EP 6
連合艦隊司令長官・山本五十六
1942年6月中旬。山口県沖、柱島泊地。
波穏やかな瀬戸内海に、大日本帝国海軍の中枢である連合艦隊の主力艦艇がズラリと錨を下ろしていた。
その陣形の中心に鎮座するのは、人類史上最大にして最強の不沈戦艦『大和』である。全長二六三メートル、四六センチ主砲を九門備えたその威容は、まさに鋼鉄の浮き城だった。
ミッドウェー海戦から帰還した南雲機動部隊は、熱狂的な歓喜で迎えられる……ことはなかった。
暗号漏洩という致命的な事実と、正体不明の『黒い機体(F-35B)』の存在は、海軍の最上層部のみが知る極秘事項とされた。F-35Bは夜闇に乗じて巨大な防水布で厳重に覆われ、極秘裏に海軍の技術廠へと移送されていった。
そして現在。
戦艦大和の奥深く、連合艦隊司令長官の私室(長官公室)へと通された坂上真一は、一人の男と対峙していた。
「……ほう。思っていたよりも、ずっと若いな。それに、随分と肝が据わっている」
上質なマホガニーの机越しに、鋭い眼光を放つ初老の男。
連合艦隊司令長官、山本五十六大将である。
真珠湾攻撃を立案し、アメリカを恐怖のどん底に陥れた帝国海軍の最高権力者。その小柄な体躯からは、戦艦の主砲すら凌駕するような重厚な威圧感が漂っていた。
「南雲や源田から報告は受けている。米空母の飛行甲板を未知の爆弾で一瞬にして粉砕し、我が軍の暗号漏洩をピタリと言い当てたそうだな。……源田の奴は、まるで神仏にでも遭遇したような顔で震えておったよ」
「神仏じゃない。ただの人間ですよ、長官」
坂上は、勧められた革張りのソファに深く腰を下ろしたまま、短く答えた。
周囲には護衛の兵もいない。この部屋にいるのは、山本と坂上の二人だけだ。
「そうか。だが、ただの人間が、どうやって米軍の暗号解読状況や、数分後の敵の配置を予知した? それに、あのプロペラのない黒い機体。海軍省も陸軍も、あんな兵器の開発記録は持っていない」
山本は探るような目で坂上を見つめ、卓上の葉巻に火をつけた。
紫煙がゆっくりと長官公室を満たしていく。
「貴様、何者だ? 米国の間諜か。それとも、ソ連が送り込んできた新手の工作員か。……いや、もし米国があんな兵器を持っているなら、そもそも暗号を解読するまでもなく、我々は真珠湾の時点で海の底に沈められていただろうな」
食えない狸のような、山本の探り。
南雲や源田には「特務機関の者だ」というハッタリが通じたが、海軍の頂点に立つこの男に、その手の嘘が通用するとは思えなかった。
いや、そもそも坂上は、嘘をつくのが絶望的に下手だった。
(……仕事と私、どっちが大切なの!?)
脳裏に、かつて自分にビンタを見舞った元カノの声がフラッシュバックする。
国防の機密と彼女への愛。どちらが大切か即答できず、頭の中で「どちらも大切だが、状況と定義による」と真面目にシミュレーションを回して十秒間沈黙した結果、愛想を尽かされた。
自分は、バカ正直な不器用な男なのだ。
この百戦錬磨の提督を相手に、下手な政治的腹芸や嘘で渡り合おうとすること自体が間違っている。
坂上は「ふぅ」と息を吐くと、Gスーツのポケットから真鍮のオイルライターを取り出した。
――カチンッ。
金属音が、静かな公室に響く。
それが、坂上の思考の『スイッチ』だった。
「……俺は嘘が下手でね。あんた相手に、くだらないハッタリを続けるのはやめにする」
坂上はそう言うと、もう一つのポケットから、黒い長方形の板――『スマートフォン』を取り出した。
耐衝撃・防水のゴツいミリタリーケースに収められた、現代テクノロジーの結晶。
「なんだ、それは」
山本が葉巻を咥えたまま、眉をひそめる。1942年の人間にとって、それはただの黒い文鎮か、磨かれた石板にしか見えないだろう。
「俺の正体を証明する、唯一の証拠だ。……驚いて、腰を抜かすなよ」
坂上は、側面の電源ボタンを長押しした。
数秒後。
暗い長官公室の中で、漆黒の板が突如として『光』を放った。
高精細の有機ELディスプレイに、メーカーのロゴが鮮やかに浮かび上がる。
「なっ……!?」
山本五十六の目が、限界まで見開かれた。
電球でも、真空管でもない。ただの薄い板の表面が、あり得ないほどの鮮やかさで発光したのだ。
起動ロックを顔認証で解除すると、画面には色鮮やかなアプリアイコンが並ぶホーム画面が表示された。坂上はその中から「写真・動画」のフォルダをタップし、あらかじめローカルに保存してあった一つの動画ファイルを再生した。
「見ろ。これが、俺が『何故すべてを知っていたか』の答えだ」
坂上は、動画が再生されているスマホを、山本の目の前の机に滑らせた。
そこから流れ始めたのは、音声付きのフルカラー映像だった。
活動写真(映画)の粗いモノクロ映像しか知らない山本にとって、その画面の中に広がる光景は、まさに魔法そのものだった。
だが、山本を本当に驚愕させたのは、映像の「美しさ」ではなかった。
そこに映し出された『内容』だった。
『――昭和二十年。八月。日本の主要都市は、その大半が焦土と化しました』
ナレーションと共に映し出されるのは、空を埋め尽くすほどの米軍の巨大な四発重爆撃機(B-29)の群れ。
そこから雨あられと降り注ぐ焼夷弾。
火の海と化す東京。焼け焦げた死体の山。
そして――広島と長崎の上空に立ち上る、この世の終わりを象徴するような、巨大な『キノコ雲』。
「……ッ!!」
山本は言葉を失い、葉巻が指から滑り落ちて机を焦がしたことにも気づかず、画面を食い入るように見つめた。
その顔から、一切の血の気が引いている。
「こ、これは……一体、なんだ……? 特撮の映画か……? それとも、米軍の宣伝映像か……!?」
「事実だよ」
坂上は、冷酷なまでに静かな声で告げた。
「あんたらの時代から、約八十年後の未来でまとめられた、歴史の記録だ。……ミッドウェーで大敗した日本は、その後、坂道を転げ落ちるように負け続ける。そして三年後、空から落とされた『たった一発の新型爆弾』で、都市が二つ消滅するんだ」
坂上の言葉が、山本の胸に重く、冷たく突き刺さる。
スマホの画面は、焼け野原から一転し、高層ビルが立ち並び、新幹線が走り、ネオンが煌めく「現代の日本(2020年代)」の平和な風景へと切り替わっていた。
「俺は、その未来(80年後)の日本から来た。航空自衛隊……まあ、未来の日本軍のパイロットだ。訓練中に時空の異常に巻き込まれて、気がついたらミッドウェーの上空だった」
坂上は、ポケットからコーヒー飴を取り出し、口の中に放り込んだ。
「狂人の戯言だと思うか? だが、その板の光も、俺が乗ってきた黒い機体も、あんたの時代の技術じゃ絶対に作れないことは、あんた自身が一番よく分かっているはずだ」
山本は、沈黙した。
その目は、スマホの画面に映る『未来の繁栄した日本』と、先ほど見た『焼け野原の日本』の映像を、何度も反芻しているようだった。
やがて、山本はゆっくりと顔を上げ、坂上を見た。
その顔には、先ほどまでの「食えない狸」の面影は微塵もなく、国を背負う最高司令官としての悲痛な覚悟が浮かんでいた。
「……何故、私にこれを見せた。歴史通りなら、私はどうなる?」
「あんたは来年、前線視察中に暗号を解読されて、米軍機に待ち伏せされて撃墜される。戦死だ」
「そうか……。まあ、妥当な末路だな」
山本は自嘲気味に笑うと、焦げた葉巻を灰皿に押し付けた。
「未来のパイロット殿。……いや、坂上大尉と言ったな」
「ああ」
「貴様は、なぜミッドウェーで我が艦隊を救った? その機体は、一度しか使えない『魔法』だったのだろう? 歴史を変えれば、貴様のいた未来そのものが消え去るかもしれないのだぞ」
山本の根源的な問い。
それに対し、坂上は迷うことなく――十秒の沈黙など微塵も挟まずに――即答した。
「俺の祖父は、あんたらの起こした戦争の末期、特攻隊として散った」
坂上の目に、静かだが確かな熱情が灯る。
「……俺はただ、じいちゃんが命を懸けて愛した国を、あんな焼け野原(地獄)で終わらせたくないだけだ。どうせこの時代から帰るアテもない。だったら、あの最悪の未来を叩き潰して、もっと『マシな終わり方(講和)』に持っていく。そのためなら、俺の命と、未来の知識を全部ベットしてやる」
その不器用で、真っ直ぐな宣言に、山本五十六は大きく息を吐き出した。
そして、まるで憑き物が落ちたように、ニヤリと笑った。
「……よかろう。貴様のその大博打、私ものってやる」
山本は立ち上がり、坂上に向けて右手を差し出した。
「大日本帝国海軍、連合艦隊は、これより未来からの特務大尉・坂上真一を私の直属とする。……共にこの国を、マシな地獄へと導いてくれ。相棒」
坂上は立ち上がり、そのシワだらけの分厚い手を、しっかりと握り返した。
1942年。
最悪の歴史を覆すための、孤独な未来人と希代の提督による『最強の共犯関係』が、ここに結ばれた。
読んでいただきありがとうございます。
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