EP 7
大和魂で飯が食えるか――兵站無くして勝利無し
1942年8月。呉鎮守府、作戦会議室。
南洋のガダルカナル島に上陸したアメリカ軍を撃退するため、陸海軍合同の作戦会議が開かれていた。
重厚な長机を挟んで、カーキ色の軍服を着た陸軍参謀たちと、純白の第二種軍装に身を包んだ海軍の幕僚たちが、重苦しい顔で向かい合っている。部屋の中は酷い熱気に包まれ、タバコの煙と男たちの汗の匂いが充満していた。
その末席に、特務大尉として参加していた坂上真一は、背もたれに深く寄りかかりながら、無表情で配付された『作戦計画書』の束をパラパラと捲っていた。
「――以上が、ガダルカナル奪還作戦の概要である」
壇上に立つ、恰幅の良い海軍の後方支援(兵站)担当の参謀――佐久間大佐が、尊大な態度で説明を締めくくった。
「我が海軍航空隊は、ラバウル基地より出撃し、ガダルカナル周辺の敵機動部隊および上陸部隊に痛撃を与える。これにより制空権を確保し、陸軍部隊の上陸を支援するものである!」
拍手すら起こらない静まり返った会議室で、坂上は「ふぅ」と小さくため息をつき、口の中でコーヒー飴を転がした。
「佐久間大佐。一つ質問していいか」
末席から上がった気怠げな声に、参謀たちの視線が一斉に坂上へと集まる。
どこの馬の骨とも知れぬ若造が、山本五十六長官の威光を笠に着て特務大尉を名乗っていることは、すでに上層部の間でも不満の種になっていた。佐久間大佐は露骨に不快そうな顔をして、顎をしゃくった。
「なんだ、特務大尉殿。作戦計画に何か不服でもおありかな」
「不服しかないね。こんなものは作戦計画書じゃない。ただの『自殺志願者の日記』だ」
坂上の容赦ない一言に、会議室の空気がピキリと凍りついた。
「き、貴様ッ! 言葉を慎め! 後方で何日も徹夜して練り上げた完璧な計画だぞ!」
「徹夜で練り上げたのがこれなら、あんたらの脳みそはとっくに腐ってる。……いいか、地図を見ろ」
坂上は立ち上がり、机の上に広げられた南太平洋の海図をバンッと叩いた。
「ラバウルからガダルカナルまで、片道およそ一千キロだ。往復で二千キロ。当時の……いや、今の零戦の巡航速度で、片道四時間近くかかる。海の上を四時間飛んで、ようやく戦場に到着するんだぞ。その時点でパイロットの疲労は限界だ」
「帝国海軍の搭乗員は、その程度の疲労など大和魂で克服する! 日頃の猛訓練は伊達ではない!」
「で、その大和魂とやらで空を飛べるのか?」
坂上は冷たく言い放ち、作戦計画書の一ページを佐久間大佐の顔の前に突きつけた。
「俺が言っているのは『燃料』の話だ。増槽(落下式燃料タンク)の生産が遅れているため、初期の出撃には十分な数が回せないと書いてあるな。増槽なしで二千キロ飛べば、ガダルカナル上空での戦闘可能時間は、わずか『十分』から『十五分』だ。その十分間で敵を落とし、また四時間かけてラバウルに帰れというのか」
「やむを得まい! 物資が足りないのだ! だが、我が無敵の零戦ならば、十五分もあれば敵機を全滅させられるはずだ!」
「馬鹿を言え。もし空戦中に燃料タンクに一発でも被弾すれば、その機体はラバウルには帰れない。海に不時着だ。……この計画書には、海に落ちた搭乗員を救出するための『飛行艇の配備』や『救助潜水艦』の記載が一行もないが、どういうことだ」
坂上の鋭い追及に、佐久間大佐は一瞬言葉に詰まり、やがて居直ったように声を荒げた。
「救助だと? 甘ったれるな! 一度出撃したからには、生きて虜囚の辱めを受けず、潔く散るのが軍人の本懐である! 貴様の育てたゴースト中隊とやらは、撃墜された時の逃げ道ばかり考えている臆病者の集まりか!」
その言葉が引き金だった。
――カチンッ。
坂上の手の中で、真鍮のオイルライターが鋭く鳴った。
次の瞬間、坂上は眼前にある分厚い木製の長机を、片手で軽々と持ち上げ、佐久間大佐の足元に向かって豪快に蹴り飛ばした。
ガァァァンッ!!
「ひっ!?」
巨大な机がひっくり返り、書類やインク瓶が宙を舞う。
悲鳴を上げて尻餅をついた佐久間大佐の胸ぐらを、坂上が獣のような速度で掴み上げ、壁に叩きつけた。
「てめえ、今なんと言った」
北辰一刀流の免許皆伝が放つ、純度百パーセントの殺気。
会議室にいた数十名の陸海軍の高級将校たちが、あまりの恐怖に声すら発せられず、椅子に縫い付けられたように硬直した。
「臆病者だと? ……いいか、机上の空論をこね回すだけの豚野郎。搭乗員一人が一人前になるまでに、どれだけの時間と金がかかっていると思っている。あいつらは、消耗品の弾束じゃない。この国の最高峰の技術と経験が詰まった『兵器システムの中核』だ」
坂上は佐久間の胸ぐらをギリギリと締め上げながら、絶対零度の声で宣告した。
「救助網も敷かず、十分な燃料も持たせずに空へ送り出すのは、作戦じゃない。ただの『殺人』だ。俺の部下を、お前らの怠慢の言い訳のために使い捨てることは絶対に許さん」
「ぐ、がっ……き、きさまぁ……上官に向かって……!」
「上官? 俺の直属の上官は、山本五十六だけだ」
坂上は佐久間を床に放り投げると、懐から山本長官の絶対権限を示す『特務指令書』を取り出し、床に散らばった書類の上に叩きつけた。
「今日から、兵器工廠のラインを『落下増槽』の生産に最優先で割り当てろ。それから、ラバウル基地の搭乗員と整備兵のための『キニーネ(マラリア特効薬)』と『新鮮な食料』を、弾薬よりも先に輸送船に積み込め。兵站なくして、勝利などあり得ない」
坂上は、床で咳き込む佐久間大佐を見下ろし、靴の踵で床を強く踏み鳴らした。
「大和魂で飯が食えるか。気合いでマラリアが治るか。……前線で血を流すのは、お前らじゃない。俺たちだ。俺たちを戦わせたいなら、最低限の『舞台』くらい整えろ。さもなければ……」
坂上は、会議室の壁に飾られていた天皇の御真影……ではなく、その横に掲げられていた軍部のスローガン『欲しがりません勝つまでは』の額縁を、拳で粉々に叩き割った。
「この無能な作戦を立てた参謀全員、俺が直接ラバウルまで引きずっていって、最前線の塹壕に放り込んでやる。……分かったら、さっさと兵站の手配に走れッ!!」
坂上の雷鳴のような一喝に、海軍の後方参謀たちは震え上がり、「は、はいッ!」と悲鳴のような返事をして会議室から逃げ出していった。
残された陸軍の参謀たちは、海軍の内部抗争と、坂上という特務大尉の狂気に近い『合理主義』を目の当たりにし、ただ黙って唾を呑み込むことしかできなかった。
「……ふぅ」
坂上は乱れた軍服の襟を正し、ポケットから新しいコーヒー飴を取り出して口に放り込んだ。
「これだから、昭和のブラック企業は嫌いなんだ」
一人ごちる坂上の目は、すでに南の海――ソロモン海域へと向いていた。
無能な後方参謀を物理で脅し、落下増槽とキニーネという「命綱」を強奪することに成功した。これで、ラバウルでの戦いにおける最低限の生存条件はクリアしたことになる。
だが、坂上は知っている。
今、この会議室で沈黙を守っていた陸軍の連中の中に、のちに最悪の餓死作戦を主導する『作戦の神様』と『精神論の権化』が控えていることを。
「海軍の掃除は済んだ。……次は、お前たちの番だぞ、陸軍」
坂上は、会議室の端で顔を青ざめさせている陸軍将校たちを一瞥すると、踵を返して部屋を後にした。
準備は整った。
いよいよ、未来のシステム空戦を叩き込まれた『ゴースト中隊』が、地獄の最前線・ラバウル基地へと降り立つ時が来たのだ。
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