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EP 5

歴史の分岐点

 1942年6月4日、午前10時40分。

 ミッドウェー海域上空にて、世界の歴史が決定的に分岐した。

「右舷上空、敵機発見! 数、およそ十五!」

「各砲座、撃ち方始めッ!」

 空母『赤城』の対空機銃が火を噴くよりも早く、上空で待ち構えていた銀翼の群れが、雲の隙間から鷹のように急降下を仕掛けた。

 大日本帝国海軍が誇る最強の戦闘機、零式艦上戦闘機二一型。

 史実において、彼らは直前に襲来した米軍の雷撃機部隊を低空まで追いかけてしまい、上空の警戒を完全に疎かにしていた。その結果、高高度から急降下してきた米爆撃機の奇襲を許し、南雲艦隊は壊滅した。

 だが、今は違う。

 坂上真一という未来からの介入者がもたらした『絶対の預言』によって、零戦隊は米軍機が「いつ」「どこから」「どの高度で」やってくるかを完全に把握していたのだ。

 奇襲ではなく、完璧な待ち伏せ。

 ただでさえ搭乗員の練度で米軍を圧倒しているこの時期の零戦隊にとって、場所と時間が分かっている敵を落とすことなど、赤子の手をひねるより容易かった。

「そこだッ!」

 凄まじい旋回性能を活かし、零戦が米爆撃機の背後に食らいつく。

 20ミリ機銃の火線が空を切り裂き、米軍のSBDドーントレスが次々と黒煙を吹き上げて海面へと墜落していく。米軍パイロットたちにとっては、完璧な奇襲を仕掛けたつもりが、真綿で首を絞められるような絶望的な死地へと飛び込んでしまった形だった。

 時を同じくして、海面下でも史実の書き換えが行われていた。

「敵潜水艦、潜望鏡深度! 距離二千!」

「取り舵一杯! 駆逐艦『嵐』『野分』、直ちに爆雷を投射せよ!」

 坂上の警告通りに浮上しようとしていた米潜水艦『ノーチラス』に対し、待ち構えていた駆逐艦が容赦のない爆雷の雨を降らせる。

 史実において、この『ノーチラス』を追い払うために単艦で居残った駆逐艦『嵐』の航跡が、米軍機に南雲艦隊の位置を教える道標となってしまった。だが、今回は米軍機がすでに上空で零戦の餌食となっている上、潜水艦自体が浮上する前に完璧に制圧された。

 空と海。二つの致命的な危機が、ものの数分で完全に排除されたのだ。

 ◆

 空母『赤城』の作戦室。

 伝声管や無線を通じて次々と舞い込んでくる吉報に、本来ならば歓喜の雄叫びが上がるはずの室内は、水を打ったような不気味な静寂に包まれていた。

「……敵雷撃機、および急降下爆撃機、全機撃墜。我が方の被害……ゼロ。直掩の零戦隊に、被弾一機すらありません」

「駆逐艦より報告。敵潜水艦への爆雷投下、海面に大量の重油と破片の浮上を確認。撃沈確実、とのことです」

 通信参謀が震える声で報告を読み上げると、南雲忠一長官はドサリと椅子に深く腰を落とし、天井を仰ぎ見た。

 航空参謀の源田実は、軍刀を握る手を白くなるほど強く握りしめ、目の前で静かにコーヒー飴を舐めている青年――坂上真一を凝視していた。

「……どうやら、俺の『情報』は間違っていなかったようだな」

 坂上が淡々と言い放つ。

 その言葉に、反論できる者は一人もいなかった。

 もし、この正体不明の男が甲板に降り立っていなければ?

 もし、この男の警告を無視して、従来通りの陣形と警戒のまま作戦を継続していたら?

 作戦室にいる全員の脳裏に、同じ光景が浮かんでいた。今頃、自分たちは火ダルマになった赤城と共に、太平洋の冷たい海水を飲んでいただろうという、確信めいた恐怖。

「貴様は……大尉、貴様は一体、何者なのだ……」

 源田が、喉の奥から絞り出すように問うた。

 もはやスパイだの、ハッタリだのと疑う次元は過ぎ去った。彼らの常識では計り知れない圧倒的な情報網と、あの黒い超音速機。この男は、帝国海軍の根幹を揺るがすほどの『何か』を抱えている。

「俺の正体なんかどうでもいい。今は、次の一手だ」

 坂上は立ち上がり、机の上に広げられた海図を指差した。

「敵の空母はエンタープライズとヨークタウンが飛行甲板を大破。残る無傷の空母は『ホーネット』一隻のみだ。航空戦力の大半を失った米軍は、これ以上この海域には留まらない。必ず反転して撤退する」

「ならば、直ちに追撃の攻撃隊を発進させるべきだ! 息の根を止める絶好の機――」

 血の気を取り戻した幕僚の一人が叫ぶが、坂上はそれを冷徹な視線で制した。

「却下だ。追撃はしない。さっさとこの海域から撤収しろ」

「な、なぜだ!? これほどの圧倒的な勝利を収めているのだぞ!」

「勝ちすぎたからだ」

 坂上は胸ポケットの真鍮ライターを取り出し、カチンと蓋を鳴らした。

「さっきも言ったはずだ。あんたらの暗号は完全に筒抜けなんだよ。こちらの動きがすべて読まれている状態で、敵の勢力圏(ミッドウェー島周辺)で欲をかけば、残存している陸上基地からの爆撃や、別の潜水艦の餌食になる。それに……」

 坂上は言葉を切ると、窓の外、飛行甲板の端にロープで固定されている自身の愛機『F-35B』に視線を向けた。

「俺の機体は、先ほどの空母二隻への爆撃で武装を使い切った。おまけに燃料もスッカラカンだ。二度と飛ぶことはできない。もう『魔法』は使えないんだよ。これ以上、お前たちを庇ってやることはできない」

 その事実の宣告に、源田の顔が険しくなる。

 あの超兵器がもう使えないという損失。しかし同時に、この男が「自らの唯一のカード(武力)」を失ってでも、日本艦隊を救ってくれたという事実に、古き良き武士道精神を持つ将校たちの心に奇妙な感情が芽生え始めていた。

 この男は、本気でこの国を救おうとしているのだ、と。

「……長官。大尉の言う通りです」

 源田実が、深々と頭を下げた。

「我が機動部隊は、米空母二隻を無力化し、敵の反撃を完全に退けました。戦略的目標は達成されたも同然。ここで無駄な損害を出すべきではありません。暗号が漏洩しているという致命的な事実が発覚した以上、直ちに作戦を中止し、連合艦隊本隊……山本長官の元へ合流すべきと考えます」

 源田の進言を受け、南雲忠一はしばらく目を閉じて沈黙していたが、やがて力強く頷いた。

「……全艦、取舵一杯。進路、北西。本作戦を中止し、連合艦隊主力と合流する」

 命令が下り、作戦室に安堵と緊張の入り混じった空気が広がる。

 坂上は、ふう、と小さく息を吐いた。

 これでいい。南雲機動部隊の主力空母四隻は、無傷で生き残った。史実における「ミッドウェーの惨劇」は完全に回避され、日本海軍は熟練のパイロットたちを失うことなく、米太平洋艦隊に決定的な打撃を与えたのだ。

(じいちゃん。とりあえず、第一段階フェーズワンはクリアだ)

 坂上は心の中でそう呟きながら、ポケットのライターを弄った。

 だが、これは単なる始まりに過ぎない。

 暗号の更新、時代遅れの戦術の改善、そして何より、精神論で兵士の命をすり潰そうとする陸軍の無能な上層部たちとの戦いが待っている。

「大尉」

 作戦室を出ようとした坂上の背中に、南雲が声をかけた。

「貴様が何者であれ、我が艦隊を救ってくれたこと、海軍を代表して礼を言う。……本隊と合流次第、連合艦隊司令長官・山本五十六大将と引き合わせよう。貴様の口から、直接真実を伝えてやってくれ」

「……ああ。期待しているよ」

 坂上は振り返らずに右手を軽く上げ、作戦室を後にした。

 1942年、ミッドウェー沖。

 焼け野原になる日本の未来を変えるため、孤独な現代のパイロットと、山本五十六という稀代の提督の邂逅が、すぐそこまで迫っていた。

読んでいただきありがとうございます。

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