EP 10
作戦の神様と狂気の行軍
ニューブリテン島、ラバウル基地。
ゴースト中隊が空で一方的な完全勝利を収め、米軍航空隊に「見えない死神」の恐怖を植え付けていたその日の夜。
基地の一角にある陸海軍合同の作戦司令室は、空の勝利とは全く別の、異様で熱狂的な空気に包まれていた。
「――諸君! 皇軍の精鋭たる一木支隊九百名は、無事にガダルカナル島への上陸を果たした! 今宵、彼らは敵の飛行場に向かって夜襲をかけ、ヤンキーどもを太平洋に叩き落とすであろう!」
作戦図が広げられた机の真ん中で、熱弁を振るう一人の陸軍将校がいた。
丸刈りの頭に、ギラギラと異様な光を放つ双眸。軍服には大本営から派遣された参謀を示す飾緒が揺れている。
彼こそが、陸軍上層部から『作戦の神様』と持て囃され、のちに日本軍を数々の地獄へと導くことになる男――辻政信中佐であった。
「米軍など恐るるに足らず! 彼らは物質的享楽に溺れた軟弱な兵の集まりである! 我が軍が銃剣を煌めかせて突撃すれば、必ずやパニックを起こして逃げ散るはずだ。物量など、大和魂と精神力の前には無力である!」
辻の狂信的な演説に、周囲の陸軍将校たちが「その通りだ!」「皇軍万歳!」と歓声を上げる。
彼らは、たった九百名の軽歩兵に、重火器も十分な弾薬も、数日分の食料すら持たせずに前線へと送り出した。一万人以上の海兵隊が重機関銃と鉄条網で要塞化している陣地に対し、竹槍のような装備で正面から突撃させようとしているのだ。
バンッ!
突如、司令室の扉が乱暴に蹴り開けられ、歓声がピタリと止んだ。
入り口に立っていたのは、海軍の第二種軍装に身を包んだ坂上真一だった。その目は、薄暗い部屋の奥まで見通すような、極めて冷酷な光を帯びていた。
「……何者だ、貴様は。海軍の若造が、陸軍の軍議に何の用だ」
辻政信が、不快感を露わにして坂上を睨みつける。
「海軍特務大尉、坂上だ。……あんたが、噂に聞く『作戦の神様』かい」
「いかにも。大本営陸軍部参謀、辻政信である。貴様ら海軍がだらしなく飛行場を奪われた尻拭いを、我々陸軍がしてやろうというのだ。感謝したまえ」
傲慢に胸を反らす辻に対し、坂上はゆっくりと歩み寄り、机の上の作戦図を見下ろした。
史実における『イル河口の戦い』。
一木支隊は、米軍が待ち構える砂州を一直線に突撃し、十字砲火を浴びて全滅する。九百名の命が、わずか一夜にして機関銃の肉片と化すのだ。
「……あんた、本気で九百人の軽歩兵で、一万人の要塞を落とせると思っているのか?」
「無論だ! 敵は軟弱な米兵。我が軍の白兵突撃の気迫に押され、必ず崩壊する!」
「崩壊するのはあんたの脳みそだ」
坂上の吐き捨てるような一言に、司令室の空気が凍りついた。
「な、なんだと……!? 貴様、今なんと言った!」
「米軍の陣地には、鉄条網が張り巡らされ、M1917水冷式重機関銃と37ミリ対戦車砲がズラリと並んでいる。その正面に、弾薬もロクに持たない歩兵を夜襲させる? ……それは作戦じゃない。ただの『自殺の強要』だ」
坂上は、辻の目を真っ直ぐに射抜いた。
「精神力で機関銃の弾が防げるのか? 大和魂があれば、腹が減っても戦えるのか? お前が『神様』気取りで地図に線を引いている間、前線の兵士たちは泥水を啜りながら、無駄死にさせられようとしているんだぞ」
「き、貴様ァァァッ! 帝国陸軍の必勝の信念を愚弄するか! 海軍の腰抜けがァ!」
激昂した辻が、腰の軍刀の柄に手をかけた。
周囲の陸軍将校たちも一斉に殺気立ち、坂上を取り囲もうとする。
――カチンッ。
司令室に、硬質な金属音が響き渡った。
坂上が胸ポケットから取り出した、真鍮のオイルライター。
その音が鳴った瞬間、坂上の全身から、海兵の歴戦の猛者たちすら震え上がらせた『北辰一刀流の殺気』が、爆発的に膨れ上がった。
「ヒッ……!」
刀を抜こうとしていた辻が、見えない巨大な刃を喉元に突きつけられたような錯覚に陥り、思わず息を呑んで後ずさる。
坂上はライターをポケットに仕舞い、辻の胸ぐらを片手で鷲掴みにした。
「俺は、お前たちのような『兵士の命を数字のコマとしか思っていない無能』が世界で一番嫌いなんだ。……今すぐ、一木支隊に攻撃中止と撤退の命令を出せ」
「ふ、ふざけるなッ! 部隊はすでに無線封止で進撃中だ! 今更止まることなどあり得ん!」
辻の言葉に、坂上はギリッと奥歯を噛み締めた。
間に合わない。
現代の通信網があれば一瞬で止められるが、この時代の、しかもジャングルを密かに進む歩兵部隊を、今から止める手段は物理的に存在しないのだ。史実の悲劇は、すでに歯車を回し始めていた。
「……そうか。なら、明日を楽しみに待つんだな、神様」
坂上は辻を乱暴に突き飛ばし、作戦図を拳で叩き割る勢いで殴りつけた。
「明日の朝、あんたの元に届くのは、一木支隊の『全滅』の報告だ。大和魂とやらが、米軍の圧倒的な火力の前に文字通り粉砕されたという現実だ」
「でたらめを言うなッ! 皇軍は絶対に負けん!」
「負ける。そして、お前たちのその無謀な精神論のせいで、これ以上の無駄な血が流れるのを、俺は絶対に許さない」
坂上は、床に這いつくばる辻を冷酷に見下ろした。
「明日の朝、部隊の全滅が確認されたその瞬間から……このソロモン海域におけるすべての作戦指揮権は、俺たち海軍の『合理』が乗っ取る。陸軍の無能な作戦は、俺が物理で全部叩き潰してやる。……首を洗って待っていろ」
坂上は踵を返し、陸軍将校たちの呆然とした視線を背に受けながら、司令室を後にした。
◆
外に出ると、ラバウルの夜空には、満天の星が広がっていた。
蒸し暑い熱帯の風に吹かれながら、坂上は滑走路へと向かう。そこには、すでに出撃の準備を整えつつあるゴースト中隊のパイロットたちが集まっていた。
「教官殿。陸軍の軍議は終わりましたか」
黒田飛曹長が敬礼をして迎える。
「ああ。……だが、最悪の報告だ。陸軍の馬鹿どもが、ガダルカナルで無謀な夜襲を仕掛ける。明日の朝には、海岸は死体の山になっているだろう」
「そんな……! 我々はどうすれば!?」
「空から、生き残りを拾い上げる」
坂上は、整列したパイロットたちに向かって力強く宣言した。
「明日の夜明けと共に、全機出撃だ。全機に二五〇キロ爆弾を懸架しろ。制空権は今日、俺たちが完全に握った。明日は、海岸で陸軍をすり潰そうとしている米軍の重砲陣地と機関銃座を、空から徹底的に叩き潰す!」
それは、当時の日本軍では異例中の異例である『近接航空支援(CAS)』の命令だった。
空戦だけを行う戦闘機部隊が、地上で苦しむ味方の歩兵を救うために、自ら危険な対地攻撃へと身を投じるのだ。
「俺たちは、海軍だの陸軍だのといったくだらない縄張り争いには付き合わない。この国の命を救うためなら、泥にまみれてでも弾を撃ち込む」
坂上の目に、燃えるような闘志が宿っていた。
「準備しろ、ゴースト中隊! 明日からが本当の地獄だ。……精神論で兵を殺す無能どもに、現代の『火力』と『システム』の恐ろしさを骨の髄まで教えてやる!」
「はッ!!」
二十名のパイロットたちが、夜空を引き裂くような凄まじい気合いで応えた。
ミッドウェーの悲劇を覆し、技術のチートで力を蓄え、帝都の闇を払った未来のトップガン。
だが、彼の前に立ちはだかるのは、アメリカ軍の圧倒的な物量と、味方であるはずの日本陸軍の狂気という、二つの巨大な絶望だった。
戦局は泥沼のガダルカナルへ。
坂上真一とゴースト中隊の、血で血を洗う本当の戦いが、今、幕を開けようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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