第二章 ゴースト・ブートキャンプと東京の暗闘
ツーマンセルと無線誘導(CIC)
1942年7月。大分海軍航空隊基地。
肌を焦がすような真夏の太陽が、コンクリートの駐機場に陽炎を作っていた。
基地の一角にある特別講義室には、先日の模擬空戦で坂上真一に完膚なきまでに叩きのめされた黒田飛曹長をはじめ、海軍中から選抜された計二十名の腕利きパイロットたちが集められていた。
彼らこそが、大日本帝国海軍における非公式の独立遊撃部隊――『ゴースト中隊』の第一期生である。
教壇に立った坂上は、軍服の袖を捲り上げながら、黒板に白墨で大きく二つの言葉を書き殴った。
『ツーマンセル(二機一組)』
『無線通信の絶対遵守』
「いいか、お前たち」
坂上はチョークを置き、鋭い視線で二十人の猛者たちを見回した。
「昨日までで、無駄な旋回を捨てる『一撃離脱』の理屈は頭に叩き込んだな。今日からは、それを実戦で機能させるための『システム』を構築する」
坂上は黒板の『ツーマンセル』の文字を指差した。
「これからの空戦は、長機と僚機の二機一組を最小単位とする。長機が攻撃を仕掛け、僚機は絶対に長機の後方上空を守り、背後の安全を確保する。単機での深追いや、独断専行は一切禁ずる」
「教官殿、質問よろしいでしょうか」
黒田が挙手して立ち上がった。
以前のような反抗的な態度は微塵もなく、真摯に教えを乞う生徒の顔つきだ。
「二機一組の編隊空戦自体は、我々も訓練でやっております。しかし、実戦の乱戦になれば、どうしても編隊はバラバラになり、個別の格闘戦に移行してしまいます。それに、僚機がはぐれた場合はどうすれば?」
「はぐれたら、攻撃を即座に中止して合流しろ。合流できないなら、そのまま基地に帰投しろ」
坂上の極端な指示に、講義室がどよめいた。
「帰投……ですか!? 敵機を目前にして逃げ帰れば、上官から『臆病風に吹かれたか』と大目玉を食らいますが!」
「そいつの顔面に俺の辞令(山本長官のサイン入り特務指令書)を叩きつけてやれ。いいか、お前たちはもう、武功を競い合う一匹狼の侍じゃない。システムを構成する歯車だ。片方の歯車が欠けた状態で無理に回せば、システム全体が崩壊して死ぬ。だから撤退しろ」
坂上は口の中でコーヒー飴を転がし、もう一つの文字『無線通信の絶対遵守』を指した。
「編隊を維持するためには、当然、緊密な意思疎通が必要になる。空での手信号や、機体を振る合図は今日から一切禁止だ。視線を逸らした一秒の隙が命取りになる。通信はすべて、音声の『無線』で行え」
その言葉に、搭乗員たちの顔に露骨な難色が浮かんだ。
黒田が苦虫を噛み潰したような顔で発言する。
「教官殿……手信号を禁止されては、意思の疎通が不可能です。我が海軍の九六式空一号無線機は、はっきり言って『重たいだけのガラクタ』です。エンジンの点火ノイズを拾ってしまい、ピーピーガーガーと雑音が鳴るだけで、隣の機体の声すらまともに聞こえません。結局、手信号か黒板での筆談に頼らざるを得ないのが現状です」
「知っている」
坂上はあっさりと肯定した。
当時の日本の航空無線が、プラグのシールド不良などによって使い物にならないレベルであったことは、未来の歴史データでも有名な話だった。
「だから今、呉の技術廠で、俺が持ち込んだ『技術』をベースにして、雑音を完全にカットできる新型の航空無線機を急ピッチで量産させている。お前たちが前線に出る頃には、隣の僚機と世間話ができるレベルの無線機が全機に積まれる」
「なっ……本当ですか!?」
「俺が嘘を言ったことがあるか?」
搭乗員たちが顔を見合わせ、どよめく。
もし本当に無線がクリアに通じるなら、空戦の常識は根底から覆る。
坂上は胸ポケットから真鍮のライターを取り出し、親指で蓋を弾いた。
――カチンッ。
硬質な音が鳴り、講義室が再び静まり返る。
坂上の瞳に、冷徹な指揮官としての光が宿った。
「クリアな無線が必要な理由は、僚機との連携だけじゃない。もっと重要な『システム』を稼働させるためだ」
坂上は黒板に、アルファベットで三つの文字を書いた。
『CIC(戦闘指揮所)』
「シー、アイ、シー……?」
「そうだ。お前たちパイロットは、ただ空に上がって目視で敵を探す必要はなくなる。地上や艦艇には、もうすぐ俺の技術を応用した新型の『電探』が配備される」
坂上は、黒板にレーダーサイトから航空機へ電波が伸びる図解を書いた。
「地上のレーダーは、およそ百キロ先の敵の大編隊を、雲越しだろうが夜間だろうが正確に捕捉する。その情報を集約するのが『CIC』だ。CICの管制官は、無線の音声誘導で、お前たちに『敵の高度』『機数』『方角』をミリ単位で指示する」
搭乗員たちは息を呑んだ。
彼らの知る索敵とは、視力の優れた者が双眼鏡や肉眼で血眼になって空を睨み、「敵機発見!」と叫ぶ職人芸だった。
「お前たちはCICの指示通りに飛び、指定された空域で待ち伏せし、敵の頭上から急降下して一撃を加え、そのまま速度を活かして逃げ去ればいい。……お前たちは『刀』だ。そして地上からのレーダー誘導が『目』になる。これが、現代の……いや、これからの戦場を支配する『システム空戦』だ」
圧倒的なまでの合理性。
個人の視力や勘、大和魂といった不確定な要素を徹底的に排除し、冷酷なまでに「死角からの必殺」を構築する未来の軍事思想。
黒田たち歴戦のパイロットは、身震いした。
もしそれが本当に実現するなら、彼らは二度と敵の奇襲に怯えることはなくなる。逆に、米軍を常に「見えない場所からの急襲」で一方的に屠ることができるのだ。
「いいか、最後にもう一度だけ言う」
坂上は教壇から降り、彼らの前をゆっくりと歩きながら、一人ひとりの顔を真っ直ぐに見据えた。
「俺は、お前たちの撃墜王としての個人スコアには、一ミリも興味はない。敵を五機落とそうが、十機落とそうが、お前自身や僚機が死ねば、俺の評価は『0点』だ。生きて基地に帰ってくること。それが、ゴースト中隊における唯一の勝利条件だ」
軍隊において、「死んで国に報いること」が美徳とされ始めていたこの時代。
「何が何でも生きて帰れ」という坂上の教えは、異端中の異端だった。
だが、彼らはすでに知っている。この教官が、誰よりも強く、誰よりも深く、自分たち搭乗員の命を大切にしているということを。
「……教官殿の教え、骨の髄まで叩き込みます。必ずや、全員で生きて帰る部隊を作ってみせましょう」
黒田が代表し、姿勢を正して敬礼した。
二十人のパイロットたちが、一斉にそれに続く。
それは、大日本帝国海軍の古い皮が剥がれ落ち、未来の軍隊へと生まれ変わった瞬間だった。
「よろしい。なら、今日からは地獄のG耐性訓練と、暗号無線のコールサイン暗記だ。座学で脳みそが沸騰するまで詰め込んでやる。吐く準備をしておけ」
坂上は獰猛な笑みを浮かべ、ブートキャンプの次なるメニューを開始した。
その頃、呉の海軍工廠では、坂上の蒔いた「魔法の種」が、天才技術者たちの手によっていよいよ実を結ぼうとしていた。
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