EP 3
赤城への降臨
大日本帝国海軍、第一航空艦隊旗艦――航空母艦『赤城』。
その艦橋では、第一航空艦隊司令長官の南雲忠一や、航空参謀の源田実らが、信じられないものを見るような目で上空を凝視していた。
「……源田、今のは幻か? 我が艦隊に降るはずだった爆弾は、どこへ行った」
「分かりません……。ですが、あの黒い機影が米軍の爆撃機を蹴散らしたのは事実です。速度も、形も、我々の常識を完全に超えています。プロペラすら見当たらなかった」
源田は双眼鏡を握りしめ、震える声で答えた。
彼ら海軍の精鋭たちが束になっても守り切れなかった絶望的な奇襲を、正体不明のたった一機が、一瞬の通過だけで瓦解させたのだ。神風としか思えない出来事だった。
「長官! 先ほどの黒い機影が戻ってきます! 本艦に向かって一直線です!」
見張員の絶叫に、艦橋に再び緊張が走る。
もしあれが敵の新型機であれば、今度こそ赤城は沈む。高角砲の砲手たちが慌てて砲身を向けようとするが、相手の速度が速すぎて全く照準が追いつかない。
「撃ち方待て! 様子がおかしいぞ。減速している……!」
源田の叫びと同時に、赤城の上空に到達した黒い流星――F-35Bは、あり得ない挙動を見せた。
飛行機とは、前へ進む揚力があって初めて空に浮かぶものだ。しかし、その黒い機体は赤城の飛行甲板の斜め上空でピタリと静止したのである。
「ば、馬鹿な! 飛行機が空中で止まっているだと!?」
源田が驚愕の声を上げる。
F-35Bの後部エンジンノズルが下方に九十度折れ曲がり、コックピット後方のリフトファンが全開となって、凄まじい下向きの推力を発生させていた。VTOL(垂直離着陸)モードへの移行である。
轟音とともに吹き降ろされる強烈なジェット後流が、赤城の飛行甲板を叩きつける。猛烈な熱風と、これまで嗅いだことのないケロシン系(ジェット燃料)の独特の排気臭に、甲板にいた整備兵たちが次々と吹き飛ばされ、這いつくばった。
「なんだあの風圧は! しがみつけ!」
「熱い! 甲板が焦げているぞ!」
木製の飛行甲板が、かつて経験したことのない高熱と圧力でミシミシと悲鳴を上げる。
やがて、黒い機体はゆっくりと高度を下げ、赤城の甲板の中央付近に、まるで羽毛が降り立つように静かに着艦した。
着地と同時にエンジンの咆哮が止み、リフトファンの回転音が徐々に小さくなっていく。
後に残されたのは、太平洋の波音と、あまりの出来事に言葉を失った日本海軍の将兵たちの沈黙だけだった。
「……総員、武器を取れ! 機体を包囲しろ!」
我に返った将校の怒声で、兵士たちがハッと動き出す。
三十年式銃剣を構えた数十名の海軍陸戦隊や水兵たちが、ジリジリと未知の黒い機体を取り囲んだ。銃口はすべて、スモークがかったコックピットに向けられている。
艦橋から駆け下りてきた源田実も、軍刀の柄に手をかけながら最前列へと進み出た。
「……開くぞ」
誰かが息を呑んだ。
プシュー、という空気圧の抜ける音とともに、F-35Bのキャノピーがゆっくりと上方へ持ち上がる。
銃を構える兵士たちの手に汗が握られる。宇宙人か、それとも悪魔か。未知の超兵器から何が降りてくるのか、誰にも想像がつかなかった。
コックピットから姿を現したのは、全身を漆黒の奇妙な装束(Gスーツ)に包み、頭には巨大な一つ目の兜(HMD内蔵ヘルメット)を被った人型の存在だった。
ゆっくりと機体の側面に足をかけ、甲板へと降り立つ。
そして、その人物は両手をヘルメットにかけ――静かにそれを脱ぎ去った。
「……日本人、だと?」
源田が呆然と呟いた。
ヘルメットの下から現れたのは、短く刈り込んだ黒髪に、精悍な顔つきをした極めて日本人的な青年だった。年齢は二十代後半から三十手前といったところか。
その目は、周囲に向けられた無数の銃剣を前にしても、微塵の揺らぎもない。完全に凪いだ、底知れない深海のような瞳だった。
「貴様、何者だ! 所属と階級を名乗れ!」
源田が軍刀を半ば引き抜きながら鋭く問いただす。
青年――坂上真一は、ぐるりと周囲の兵士たちを見回した。
下手に未来人だと名乗れば、特高警察か憲兵隊に引き渡されて拷問されるだろう。だが、バカ正直に「航空自衛隊です」と言っても通じる時代ではない。坂上は脳内で数秒だけシミュレーションを回し、一番「マシ」な答えを導き出した。
「……階級は大尉に相当する」
坂上の低く、よく通る声が甲板に響いた。
「所属は言えん。強いて言うなら、帝国の存亡に関わる極秘の特務機関だ。この機体は、そのための新兵器だと思ってくれ」
「特務機関だと? ふざけるな、海軍省にも軍令部にも、そのような機体の報告は一切上がっていない! 貴様、米国のスパイか!」
若い士官が激高し、坂上の鼻先に銃剣を突きつけた。
切っ先が、坂上の喉仏まで数センチの距離に迫る。
だが、坂上は瞬き一つしなかった。
それどころか、彼は胸ポケットから使い込まれた真鍮のオイルライターを取り出し、親指で蓋を弾いた。
――カチンッ。
静まり返った甲板に、硬質な金属音が響く。
火はつけない。ただ、その音が坂上の『スイッチ』だった。
坂上の全身から、目に見えない強烈な『覇気』が放たれた。北辰一刀流免許皆伝の剣術家としての、純粋な殺気と威圧感。
銃剣を突きつけていた若い士官が、まるで巨大な肉食獣に睨みつけられたかのように「ヒッ」と息を呑み、思わず半歩後ずさる。
「銃を下ろせ」
坂上は、静かに、だが絶対的な命令として告げた。
「俺が敵なら、お前たちは数分前にアメリカの爆弾で海の底に沈んで、魚の餌になっていたはずだぞ」
「ぐっ……!」
「俺は味方だ。お前たちの命を救い、太平洋の戦局を決定づけるためにここに来た。この国の未来を、焼け野原にしないためにな」
嘘のつけない坂上の実直な眼差しは、言葉以上の説得力を持って周囲の将兵を圧倒していた。
剣の達人としての佇まい、そして直前に見せた米軍機撃退の事実。彼らの中に「この男に逆らえば殺される」という本能的な恐怖と、「この男は本物だ」という畏敬の念が同時に芽生え始めていた。
「……銃を下ろせ」
群衆を掻き分け、歩み出てきたのは、第一航空艦隊長官・南雲忠一中将だった。
「長官! しかし……!」
「これほどの兵器を操る男が、単身で我々の懐に飛び込んできたのだ。話を聞く価値はある。……貴様、大尉と言ったな。この後、どうするつもりだ?」
南雲の問いに対し、坂上はGスーツのポケットから無意識にコーヒー飴を取り出し、口の中に放り込んだ。甘苦い味が、乾いた喉を潤す。
「俺を尋問するのは構わんが、その前に長官にはやることがあるはずだ」
坂上は、ミッドウェーの方角を顎でしゃくった。
「米軍の空母エンタープライズとヨークタウンの飛行甲板は、先ほど俺が潰した。だが、まだ敵の潜水艦と、残存部隊が周囲をうろついている。……あんたらの無能な暗号は、米軍に筒抜けなんだよ。すぐに陣形を立て直さなければ、寝首を掻かれるぞ」
その言葉に、南雲と源田の顔色が一気に青ざめた。
坂上真一と日本海軍の、常識を覆す歴史の修正劇が、今まさに幕を開けたのだ。
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