EP 7
未来からの青写真
連合艦隊司令長官・山本五十六との間で、百年の時を超えた『共犯関係』が結ばれた。
長官公室の分厚い扉は閉ざされたまま、二人は机の上に海図と、そして坂上のスマートフォンを広げていた。
「……なるほど。ミッドウェーで勝ったからといって、調子に乗ってハワイやオーストラリア方面へ戦線を拡大すれば、兵站(補給)が伸び切り、いずれ干上がる、か」
「そうだ。史実じゃ、あんたらはそれで負けた」
坂上はスマホの画面に表示された太平洋戦争の戦力推移グラフを指でタップしながら、容赦なく事実を突きつける。
「アメリカの工業力は、あんたらの百倍だと思っていい。来年には、空母も飛行機も、今の十倍のペースで粗製濫造されて押し寄せてくる。まともに殴り合えば、どれだけパイロットが優秀でも物量で押し潰されるだけだ」
「耳が痛いな。私がかつてアメリカに駐在していた頃に見た底力、その通りに発揮されるというわけだ。……ならば、どうやって『マシな講和』とやらを勝ち取る?」
「絶対国防圏の縮小と、徹底した『出血の強要』だ」
坂上は、海図の上のマリアナ諸島やソロモン海域に、赤いペンで線を引いた。
「無謀な進出をやめ、守りやすい防衛線を構築する。そして、俺の機体から得られる『レーダー技術』を軸にした早期警戒網と、一撃離脱戦法を徹底させる。攻めてきた米軍を地の利で迎え撃ち、ひたすら莫大な損害を与え続けるんだ」
坂上の目は、冷徹な戦略家のそれに切り替わっていた。
アメリカという国は、民主主義国家であるがゆえに「世論」に弱い。
「莫大な予算と人命をつぎ込んでも、日本の防衛線を突破できない。……そうなれば、いずれアメリカ国内で『これ以上、若者の血を流してまで極東の島国を叩き潰す意味があるのか?』という厭戦気分が高まる。その瞬間に、ミッドウェーでの勝利と、この『鉄壁の防衛』をカードにして、有利な条件で講和条約を突きつける。ハワイ不可侵、フィリピンからの撤退と引き換えに、日本本土への空襲回避と国体護持をもぎ取るんだ」
「……見事なグランドストラテジー(大戦略)だ」
山本は深く嘆息した。
「だが、問題がある。ミッドウェーの大勝に浮かれた国民や、血の気の多い陸軍が、その『専守防衛と講和』を許すはずがない。彼らは『鬼畜米英を撃滅せよ』と叫び、無謀な突撃を求めるだろう」
「そこは、長官の政治力と、俺の『物理』で黙らせる」
坂上は胸ポケットの真鍮ライターを取り出し、親指で蓋を弾いた。
――カチンッ。
「精神論で喚く無能な上官どもには、俺が直接、近代戦の『現実』を叩き込んでやる。……そのためにも、まずは俺の機体(F-35B)を役に立ててもらうぞ」
◆
数日後。
呉の海軍工廠のさらに奥深く、最高機密に指定された広大な地下格納庫。
厳重な憲兵の警備網の先に、巨大な防水布に覆われた物体が鎮座していた。
格納庫に集められたのは、大日本帝国が誇る天才航空技術者たちだった。
その最前列には、零式艦上戦闘機(零戦)の生みの親である三菱の堀越二郎や、海軍航空技術廠の精鋭たちの姿があった。彼らは突然「極秘の新型機を解析せよ」と呼び出され、困惑と期待の入り混じった顔をしている。
「……これより、天照の開帳を行う」
同行した山本五十六の側近が宣言した。「天照」とは、F-35Bに急遽付けられた秘匿暗号名である。
憲兵たちが滑車を引き、巨大な防水布がゆっくりと取り払われていく。
蛍光灯の冷たい光の下に、その全貌が露わになった。
「なっ……!?」
「これは……一体……!」
技術者たちから、一斉に悲鳴のような驚嘆の声が上がった。
プロペラがない。いや、それどころではない。当時の航空機の常識であった無数のリベット(鋲)の凹凸が一切なく、まるで巨大な刃物のように滑らかで、異様なまでに平滑な黒い機体。
ステルス性を持たせるための、鋭角と曲面が複雑に計算されたエイリアンのようなフォルム。
「……美しい」
堀越二郎が、眼鏡の奥の目をカッと見開き、何かに憑かれたように機体へと歩み寄った。
彼は震える手で、機体の表面(RAM:レーダー波吸収素材でコーティングされたチタン合金)に触れる。
「なんという手触りだ。ジュラルミンではない。これほど強靭で、かつ軽量な金属が存在するのか……? そして、この一切の空気抵抗を拒絶するような流体力学の極致! 誰だ、どこの国の天才が、こんな神の領域の設計をしたというんだ……!」
天才技術者の顔は、未知のオーバーテクノロジーを前にした歓喜と興奮で、完全に血走っていた。
他の技術者たちも、機体後部の巨大なジェットエンジンのノズルや、コックピットの内部を覗き込んでは「計器が一つもない! ただのガラス板だけだぞ!」と狂乱状態に陥っている。
「落ち着け、オタクども」
機体の傍らに立っていた坂上が、Gスーツ姿のまま声をかけた。
山本の特命により、坂上はこの「天照」プロジェクトの最高顧問(特務大尉)として全権を委任されていた。
「この機体は、特殊な燃料で動く。だが、その燃料はもう一滴も残っていないし、この時代の製油技術じゃ精製できない。つまり、こいつはもう二度と空を飛ぶことはない、ただの鉄の塊だ」
「飛、飛ばないだと……!? これほどの芸術品が!?」
「ああ。だから、お前たちにくれてやる」
坂上は、口の中でコーヒー飴を転がしながら、技術者たちを見下ろした。
「ブラックボックス(電子部品)の解析は、あんたらの時代の技術じゃ絶対に不可能だ。ショートして燃えるから触るな。だが、それ以外は好きにしろ。機体の空力設計、素材の配合率、レーダーアンテナの形状……見れるものは全部見て、パクれるものは全部パクれ。分解して元に戻せなくなっても構わん」
「よ、よろしいのですか!?」
「俺は、あんたらの執念と頭脳を信じている。この機体の『概念』を一つでも多く盗み出し、現在の零戦や、これから作る新型機の設計に叩き込め。俺の知る歴史よりも、十年早く技術を加速させろ」
坂上の言葉に、技術者たちの目の色が変わった。
それはもう、軍の命令に従う技師の目ではなかった。神から禁断の果実を与えられた、狂気にも似た探究者の目だ。
堀越をはじめとする技術陣は、即座にノギスやメジャー、スケッチブックを手に取り、機体に群がって徹夜での計測と解析を開始した。
彼らが得た「リベットの平滑化」「レーダーのパラボラ形状」「ジェットエンジンの基礎構造」といったオーパーツの欠片は、やがて日本の航空技術と電探技術を、史実とは比較にならない速度で進化させることになる。
魔法の杖は役目を終え、眠りについた。
だが、その残骸から生み出される『技術』の種は、確かにこの時代に蒔かれたのだ。
「……さて。技術屋の仕込みはこれでいい」
坂上は格納庫を後にしながら、首をコキリと鳴らした。
「次は、ソフト(人間)のアップデートだ。俺たちの足を引っ張る、時代遅れのプライドを持った『エース様』どもを、少しばかり教育してやるとするか」
坂上の次なる任務。
それは、海軍の最前線で戦う熟練パイロットたちを叩き直し、現代の空戦理論を叩き込むための『ゴースト・ブートキャンプ』の開講だった。
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