
その話は、実は以前聞いていた。ザンザギル家は『覚醒』をする者が多い血筋らしく、サクラヒメは兄妹揃って『覚醒』しているのだそうだ。もっとも、代々『覚醒者』が家を継ぐことになっているザンザギル家にとって、それ自体はむしろいいことだとも聞いている。
「そこで問題になるのは、話を聞く限り、サクラヒメのほうがクヌギマルより冒険者として格が上になっているということなのだ。クヌギマルもすでにBランクに届いており、こちらに戻るまでにはAランクもありうると聞いている。しかしそれでも、間違いなく実力ではサクラヒメには及ばぬだろう」
「なるほど……。私はクヌギマル様のお力は存じませんが、サクラヒメ様はこの大陸でも指折りの冒険者であることは確信しております。彼女を超える冒険者は、そうそういらっしゃらないでしょう」
「であろう。だがそうすると、今のままではこの家を継ぐ者として、どうしてもサクラヒメの名が上がらざるを得ないのだ。更に言えば、『ソールの導き』の実態を知らぬ者が、サクラヒメの活躍だけを聞きつけて、嫁に欲しい、もしくは婿を送りたいとの話まで出てきているのでござる」
「そのようなことが……」
なるほど、そう言われてみれば確かにありそうで、なおかつかなりナイーブな話である。
もちろん、侯爵が俺とサクラヒメとの仲をさっさと進めて安心したいという肚積もりもあるのだろうが、しかし理屈としては十分以上に通っている話でもある。これは俺としても中途半端に流せるものではないようだ。
「とすると、今この時点でサクラヒメ様のお立場をはっきりさせておきたいということでよろしいでしょうか?」
「うむ。急な話だが、その方が我が家としては余計な心を使わずに済むのだ。皇帝陛下からも話を進めてよいと許可はいただいておる。そちらは心配されずとも問題ない」
「わかりました……。それでは、婚約という形でお願いできればと思いますが、いかがでしょうか」
言ってから、『婚約』というのを俺から言い出すのは果たして正しいのだろうかと思い至ったが、口にしてしまったものはどうしようもなかった。
ザンザギル侯爵が深くうなずき、カエデノハ夫人が嬉しそうに微笑み、そしてサクラヒメが顔を赤くして下を向いたので、とりあえず問題はないようだ。
「結構なことでござる。無論、オクノ侯爵もサクラヒメも今は時間のない身、大々的に婚約の儀などを行うつもりはござらぬ。ただ、当家のやり方にて、正式に婚約をしてただければ重畳にござる」
「かしこまりました、ザンザギル侯爵家の形に従います。よろしくお願いいたします」
そのようなわけで、こちらでも俺の人生の一つは決まってしまったようだ。と言っても、これはすでに決まっていたことであるので特に思うことはない。
俺が気にしなければならないのは、サクラヒメを含め、『ソールの導き』のメンバーや、メカリナン国のミュエラなどに対して誠意を尽くすことだけだ。
ただ今は、カエデノハ夫人に抱きしめられているサクラヒメが目に浮かべる涙が、喜びから来るものであることを祈るのみである。
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