EP 2
オーパーツの恩恵
大分でのブートキャンプが軌道に乗り始めた頃、坂上真一は一時的に教官の座を黒田たちに任せ、瀬戸内海に面した軍港の街――呉へと足を運んでいた。
海軍工廠のさらに奥深く、厳重な憲兵の警備網に守られた巨大な地下格納庫。
そこは現在、坂上が持ち込んだ『魔法の杖』の抜け殻――F-35BライトニングⅡを解析するための、大日本帝国における最高機密の研究施設となっていた。
「……ひどい匂いだな」
地下施設に足を踏み入れた坂上は、思わず鼻を覆った。
グリスの機械臭に混じって、何日も風呂に入っていない男たちの汗と、大量に消費された煙草のヤニの匂いが充満している。
そこにうごめいていたのは、白衣や作業着を油まみれにした数十名の技術者たちだった。彼らの目は一様に血走り、眼の下には真っ黒なクマを作っているが、その表情は異常なまでの熱気と歓喜に満ちていた。
「おおッ! 特務大尉殿! よくぞお越しくださいました!」
坂上の姿を認めるなり、一人の小柄な男が小走りで駆け寄ってきた。
零式艦上戦闘機(零戦)の主任設計者であり、この『天照』プロジェクトの技術陣トップである堀越二郎だ。彼の分厚い丸眼鏡の奥の目は、狂気を孕んだ探究者のそれに変貌していた。
「徹夜続きのようだな、堀越さん。倒れられては困るんだが」
「倒れる暇などありませんよ! この神の造形物(F-35B)を前にして眠るなど、技術者として万死に値します!」
堀越は興奮冷めやらぬ様子で、束になった設計図の青写真を坂上に突きつけた。
「大尉殿の忠告通り、電子部品には触れていません。我々の時代の真空管技術では到底理解の及ばない、文字通り魔法の箱です。しかし……外装の構造、配線の取り回し、そして『概念』を模倣するだけで、我が国の技術は十年……いや、二十年分の進化を遂げました!」
「ほう。聞かせてもらおうか」
坂上が口の中にコーヒー飴を放り込むと、堀越は満面の笑みで一台の機械を指差した。
それは、既存の航空機用無線機を改良した四角い鉄の箱だった。
「まずは、大尉殿から最優先で要望されていた『航空無線機』です」
堀越は得意げに胸を張った。
「従来の九六式空一号無線機は、エンジンの点火プラグから発生するノイズを拾ってしまい、雑音だらけで使い物になりませんでした。しかし、あの黒い機体(F-35B)の配線構造を見て、目から鱗が落ちました。すべての電装系ケーブルに、完璧な電磁シールド(被膜)とアース処理が施されていたのです!」
史実において、日本海軍の無線機が使い物にならなかったのは「無線機自体の性能」よりも、「機体側のノイズ対策の甘さ」が最大の原因だった。
未来のステルス機における徹底した電磁波対策の基本を『見て学んだ』ことで、当時の技術者たちは根本的な解決策に気付いたのである。
「すでに零戦用のシールドプラグと、ノイズフィルターを組み込んだ新型無線機の試作品は完成しています。テスト通信を行いましたが……大尉殿、隣の部屋の者と、まるで目の前で話しているかのように鮮明に声が聞こえるのですよ!」
「上出来だ。これで空中での連携が組める」
坂上は満足げに頷いた。これで、手信号に頼る時代遅れの空戦から脱却できる。
「それだけではありません。こっちへ来てください!」
堀越に腕を引っ張られるようにして案内された先には、複雑なパラボラ型のアンテナを備えた、巨大な観測機器のようなものが鎮座していた。
「機首に搭載されていた『レーダー』と思われる部品。あの六角形の素子(AESAレーダーのモジュール)が敷き詰められた構造は解析不能でしたが……あの『お椀型のパラボラ形状』と、素子を位相配列させて電波を絞るという基礎概念。これこそが、我々が求めていた答えでした!」
堀越は、アンテナを愛おしそうに撫でた。
「我が国には『八木アンテナ』という世界最高峰の指向性アンテナ技術がありながら、軍上層部の無理解で放置されていました。しかし、大尉殿の機体の構造と八木アンテナの技術を組み合わせることで、ノイズを極限まで減らし、正確な距離と方角を割り出せる『早期警戒電探』が完成したのです!」
「……索敵距離と精度は?」
坂上の鋭い問いに、別の白衣を着た電波技術の専門家が答えた。
「大型の爆撃機編隊ならば、およそ百五十キロ先から正確に捕捉可能です。方角の誤差は数度以内。これを高台に設置すれば、敵の奇襲など二度と受けません!」
百五十キロ。
それは、当時の米軍がようやく実用化し始めていた初期型レーダーに匹敵、あるいは凌駕する性能だった。
史実では、日本軍がまともなレーダーを実用化するのはずっと後になり、その性能も劣悪で、米軍のレーダー射撃の前に一方的に沈められていく運命にあった。
しかし今、F-35Bという『未来からの青写真』に触発された天才たちの執念により、その歴史は大きく書き換えられようとしていた。
「よくやってくれた。オタクの執念は、いつの時代も世界を変えるな」
坂上は小さく笑い、軍服の内ポケットから一枚の書類を取り出した。
それは、連合艦隊司令長官・山本五十六の直筆サインと実印が押された『特務指令書』であった。
「この新型無線機と、早期警戒レーダー。今日この瞬間から、山本長官の絶対権限をもって最優先で量産体制に入れ。海軍省や軍令部の決済など待たなくていい。予算も物資も、この指令書で全部強奪してこい」
「はッ! ありがたき幸せ!」
堀越たちが歓喜の声を上げる。
優れた兵器を発明しても、無理解な上層部に握り潰されてきた技術者たちにとって、山本五十六の後ろ盾と、坂上という「絶対の理解者」の存在は、これ以上ない強力な追い風だった。
「無線機は、大分で訓練中の『ゴースト中隊』の零戦に最優先で換装させろ。そしてレーダーは、南方のラバウル基地と、ガダルカナル島へ大至急運び込むんだ。……ソロモンの海で、米軍の反攻が始まる。それまでに『目』を配置しなければ、また無駄な血が流れるぞ」
「御意に。不眠不休で生産ラインを立ち上げさせます!」
目を血走らせた技術者たちが、一斉に図面を抱えて走り出していく。
その光景を見送りながら、坂上は胸ポケットの真鍮ライターを取り出し、無意識に親指で蓋を弾いた。
――カチンッ。
「これで、戦術と技術の準備は整いつつある……」
坂上は地下格納庫の冷たい壁に寄りかかり、薄暗い天井を見上げた。
ミッドウェーの悲劇は回避し、戦力と技術の底上げも進んでいる。だが、これだけではアメリカに『マシな講和』を突きつけることはできない。
武力で敵に出血を強いると同時に、外交的な『切り札』が必要になる。
戦後、日本の新しい形(憲法)を作る上で重要な役割を果たし、アメリカの世論や政界にパイプを持つ存在。
「……ベアテ・シロタ・ゴードン」
坂上は、未来の知識から導き出したその名前を小さく口にした。
1942年現在、彼女はアメリカの大学に留学中であり、日本にはピアニストである彼女の両親(レオ・シロタ夫妻)が取り残されている。
史実において、彼らは外国人というだけで特高警察(特別高等警察)の厳しい監視下に置かれ、後に軽井沢へ強制疎開させられ、飢えと寒さの中で過酷な軟禁生活を強いられる。
(あの両親を特高から保護し、海軍の庇護下で厚遇する。そして、スイス経由でアメリカのベアテに手紙を送らせる。……そうすれば、彼女は必ず日本に恩義を感じ、講和交渉の際の最強の内通者になる)
これは、山本五十六とも合意済みの極秘ミッションであった。
「軍の内部(身内)の理不尽な権力者どもを、少しばかり掃除してやる必要があるな」
坂上は、ライターをポケットに仕舞い込んだ。
次なる戦場は、青い空でも、南洋の海でもない。
軍部と特高警察が我が物顔で権力を振るう、息苦しい帝都・東京の闇の中である。
「待っていろよ、特高の憲兵ども。俺が現代の『人権』ってやつを、物理で教えてやる」
未来のトップガンは、冷徹な笑みを浮かべ、帝都への切符を手配するために格納庫を後にした。
読んでいただきありがとうございます。
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