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賈牧伝  作者: fukabatohfu
第3章 壱城攻防戦

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第17話 読み切れぬもの

砦を落として三日目の夜、郭巍《かくぎ》は軍議を開いた。


幕は、砦の北の草地に張られていた。燭が三本、風に揺れている。秋の夜の風は、乾いて冷たかった。


居並んだのは、四人である。


郭巍。攻城の鍾塁《しょうるい》。輜重督《しちょうとく》の蔡斛《さいこく》。そして末席に、陸稜《りくりょう》。


「まず、森から聞こう」


郭巍が言うと、幕の外に控えていた斥候の長が呼び入れられ、膝をついた。


「東西の森、いずれも三里にわたって洗いましてございます。人影なく、竈の跡なく、獣のほかは何もおりませなんだ」


「よし」


郭巍はうなずいた。それだけであった。


陸稜は、末席から、その横顔を見ていた。うなずき方に、迷いがない。


   *


「次に、古城」


郭巍は、地図の上に指を置いた。


「城は急ごしらえながら、手が入れてある。壁は、まだ土の色が新しい。旗は史連《しれん》。老いた総大将である。兵は、およそ六千」


「六千」


鍾塁が鼻で笑った。


「こちらの、六分の一にも足りませぬ」


「もうひとつ」


郭巍は続けた。


「王都にいる、われらの耳が拾ってきた。澗《かん》の王は、古城に十日ぶんの兵糧しか許さなかった、という」


鍾塁が膝を叩いた。


「十日。ならば、十日で干上がります」


郭巍は、蔡斛のほうを見た。


「その話、いつ届いた」


「夏のうちに、と聞いております。春の謁見の席で決まったことが、ひと月ほどで、国境の城まで」


「早いな」


郭巍は、つぶやくように言った。


「早すぎる話は、わざと聞かせた話であることがある」


鍾塁が、きょとんとした顔をした。陸稜は、思わず顔を上げた。


郭巍は、しばらく燭の火を見ていた。


「だが、わざとであろうと、なかろうと、することは同じだ。十日が偽りで、倉に二十日の米があったとしても、囲んでしまえば、米は外から一粒も入らぬ。二十日で空く城は、二十日待てば落ちる。われらには、三十日ある」


それで、その話は終わった。


疑って、確かめて、自分の勘定に戻る。陸稜は、その一連の動きを、ほとんど息をつめて見ていた。


「われらの兵糧は」


郭巍が蔡斛に訊いた。


蔡斛は、算盤に指を置いた。


「一日に、およそ四百石。砦に二十日ぶん、各隊の携行が十日ぶん。あわせて三十日ぶんにございます」


「三十日と、十日」


鍾塁が満足げにひげをなでた。


「勝負になりませぬな」


郭巍は、笑わなかった。


「勝負にならぬ、というのが、わしには気になる」


幕のなかが静まった。


「賈牧《かぼく》は、十日で干上がる城に、なぜ入った。それを、わしは考えている」


「それは、王が愚かで、兵糧を出さなんだゆえでは」


「王が愚かなのは、賈牧も知っていよう」


郭巍は、ゆっくりと言った。


「知っていて、この戦を受けたのだ。十日のうちに、何かをするつもりでいる。何かをするなら、古城のなか、あるいは古城のまわり。われらは、古城をよく見ねばならぬ」


鍾塁は頭をかいた。


「難しいことは、わかりませぬ。城を攻めよとのご下知を、待つのみで」


「聞け」


郭巍は、地図の上で指をすべらせた。


「古城は、主力をもって取り巻く。攻めるのは三日。鍾塁、おぬしの出番だ」


「は」


鍾塁の顔が、ぱっと明るくなった。


「ただし、三日である。落ちればよし。落ちずとも、城の兵を疲れさせるだけで足りる。残りの七日で、干す」


「干す」


「城は、攻めて落とすより、干して落とすほうが安い」


郭巍は、そう言って、それ以上は説明しなかった。


「砦は、蔡斛と守りの兵四千で預かる。兵糧は、ここが命だ」


「は」


蔡斛は頭を下げた。


   *


「もうひとつ」


郭巍は、声を低くした。


「古城から、烽火が上がるやもしれぬ。援軍を呼ぶ烽火であろう。だが、澗に呼べる援軍はない。王は、兵をこれ以上出さぬ。気にするな」


「承知いたしました」


鍾塁が答えた。蔡斛も、うなずいた。


陸稜は黙っていた。胸のなかの小さな石が、少し重くなった。


「万一、退くときは、わしが令を出す」


郭巍は続けた。


「令は伝令の騎をもって、各陣に走らせる。烽火は使わぬ。澗の目にも見えるゆえ」


「退く、ということがございますか」


鍾塁が、少し不服そうに言った。


「わからぬ。だが、そうなったとき、迷ってはならぬ。わしは、そのために、いま言っている」


郭巍の目が、ふと鍾塁から動いた。


「陸稜」


「は」


「おぬしは、砦とわしの本陣のあいだにおれ。伝令の道を束ねよ。目を閉じるな」


陸稜は、少しのあいだ、ことばを失った。


進言は退けられた。しかし、この男は、おのれの違和感を役目にしてくれた。


「承知いたしました」


かれは深く頭を下げた。


   *


軍議が終わり、人がいなくなった。


郭巍は、ひとり幕のなかに残った。


燭が、少しずつ短くなっている。外では風が幕を揺らしていた。


郭巍は、地図を見ていた。古城のあたりに指を置いたまま、動かなかった。


東岳《とうがく》は恒《こう》の国境をにらんでいる。西岳《せいがく》は崑《こん》の国境をにらんでいる。北岳《ほくがく》は都の北を固めている。中岳《ちゅうがく》は、岱王《たいおう》のそばを離れない。


澗にまわせる岳は、南岳《なんがく》の郭巍、ただひとりである。


かれが負ければ、東か西の岳を澗へまわさねばならぬ。それは、恒か崑に背を見せるということである。


負けられぬ、ということを、郭巍は言わなかった。言えば、軍が重くなる。


二十五歳の若者である、と郭巍は思った。


岳崇《がくすう》が五年前、汪野《おうや》で見た男。二年前、汪野で、われらの右翼を釣り出した男。


一流の将は、敵を小さくも大きくも見ない。ただ、ありのままに見る。ありのままに見て、なお、読みきれぬものがあった。


読みきれぬということが、かれには少し楽しかった。


「賈牧」


郭巍は、ひとりごとのように言った。


「見せてもらおう」


燭が、ひとつ消えた。


   *


その古城の櫓に、五日まえの夜、ひとりの老人が立っていた。

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