第22話 疑いの石
攻めの太鼓が止み、四日目の朝が来た。
岱軍は、古城を遠巻きにしていた。
力攻めのときの騒がしさは、もうない。野には幕舎の列がひたひたと広がっている。炊ぎの煙が、朝と夕にまっすぐ空へ上る。風は北から南へ、乾いて吹いていた。秋は、日ごとに深くなっている。
古城は、黙っていた。
城壁の上では、澗の旗が風にうなっている。ときおり兵の影が動く。ただ、それだけである。矢も飛ばず、使者も出ず、門も開かなかった。
*
五日目の夕、蔡斛が本陣に来た。
算盤を胸の前に抱えている。
「将軍。ここまでの兵糧の減りを、ご報告申し上げます」
「申せ」
「一日に四百石。砦の倉と野積みから、毎日、半日の道を荷車で運んでおります。残りは、およそ十七日ぶん」
「十七日」
郭巍は、うなずいた。
「古城の兵糧は」
「王都にいる耳の話では、十日ぶん。いま五日目にございますゆえ」
「あと五日」
「はい。あと五日で、干上がります」
蔡斛の声には、かすかな満足があった。数字の合う戦は、この男にとって気持ちのよいものである。
郭巍は、何も言わなかった。
*
六日目の軍議で、鍾塁が口を開いた。
「将軍。待つのは、わしの性に合いませぬ」
郭巍は顔を上げた。
「性に合う、合わぬで兵を動かすな」
「それだけではございませぬ」
鍾塁は膝を進めた。顔は日に焼け、目が血走っている。この男にとって、攻めぬ日々は傷よりも苦しいものであった。
「あの城の煙をご覧あれ。朝夕、兵糧に困っている城の煙とは思えませぬ。三日目の朝、西門から騎兵が出て、櫓を倒して帰りましたな。余力がなければ、あれはできませぬ」
「余力があるように見せているのかもしれぬ」
「見せているだけなら、いま一気に押せば落ちます」
鍾塁は、地図に拳を叩きつけた。
「三日目の損害は、たしかに少なくなかった。だが、あれは、あの低い壁に気づかなかったわしの落ち度。もう、あの手には乗りませぬ。やはり、攻めたほうがよいのでは」
幕のなかが静まった。
郭巍は、鍾塁の顔を見た。
この男の言うことは乱暴である。乱暴ではあるが、まったくの的外れではなかった。
待つということは、すべてを相手の出方に委ねるということでもある。
「鍾塁」
郭巍は、ゆっくりと言った。
「三日目までの、こちらの損害は、いかほどか」
「おおよそ、一割」
「攻めれば、さらに一割。待てば、無傷。勘定は、それだけで足りる」
「勘定は、そうでしょう。しかし……」
鍾塁は口をつぐんだ。
郭巍は、それ以上何も言わなかった。言わなかったが、胸のなかに小さな揺れがあった。
*
その夜、陸稜は砦のなかを巡った。
伝令の道を束ねる役である。砦と本陣のあいだを、毎晩、馬で往き来していた。野積みの見張りは倍にしてある。水桶は道沿いに並べてある。
斥候は、はじめの三日で東西の森を洗い、異常なしと告げた。それからは、森のふちを巡るだけになっている。
すべて、郭巍の命じたとおりに動いている。
それが、陸稜には少し気にかかった。
見張りの兵があくびをしていた。六日目にもなると、何も起きないことに、兵たちの目から張りが抜け始めている。水桶の水は減ったままになっていた。巡回の足どりが、昨日よりわずかに重い。
何も起きないということは、人をゆるませる。
陸稜は、見張りの兵に声をかけた。
「目を開けておけ」
「は」
兵は、あわてて背を伸ばした。
陸稜は馬首を本陣へ向けた。
本陣へ戻る道の途中、低い丘の上で、陸稜は馬を止め、南を見た。
古城のあたりに、ぽつぽつと灯がともっている。櫓の上には、あの薪の山が黒くそびえていた。
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七日目の夜、郭巍は幕のなかで、ひとり地図をにらんでいた。
燭が短くなっている。
都から、彭延の書状が届いていた。
――数ではなく、兵糧で締める。それを忘れるな。ただし、兵糧の減りには常に目を配れ。
勘定は合っている。何度数え直しても、合っている。古城は、あと三日で干上がる。
それなのに、何も起きない。
郭巍は、そのことに少しずつ苛立っていた。
賈牧は、十日で干上がる城に入った。入るからには、何かを仕掛けるはずである。仕掛けるなら、七日目までには、その兆しが見えていなければならない。
それが、まったく見えない。
見えないのは、仕掛けがないからか。それとも、見えぬように仕掛けているからか。
幕の外で、風が旗を揺らした。
陸稜が報告に顔を出した。
「将軍。砦の見張り、異常ありません。ただ……」
「ただ」
「七日目になって、兵の気がゆるんでおります」
「そうであろうな」
郭巍は、少し笑った。
「おぬしの石は、どうだ」
陸稜は戸惑った。
「は」
「違和感よ。あの南の道の」
「……まだ、重うございます」
「そうか」
郭巍はうなずいた。
「重いうちは、よい。軽くなったときが危ない」
陸稜は頭を下げて、幕を出た。
郭巍は、また地図に目を落とした。
待つ。待って、干す。
それは、勘定として正しい。正しいが、七日のあいだ何の動きもない相手を、さらに三日待ち続けるということは、郭巍の一流の将としての勘のほうが、少しだけ不安を訴えていた。
あるいは、疑いすぎているのかもしれない。
郭巍は、筆を取った。
――明朝、全軍をもって、北門に総攻めをかける。
命令書に、そう記した。
待つという一手を、かれは手放した。鍾塁の言うことが正しいとは思わなかった。ただ、疑いというものは、放っておくと判断を鈍らせる。
鈍る前に、動くことにした。
筆を置き、燭を吹き消した。
古城は闇のなかに黙って立っていた。その大きな門の内側で、明朝、何が始まるのか。この夜の郭巍は、まだ知らなかった。
*
同じ夜。
古城の櫓の上で、ひとりの男が、琴の弦を締めていた。
一本、また一本。灯はひとつもない。弦の鳴る音は、夜風にまぎれて、城壁の外までは届かなかった。




