EP 8
ラバウル――地獄の最前線と未来の『目』
1942年8月中旬。
南太平洋・ニューブリテン島、ラバウル。
大日本帝国海軍の南東方面における最大の航空基地であり、ここから約一千キロ離れたガダルカナル島を巡る血みどろの消耗戦の拠点となる場所である。
強烈な南洋の太陽が照りつける中、火山灰に覆われた真っ白な滑走路に、坂上真一と『ゴースト中隊』の零戦二十機が降り立った。
キャノピーを開け、地上に降り立った瞬間、坂上はまとわりつくような異常な湿気と、噎せ返るような土埃の匂いに顔を顰めた。
「これが最前線の空気か……。聞いていた以上に酷いな」
基地内を見渡すと、そこには史実通り、あるいは未来の歴史書で読んだ以上の『地獄』が広がっていた。
連日の出撃で疲労困憊した搭乗員たちは、虚ろな目で木陰にへたり込んでいる。整備兵たちは泥と油に塗れ、栄養失調で頬をこけさせながら、重い爆弾を人力で運んでいる。
そして何より深刻なのは、基地の至る所から聞こえてくる、熱病にうなされる兵士たちの呻き声だった。
「特務大尉殿ですね。お待ちしておりました」
出迎えに現れた現地の航空隊司令もまた、ひどく痩せ細り、マラリア特有の青白い顔色をしていた。
「お恥ずかしい話ですが、連日の激戦と物資の不足で、我が部隊は満身創痍です。ガダルカナルに上陸した米軍を叩くため、明日にも総出撃を命じられておりますが……飛べる機体も、まともに操縦桿を握れる人間も、半分以下という有様でして」
「……」
坂上は無言で司令の肩を叩き、胸ポケットから真鍮のライターを取り出して、カチンと蓋を鳴らした。
「心配するな。俺が呉の参謀どもを『物理的に説得』して、手土産を持ってきている」
坂上が指差した先、ラバウル港の沖合に、数隻の輸送船が続々と錨を下ろそうとしていた。
通常ならば弾薬や兵器が最優先で積まれるはずの輸送船団。だが、坂上が呉での軍議で海軍の兵站担当将校を脅し上げ、強奪した物資は違った。
「第一便の積荷は、大量の『キニーネ(マラリア特効薬)』と、ビタミン剤、それに乾燥野菜と新鮮な肉の缶詰だ。まずは全員に薬を飲ませ、腹いっぱい飯を食わせろ。大和魂で飛行機は飛ばない。パイロットの体調管理こそが最強の兵器だ」
「く、薬と……食料……!」
司令は震える手で顔を覆い、男泣きに泣き崩れた。
周囲にいた整備兵たちも、輸送船から降ろされる木箱に「キニーネ」の文字を見た瞬間、歓喜の雄叫びを上げて群がっていった。
病と飢えに苦しんでいたラバウル基地の士気が、わずか数時間で劇的に蘇っていく。
だが、坂上が持ち込んだ「未来の技術」の本命は、薬や食料ではなかった。
◆
翌日。
ラバウル基地の背後にそびえる山の頂上(高台)。
そこには、周囲のジャングルを切り拓いて急造された、巨大な『鉄の網』のような建造物が設置されていた。
呉の技術廠がF-35Bの技術を元に徹夜で完成させ、極秘裏に輸送してきた『早期警戒電探』のアンテナ群である。
その直下に設けられたコンクリート製のトーチカの内部――すなわち『CIC(戦闘指揮所)』では、坂上とレーダーの専門技術将校たちが、固唾を呑んで一台の機械を見つめていた。
「電源、入れます」
技術将校がスイッチを押し込むと、低いハム音が響き、真空管がオレンジ色に灯った。
そして、中央に据えられた丸いブラウン管の画面(PPIスコープ)に、緑色の走査線が円を描くように回り始める。
「……アンテナ回転、正常。電波の送受信、問題ありません。ノイズキャンセラーも完璧に機能しています」
暗いトーチカの中に、緑色の淡い光が照り返す。
坂上は、その画面を食い入るように見つめた。
史実における日本軍は、レーダーの重要性を理解せず、開発が遅れに遅れた。その結果、敵の空襲を「見張員の肉眼と双眼鏡」に頼るしかなく、雲の上や夜間からの奇襲に成す術なく蹂躙されていったのだ。
だが今、このラバウルには、アメリカ軍の初期型レーダーすらも凌駕する「未来の概念」で作られた『目』が存在している。
「来い……」
坂上が呟いた数分後。
ブラウン管の画面の端に、小さな『光点』がフッと浮かび上がった。
「ッ! 反応あり!」
「距離と方角は!?」
「方位一五マル(南南東)。距離、およそ百四十キロ! 高度三千から四千。機影は……大きくはありません。大型爆撃機ではなく、敵の哨戒機あるいは小規模な戦闘機編隊と思われます。我がラバウル基地へ向かって、一直線に接近中!」
技術将校の報告に、トーチカ内の空気が一気に張り詰めた。
百四十キロ先。肉眼では絶対に不可能な距離から、敵の動きを完全に捕捉したのだ。
これまでは「敵機上空!」とサイレンが鳴ってから慌てて迎撃機を飛ばしていたため、常に高度の不利(エネルギーの破産)を強いられていた。
だが今は違う。百四十キロの距離があれば、敵が到着するまでに約二十分の猶予がある。
「二十分あれば、悠々と高度六千メートルまで上がって『貯金』を作れるな」
坂上は獰猛な笑みを浮かべ、トーチカに備え付けられたマイク(新型の航空無線機と連動した通信機)を握った。
「こちらCIC。ゴースト中隊、各機応答せよ」
『――こちらゴースト1(長機・黒田)。感明瞭。教官殿の声、隣にいるようにハッキリと聞こえます』
スピーカーから返ってきた黒田飛曹長の声には、これまで悩まされていたエンジンの点火ノイズが一切入っていなかった。
完璧な通信環境の確立。
「よく聞け、ゴースト中隊。方位一五マル、距離百四十キロから、米軍の先遣隊が接近中だ。……お前たちは直ちに出撃し、方位一五マルの海上、高度六千メートルまで上昇。そこで待機し、俺の誘導を待て」
『了解! 全機、出撃準備完了。これより発進します!』
通信が終わると同時、滑走路から猛烈な爆音が響き渡り、二十機の零戦が次々と青空に向かって舞い上がっていった。
トーチカの中で、坂上はブラウン管の画面に映る二つの光点群を見つめていた。
一つは、南から接近してくる米軍機。
もう一つは、ラバウルから飛び立ち、急速に高度を上げながら敵の進路上へと先回りしていくゴースト中隊。
二つの光点が交差するまで、あと十五分。
「さあ、見せてみろ。大和魂と根性論じゃない、現代の『システム空戦』の威力を」
坂上は、口の中にコーヒー飴を放り込んだ。
アメリカ軍はまだ知らない。
この南洋の空に、自分たちの動きをすべて見通す『未来の目』と、無駄な旋回を捨てて冷徹な殺戮マシーンと化した『幽霊』たちが待ち構えていることを。
ソロモンの空を血で染める、圧倒的な狩りの時間が始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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